猫(家族)のいる生活はとてもいいものです。

のり助の病院も今週末で終了します。

連休のおかげでいまだに通常業務に戻らない日々・・・

毎日、家に帰るのも遅くのり助にはいつも寂しい思いをさせています。

今日は昼飯も食わずに走り回ってて空腹の中、頭をよぎったのは

もう数十年前、地元にあった「ふじや弁当」の「からあげ弁当」

「ふじや」さんはオラが幼稚園の頃。

自営業で共働きだったので毎朝ながいパン

「ナイススティック」と「牛乳」を母親に連れられて買いに行っていた。

たまに買ってくれる「コーヒー牛乳」が嬉しかったのをおぼえてる。

毎朝パンと牛乳を買いに行くお店「ふじや商店」

いまだに何屋さんだったのか思い出せない。

「ふじやさん」はおじさんとおばさんの二人でやっていた。

おじさんはとても大きく顔は黒くお世辞にも客商売向きではない人

パット見たらおっかない位、安岡力也みたい。

おばさんはおたふくのお面みたいな人だった。

そんな「ふじやさん」が突如オラが小学生くらいの頃

お弁当屋さんに変った。

幼稚園を出てからはあまり買い物にも行ってなかったからびっくりした。

同じ商店街だったのもあり、お弁当を買いに行った。

お店の半分を厨房に改造して「米はこしひかり」とか書いてあったのを覚えてる。

お弁当を買いに行くと「こここれでも読んで待ってて」と古い「マガジン」とか

を持ってきてくれた当時でも何十年も前の古雑誌。

おじさんはしゃべると「どもる」人だった「どもる」って方言かな

オラの事も「のののののんちゃん」って言ってた。

子供の頃から可愛がってくれていたからいくつになっても「ちゃん付け」だった。

中には「三つ目がとおる」とか「ブラックジャック」とか

同年代では知るわけもない漫画を読んで待っていた。

お弁当が出来ると本と一緒に持って帰って食べていた。

息子さんが読んでいた本なのか弁当を買いに行くたびに貰える事が楽しみだった。

一番人気は「からあげ弁当」

とてつもなく大きな「から揚げ」が4~5個入っていてご飯と二層のお弁当。

から揚げはフタが閉まらないボリュームなのに「380円」くらいだった。

おじさんも商売っ気が無い人だった。

飲食の原価率だったら50%越えない時代に

物販の利幅くらいしか乗せてなかったんだろう。

その後、少し値上げしたけどそれでも安く大繁盛していた。

数年後おじさんが体調を崩し店が休みになり。

おじさんは旅立ったと聞いた。

店が休みになり半年以上過ぎ息子さん夫婦とおばさんで店を再開したけど

数年で閉店した。

薄利多売で頑張っていたおじさん。

思ったより利益の出ない重労働。

嫌気が刺すだろうな。

なんであの時代の人たちはあんなに頑張れるのだろう。

つらい体を引きずって、たいした見返りも求めず。

料理なんかしそうにないおじさんの作るお弁当

あのでっかい「からあげ」「めちゃくちゃうまいからあげ」

がまた食べたいな