当地はだいぶ収まってきましたが、今年の夏は、やたらと雨が多かったです。
最近の異常気象は極端な日照り、豪雨をもたらします。
日光にしても水にしても、植物の成長の上ではなくてはならないですが、行き過ぎるのも困ったものです。
水については、我々がある程度コントロール可能な資源ではありますが、今後は水不足が懸念されています。
近世までは、いかに土地を有効に使って単位面積当りの収穫量を増やすかに重きが置かれました。
現在では、労働時間当りの収穫量が主たる関心事です。
そして、将来は、いかに限られた水を使って収穫量を確保するかが重要、とも言われているくらいです。
そこで、今回は水の利用について、農業との兼ね合いで考えてみたいと思います。
まず、水不足と他の資源とのもっとも大きな違いは、枯渇するかどうかです。
水は、枯渇せずに単に形を変えているだけです。
地球全体で見れば水は豊富にあります。
しかし、そのうちの97.5%が海水で、淡水は残りの2.5%に過ぎません。
しかも、その2.5%の内訳は、北極や南極の氷が多くを占め、利用可能な水の割合は1%にもなりません。
以上は、単なる量の問題ですが、これ以外にも循環量を考えなければなりません。
海の水は日光により蒸発して水蒸気となり、それが凝結して雨を降らせ、大地に注がれ、川や地下水となって流れて再び海に帰ります。
海からの蒸発量を100とすると、そのうちの92がそのまま雨で海に戻ります。
一方、地表からの蒸発量は16くらいで、海からの分と合わせて24が地表に降ってきます。
そして、それらは河川や地下水として流れたり、植物や土壌に蓄えられたりします。
このように、地表全体では、蒸発する量より雨で降ってくる量の方が多くなりますが、地域によっては逆転しています。
日本や東アジア、東南アジアでは降雨量の方が多いですが、中近東とかアフリカ、北アメリカ中西部等では、蒸発量の方が多くなります。
(実際は降雨量以上に蒸発するわけではないのでほぼ同じですが)
雨量より蒸発量の方が多い場合は、乾燥しがちな気候となります。
こうしたところでは、塩類集積という現象が起こり、植物が生育できなくなることがあります。
塩類集積とは、雨水が土の中に入ってミネラルや塩素イオン、硫酸イオンなどを溶かし、その後の乾燥で毛管現象によって、これらのイオンが土の表面に上がって濃化してしまう現象です。
日本では雨が多いため、ハウスとかを除けば、このようなことは起こりにくいです。
従って、このような豊富な水を利用して、水田で水を溜めて、雑草を抑えたり連作障害を防いだりするのに使っています。
欧米の畑作とかでは、植物の生長のために必要な分の水のみを施すのが基本なので、日本のような水の使い方は贅沢にも見えます。
しかし、必ずしもそうともいえません。
日本は山が多く平野が少ないので、雨が降っても、何もなければすぐに海に流れてしまって利用できません。
そこで昔の人は棚田を作ったり、等高線に沿ってため池や用水路を張り巡らしました。
そこで一旦水をため、徐々に下流側まで流します。
そして、その流れを利用して水車をつくって動力源にしたり生活用水にしたりと有効活用しました。
昔の人の不断の努力が、農業に好適な土地を作り上げたのです。
それが、今では開発が進んで、農業に好適な土地が工場や宅地に取って代わっています。
たいへん、勿体ないことと言わざるを得ません。
外国では、地下水の浪費や汚染による水質の悪化など水不足が深刻となっています。
日本でも、このまま山林の乱開発により貯水効果が失われてきている上、異常気象等で降雨量も減る傾向にあります。
さらに首都圏では過度な人口集中により、必要となる生活用水が増加しています。
最近ではエネルギ問題が大きく取り上げられていますが、水も重要かつ喫緊の問題になりつつあります。
水の使い方について、今一度見直してみることも大切でしょう。
<参考にした本>
駒村正治 中村好男 桝田信彌 土と水と植物の環境 理工図書
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