しろくま君です~。
最近、ネタもなく、忙しく更新できませんでした。
今日はいい天気だったので妻といっしょに市川市周辺の散歩してきました。
東京の江戸川区から市川市に越してもう3年目。
まだ市川市はしらない部分がたくさんある。
しかし、以外と市川市はミステリースポットがあるようです....。
・市川市の市川真間の弘法寺の涙石
・里見公園の夜泣き石
・里見公園
・本八幡の藪知らず
・〇〇ろう学校で軍隊兵士幽霊騒動
今回は、里見公園と弘法寺を回ってきました....。
まず、真間の弘法寺の涙石。
年中濡れてる不思議な石。
「江戸時代、日光東照宮を造るために、伊豆から船で石を運んでいました。ところが市川市の根本というところで船が動かなくなってしまい、仕方がないので石を弘法寺の石段に使ってしまいました。
しかし無断で積み荷をおろしたということで、作事奉行の鈴木長頼という人が責任を問われ、この石段で切腹したというのです。その無念の涙が石にしみこんで、何百年たっても乾かないのだということです。」
さわってみると、その石だけしっとりしていて、ほかは乾いていました。
そのあと、里見公園へ移動。
里見公園はもともと安房領土(房総、千葉市)を納めていた里見氏と北条氏と戦いがあった場所で、北条氏の作戦により里見氏は討たれ死んだ。
そのなかで、3000人ほど死んだと伝われており、いまにも武士の幽霊がさまよいでいると話がある。
その中で里見氏が討たれて死んだお墓があり、その名前がなぜか「里見氏亡霊~」と書かれていた。
その墓標の前に夜泣き石が置かれている。
「里見広次さんは、1564年の合戦で戦死しました。この時、十二、三歳になる広次の娘が亡き父を慕ってこの地にやってきましたが、合戦場の悲惨な有り様にショックを受けて、この石にもたれて泣き続けるうちに死んでしまったというんです。
それからというもの、夜になるとこの石から少女が泣く声が聞こえるようになりました。あるとき一人の武士が通りがかり、姫君の霊を哀れんで手厚く供養したところ、泣き声はぴたりと止まったということです。」
里見公園や夜泣き石は残念ながら霊感の強い僕にはそれに気にしていたため撮影できませんでした。
さすがに公園に入るあたりから両手にしびれを感じていました。
奥に行くほど気持ち悪くなってきました・・・。(-_-;)
里見公園を後にして、国府台駅経由でまた真間弘法寺の参道へもどってくると・・・
ちょうど電車が来ていましたので撮影。
そのまま家へ帰りました。