皆さま、本当にご無沙汰してしまっております。
現在、年に1回しか書かないブログ
になってしまっておりますが、
読みに来てくださっている方々が居てくださり
心から感謝しております。
ありがとうございます。

そろそろ年末に突入ということで、
毎年恒例の(恒例にしてくださる皆さま
ありがとうございます。)
「一年の流れを観る9枚引きカード」の
ご予約をいただき始めています。

そんなタイミングで、わたしの今年について
「一年の流れを観る9枚引きカード」の
メインテーマだった
「THE MASTER ・マスター」
という視点から振り返ってみようと思います。

昨年の終わり間近に引いた
今年のメインテーマを表すカードは
「THE MASTER・マスター」
というものでした。

「“自分が自分自身のマスターになる”…だよね。
そうなれるようにこれまでも
心掛けてきてはいたけれど
(そして、言うは易しでそう在るということは
とても難しいことだということも身に沁みていて)
ここに来てメインテーマとして現れたからには
自分自身の在りようを揺るがせるような
大きなことが起きるのかもしれないな…。
もしそうなのだとしたら
その機会を活かせたらいいな。」

そんな風にメインテーマのカードからの
メッセージを受けとりました。

そんな今年に起きた一番大きな出来事は
夏に母が亡くなったということでした。

それは充分に
自分自身の在りようを揺るがすような
大きなことでした。

春頃からのあっという間の流れで迎えた
母との最期の数日は
すでに意思疎通は出来ない状態の母の
そばにただ居ることしか出来なかったのですが
その数日の間に
これまでの母とわたしの間の問題の全ては
このタイミングのための仕込みだった?
と思えるくらい大いなる答え合わせのような
感覚を味わうことが出来ました。

それが起きたのは
これまでセッションや施術を通じて
相手の方の気や潜在意識と
波長を合わせていくことに
馴染んでいたことも
大きく影響していたと思います。

そういう状態になれていて
本当に良かったと思ったと同時に
そうなるために起きてくれた全てのことに
感謝の気持ちが湧きました。

答え合わせで「そうだったんだ。」と
自分の中で自然と合点がいったことの中で
特に印象的だったことが冒頭に書いた
「マスター」にまつわることでした。

わたしにとっては、幼い頃は当然に、
そして大人になってからも
母は良くも悪くも最強のマスターのような存在で
何かを判断するとき、目の前に母が居なくても
意識できないくらい自然に心の中で母に問い
心の中で母の表情をうかがう自分が居ました。

でも、それは
実は母と自分の関係という仕組みを使って
自分が自分自身に問い
自分自身の表情をうかがっていたのだと。

シンプルに自分の気持ちを確認したい
ということも含め
理由や言い訳、責任から逃げたい気持ち、
安心感欲しさなどを
母の存在を使って満たしていた
甘えていたところもあったのだろうなと。

それは悪いことでも無いし
よく効く仕組みだとも思うのだけれど
母の存在を使わなくても
それは既に自分自身の中にある思いで
自分自身の答えとして存在するんだよと。

そして、このことは母だけでなく
自分の外に存在する自分に影響を与える相手
誰に対しても言えることなんだと。

誰かのせいでこうなった。
についても
「誰かのせいでこうなった」という思考も含めて
自分が生み出したもの。
すべて自分自身なんだと。

その様な合点が起きる中
同時に母から伝わってきたことがありました。

「なんかわからんけど、
あんたは結局大丈夫な気がする。」

生前、わたしがまだ色々と不安定だった頃
母がわたしを安心させるために
よく言っていた言葉なのですが
そのことについて

「もう、わたしが言わんでも
自分で自分に大丈夫って言えるやろ。」

と。


きっと誰しもの中に
それぞれ自分自身がマスターとして
存在しているのだけど
その声はなかなか解りづらかったり
素直に受け取れなかったり
信用出来なかったりして
自分の外にマスター的存在を置いて
その関係を使ってその声を聴き
受け取るということをするのかもしれない。

でも、本当は
わたし、そして、誰しもの中にそれぞれ
最初から自分自身がマスターとして
存在している。

これが、母との最期の時間の中で
答え合わせのように
合点がいったことのひとつです。

ここからわたしは自分で自分に
「わたしは大丈夫。」
と声を掛けてあげながらも
たまには馴染みの方法
母伝いに自分自身の声を聴くことで
より元気になれるときもあるのかもな…
なんて思ったりもしています。