アスパラガスの畝の草をずっと取っています。

 単純労働なので、取りながら、ぼうっと昔聞いた話を思い出しています。

 雑草というと、何となくよいイメージもありますね。

「雑草のような人」というとねばり強い人とか、下積みから叩き上げた人とか。

 でも、外国で「雑草のような人」というと悪口以外の何ものでもないそうです。

 日本は、ヨーロッパ等に比べると高温多湿で雑草の害は格段に多いのに。

 これは、日本が自然災害が多いためだそうです。

 地震や津波、台風など、災害のオンパレードです。

 これらの災害の前では雑草も人も皆同じようにはかない存在。

 今は雑草と人間は敵対していますが、実は同じ自然の猛威の前の卑小な存在であり、仲間です。

 だから雑草にも感情移入でき、尊敬の対象にもなる、ひいては草木国土悉皆成仏(草木や国土のような心をもたないものもすべて仏となりうる)という思想に結びついたのだそうです。

 そんなことを考えながら草を取っていくと、単なる邪魔な物質でしかなかった草に何となく親しみも湧いてきます。

 親しみを感じたものを除去する、というのも何だか矛盾した気持ちではありますが。