農道を車で走っていたら、田んぼが一面黄金色に色づいています。
当地ではビール麦が植えられているのです。
一年二毛作なので、間もなく刈り取られ、そしてすぐに稲が植えられます。
マーラーという作曲家の交響曲第2番の歌詞に、自分が死ぬのを麦が刈り取られるのになぞらえているところがあります。
死にそうになっている人に、神からの声が聞こえてきます。
おまえは種蒔かれ、ふたたび花咲く。
刈り入れの主は歩き、
我ら死せる者らの
わら束を拾い集める。
麦たちは死ぬのではなく、新しい種として復活するわけです。
生物学でも、生物は遺伝子を乗せる小舟のようなものと例えらます。
遺伝子を次世代に繋げるというのが生命の役割です。
農業をしていると、意識的にせよ無意識にせよ植物、昆虫、鳥獣などなど色んな生き物を殺生しなければなりません。
例え害虫でも、踏み潰す時には多少の後ろめたさを感じます。
あるいは、手塩にかけて育てた麦や米や野菜も、収穫する際には感謝よりも先に殺生による後ろめたさを感じます。
害虫にも作物にも次世代への遺伝子の継承も願わずににはいられません。
よみがえる、そうだ、おまえはよみがえるだろう、
私の塵よ、短い憩いの後で。
おまえを呼ばれた方が
不死の命を与えてくださるだろう。