こんにちは。ひろの娘です。
令和元年10月30日午後4時8分
最愛の母は天国へ旅立ちました。
生前、母が熱心にこのブログを書いていて
応援してくださっていた方もいたのだと
聞いていたので
きちんとお知らせをしたくて
母の携帯を借りて書いています。
今年の7月30日に
余命1、2ヶ月と宣告され
そこからはほぼ寝たきりの入院生活。
この時点で腫瘍は
肺、脳、肝臓、骨の
全てに多発転移していました。
特に脳の腫瘍は
見えるだけでも8個。
きっと画像上は見えていないだけで
小さい物はもっとあるだろうと。
この状態では
いつ痙攣を起こしてもおかしくはない。
手足もそのうちに麻痺してくるだろう
とのことでした。
治療法は全脳照射しかなく
それでも余命が1ヶ月伸びるかどうかだと。
肺と肝臓の腫瘍も数が多いため
そのうちに機能が低下してくるのが
心配だと言われました。
そして母を一番苦しめた
仙骨部分の腫瘍はとても大きく
右足の神経を全て巻き込んで
ぐるぐる巻きになっていました。
この状態だと
相当な痛みを伴うらしく
麻薬の痛みどめを使っても
普通の量では効かないはずだと。
それでも母は生きる事を諦めず
放射線治療を受け
毎日毎日壮絶な痛みと戦い続けました。
本当に辛く苦しく
逃げ出したいと思ったことも
沢山あったと思います。
実際に弱音を吐いたことも
一度や二度ではありませんでした。
それでも頑張って生きようと思ったのは
きっと自分のためなんかじゃなく
私達家族のためだったんだと思います。
そのくらい
家族を大事にする温かい人でした。
私もそんな母が本当に大好きで
母がいない世界で生きていくくらいなら
母と一緒にいきたいと
どん底まで悲しんでいた時期もありました。
でも母が3ヶ月という
心の準備期間をくれたおかげか
今は何とか生活が出来ています。
このブログを見ていても分かるように
母は少し変わった人で
一度知り合ったら忘れられないような
そんな人でした。
めちゃくちゃ頑固で
変なところでこだわりが強くて
人にも自分にも厳しいけど
自分の子どもには甘々で。
ポジティブで前向きで
自分のことは何でも後回しだけど
家族のことになると
ものすごく心配性になったり。
明るくて社交的で
数分前に会った人とも
10年来の友達のように話していたり。
しっかりしているようで
実は天然でぶっ飛んだ事を言ったり。
強そうに見えて
実は甘えん坊の寂しがりやで。
いっつも周りを巻き込んで
たまにちょっと迷惑だなと思う時もあったけど
母の周りはいつも笑顔に溢れていて。
本当に太陽みたいな人でした。
生前、母が
どん底まで悲しんでいる私に
こんな事を言っていました。
「死後の世界は本当にあるらしいよ。
だからママはもし死んだらそっちの世界で楽しくやってるから大丈夫。
タワーマンションに住んで料理の研究をして三つ星をもらっておくから、もしあんたが来たら腕をふるってあげるね。
あんたが天寿を全うしたら必ず迎えに行くから、その時は一緒に住んで世界中のいろんなところを旅行しに行こう。」
母らしい少し変わった言い方だけど
この言葉が今の私の支えになっています。
きっとまた会える。
永遠の別れではない。
だから私も子供たちに好かれる
母のようなお母さんになって
頑張って生きていきます。
ママ、本当にありがとう。
26年間ママと一緒に過ごせて
最高に楽しかった。
ママの子供に生まれてこれて良かったよ。
また逢える日まで元気でね。
最後まで読んで頂きありがとうございました。
おしまい
