人生は全て選択で成り立っている。分岐点は必ず自分で決める。

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行動しない限り変化なし!選択こそ最大の勇気!

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マンガの主人公までは思いませんでしたか?

しかし私はとても充実した生活期待して
中学校に入学しました。

まるで進研ゼミのマンガのようですね!



中学では部活ではなく、クラブチームで真剣にサッカーに向き合うと決めていました。


成長時期のこの年代は、サッカーをする上で大切な要素である
体力作りがメインとなってきます。

私は身長150センチ。
クラブチームでは小柄な方だったので、
一年からクラブチームのスタメンに入ることはできませんでした。


しかし技術では負けていない。
そう自分に言い聞かせて、必死に練習を続けていました。



強豪のクラブではないチームとはいえ、練習はプロを目指すカリキュラムがくまれています。

中学校一年生から一週間全てが練習日。
平日は学校が終わり次第、自転車で40分かけて練習場へ。
終わる時間は21時をまわり、帰りは22時以降になります。


土日は練習試合やグラウンド整備。
何もなければ10キロ走らされて解散。


辛くないメニューが全くありません。
ずべてがサッカーに関係があるのに、
サッカーが大好きだった私は、少しずつサッカーが嫌いになりかけていました。


夏の合宿は特に地獄でした。
朝5時からランニング。夜は22時まで筋肉トレーニング。

唯一楽しみにしていた食事でさえ、無理やり食べさせられる。
ご飯は食べてる途中に増やされ、なんど食べても減らせない。

食べてるふりをさせないために、吐くまで食べさせられます。
朝ご飯でさえ3杯はご飯をおかわりしなければいけません。



全て監督の指示であり、全てサッカーのためだと豪語していました。
監督は元プロサッカー選手であり全国でも名が知れている人だったので、
保護者でさえ監督に反抗することはありませんでした。



私は走りこみで嘔吐。食事で嘔吐。筋トレで嘔吐。

小柄な私にとって本当に地獄のようなメニューであり、
サッカーを嫌いになるためにクラブチームに入団したようでした。


それでも夢を諦める気持ちがでてきません。
「逃げるのは簡単だ」と毎日監督に言われ続けていたし、
監督に負けたくないという強い気持ちが芽生えていたからです。

絶対に逃げない。サッカーは嫌いになりたくない。


その気持ちが継続した結果、日々の練習が評価されレギュラーにもなりました。
海外強化合宿にも誘われ、数ヶ月間ブラジル留学もしました。



私はまた充実したサッカー人生が得られる。
監督の厳しい練習にも慣れ、夢に思いっきり向かえる。

そう思うと毎日が凄く楽しくなり、嫌いになりかけたサッカーがまた大好きになりました。










しかし、中学二年の夏。
私は練習中に腰を曲げてしまい、腰にヒビが入ってしまいました。
えびぞりです。生まれて初めて真正面からかかとを見ました。



この瞬間に、私のサッカー人生が終わりました。
もう二度とサッカーを本気ですることができなくなりました。



私はこの時、病室でひとり、自分の今までのサッカー人生を思い返しました。
小学校で知ったサッカーの楽しさや、サッカーのおかげでできた仲間。
みんなで味わった感動や悔し涙。


これで終わったんだなと思いました。



しかし
後悔はありませんでした。涙もありませんでした。


結局どんなに歯を食いしばっても、どんなに好きなものでも、
どんなにお金や時間をつかっても、運命は決まってた。

夢を追っていたことに対しては後悔はない。
けど夢でさえ運命には勝てなかったのかな。

もうこんなに本気で頑張ることって見つからないだろうな。


そんなことしか頭に浮かびませんでした。



腰は半年で日常生活に支障がない程度まで回復。
学校も通えましたが、それ以外なにもできなくなりました。

今までの一年間は学校の印象が薄いせいかクラブチーム、家だけの往復生活をしていたので、
学校では話をする友達が少ないことに気づきました。


夢もなくなった私は何かをする意欲すらありません。
サッカー少年とは全く正反対の人間になってしまいました。




さらに拍車をかけるような出来事がすぐにおきました。



学校で声をかけてきたある人との出会いが、私の人生をさらに大きく変えることになります。




また続き書きます^^