前にも書きましたが、お金をもらうことに罪悪感を感じる人は多いようです。
その理由は色々あると思いますが、お金についての知識が少ないことも一因ではないでしょうか?
実際、日本ではお金の教育がほとんどされていません。
これが例えばアメリカなどでは、幼稚園からマネー教育が始められているとのことで、えらい違いです。
で、ちょっと調べてみると、お金というのは非常に不思議な存在に思えてきます。
そこで、今回はこれについて述べていきます。
まず、お金のもっとも不思議なところは、実体となる価値が何もないことです。
昔は金が背景にありました。
アメリカは金本位制を取っており、日本の円は米ドルと固定相場になっていましたので、円と金は間接的に結びついていました。
逆に言えば、米国の金の備蓄量に応じただけのお金が流通していたことになります。
ところが、今はそれがありません。
ではなぜ、みんな、お金を大切なものと思っているのでしょう?
そして、色んな商品とお金を嬉々として交換するのでしょう?
それは、お金には価値があるとみんなが思っているからです。
それ以上の理由はありません。
従って、実体がない分、お金の総量も決まっていません。
今は、日本でもアメリカでも、お金をどんどん刷っています。
その結果、お金自体はあふれ返っています。
ただし、それが私や多くの人の手元には流れ込んでいないところが残念ではあります。
しかし、これには原因があって、お金を刷っても金融機関に滞留して、回っていないのが現状です。
ちなみに、お金は国や日本銀行が増やしているだけでなく、一般の銀行でも簡単に増やしています。
信用創造という、手品のような方法があります。
例えば、ある人が銀行にお金を100万円預けるとします。
そのお金のうち、多くは別の人に貸し出され、一部は支払い準備金として、日本銀行に預金されています。
預金の引き出しに対応するためです。
その準備率は、法律で定められている最低額は1%くらいのものです。
実際は、もっと残しているでしょうから5%くらい残すとします。
すると、100万円のうち5万円は残して、残りの95万円は他の人に貸し出すことになります。
それを借りた人は、95万円をそのまま財布に入れて保管する訳ではありません。
商売で使う資材とか、何やかやの取引に使う訳ですが、結局巡り巡って、ほとんどが銀行へ入金されます。
で、預けられた95万円は、またもや5%の準備金を引いて、残りの約90万円がまた貸し出されます。
それを借りた人は、また何やかやで預金に回る。
ここで、最初の人が預けた額は100万円。
銀行から借りたお金から回り回ってまた銀行に預けられた額は95+90万円で185万円。
元のお金より85万円も増えています。
このようにどんどん預金~貸し出しを無限に続けていくすると、計算上は2000万円まで増えることになります。
何だかとっても不思議で、騙されたような気分になりませんか?
ともかく、そういう訳でお金とは決して決まった額が流通している訳ではないのです。
そして、上記のことから、我々が沢山モノの売り買いをしてお金を回していくほど、お金が増えていくことがわかります。
高い代金をもらうと罪悪感を感じる人は、自分が得ただけ相手が損するという意識があるのかもしれません。
しかし上述の通り、こうしてお金を回すことにより、社会全体ではお金が増えて豊かになります。
従って、もしも本当に価値があるものを提供しているという自負心があるならば、価値に応じたお金を堂々ともらうべきなのです。