愛着があると たとえモノでもなかなか捨てられない
我が家に「ゴミはない」と思っていても
いずれ、私がこの世から いなくなったら...
と考え方を変えてみた途端、残しておきたいと思っていたモノも
不思議なもので 潔く処分ができるようになった
これが心の変化というものか...
あらゆる思い出は、そのモノを手にすることによって
当時のことを鮮明に思い出すことができるけれど
逆に それを手にすることがなくなったら...
思い出も消えてゆくのだろうか
そう考えると 思い出も少しずつ消えてゆくようで
淋しい気もしてきた
それでも処分していく勇気が持てるようになったのは
私自身 成長したな♪なんてちょっぴり自分を褒めながら(?)
ホントに大切な思い出は脳裏にやきついてるだろう
一番 厄介なのが写真
写真には歴史を感じて 目にすることができる
ネガフィルムからプリントされた写真
色褪せてくるんだなぁ...
(当時は100年経っても色褪せない(色彩)なんたらうたってたのに)
時々、見返しては
自分が写っていないものは友人に配ったり
自分の写りがよくないものは捨てることにして
いろんな場面が複数枚あっても
1枚あれば充分
先日は20数年分の写真をやっと数年かけて片づけ完了したけれど
1/3以下、いや1/4ほど減ったと思う
我ながら よくやった
写真整理も捨てられるようになるタイミングがあるのかもしれないなと思った
捨てる時に勿体ない...
ほとんど使わなかったよ...
そう思いながら処分してるときが一番、キツイ
それでも断捨離することに潔くなって「もう、いい」「しかたない」「残しても誰も使わない」
分別しながら「ありがとね♪」と捨てていた衣料品
もし私だったら...
そんなことを思いながら処分すれば清々しいけれど
流石に新品同様で処分してしまうのは胸が痛んでいた
3日ほどたって 気が付いた。「あっ!!!」
フリマという手がある
気づいたときには もうゴミ出しのあとだった。チーン、、、
新品だったのに 〇千円ぶん捨てたも同然.....
使えるのにゴミ行きになった衣料品
これが一番 もったいないことしたなぁ
こうして時々、失敗もするけれど
フリマに出す手間を考えたら
「捨てちゃえ!」「フリマに出す手間時間が今はない」
という判断も生じたりしている
気になったら、すぐ捨てていく
毎日1つずつでもいいから何か捨てる
頭の中も同じ
キャパシティを超えそうになったら紙に書き出して整理する
いわゆるプットアウトである
書き出すことによって視覚化して整理ができる
何をしていけばいいのか スムーズになってくる
就寝前に眠れなくなることがある
あれこれ考えていると余計に睡眠時間がなくなってしまうばかり
時間帯を気にして 寝ることに専念しようとするけれど
自身なりに許されるなら 無理に寝ようとしないで
その不安要素を消化すべく 夜中であっても起き上がり
活動をすることがある (音をたてないなど常識範囲で)
納得すれば すぐ入眠できる体制になっている
そのほうが睡眠の質もよさそうな気がして
少し、朝が眠くても納得しているから起きてくる
こうしてモノを手放すことによって
心が軽くなってくるのも確か
次、モノを買うときに
本当に必要かどうか 考える力もおのずとついてくる