日本の国際政治学は、とくに理論研究において、英米の国際関係論からの輸入により発展してきたとよく言われます。確かに、それは否定できないでしょう。日本国際政治学会の機関紙『国際政治』に掲載されている、理論系の論文には、英米、とりわけアメリカの理論研究の成果が、頻繁に引用されているからです。また、著名な海外の理論研究者に焦点を当てた研究も数多く発表されています。そのため日本の国際政治学なるものは、輸入学問に止まっているというフレーズが繰り返し引用されています。しかし、わたしがここで下す結論は、そうではありません。「輸入さえ不十分に止まっている」ということです。そして、その弊害はとんでもなく大きいと思われます。
輸入を阻んだ道徳主義
その一方で、私が常々不思議に思うのは、輸入に大きな偏りがあることです。誰も思いつかなかったような直観に反する出来事を説明する学説(≠俗説)を打ち出した研究や広く認められている先行研究や通説を覆す研究は、それがどのようなものであっても、学問の価値中立性を重んじるのであれば重要なはずです。なぜなら、社会科学としての国際政治学は、ロジックとエビデンスに基づいて、新しい知見を得るために研究されるべきだからです。
そして、それが斬新で画期的かつ説得的であれば、たとえ政治的に不愉快な発見であっても、高く評価されなくてはなりません。ましてや理論研究は、そうでしょう。「研究が正しいかどうか」と「政治的に正しいかどうか」は、本来は、別物であるはずです。戦争や軍事研究だって同じでしょう。もちろん、これらは「暴力を正当に独占する国家」と人間の生死を左右する事象を扱うため、道徳や倫理とより深く関係しますので、このことに政治学者は自覚的であり続けるべきです。
しかし、道徳的に問題があるから存在を認めないという姿勢は「道徳主義の誤謬」にほかなりません。たとえ嫌悪される不正義であっても、その事実を明らかにすることで道徳に活かすのが、正しい科学者の姿勢でしょう。にもかかわらず、驚くことに、アメリカを中心とする海外の国際政治学界で広く認められた研究成果であっても、社会科学方法論への勘違いや政治的正しさなどの懸念があったためか、日本にほとんど受容されなかったものがいくつもあるのです。これで、「輸入学問」といってよいのでしょうか。
輸入が遅れた3冊の名著
日本の国際政治学界で看過されてきた代表的な世界的研究成果が、少なくとも主に3つあります。第1が、トーマス・シェリング(河野勝監訳)『紛争の戦略(The Strategy of Conflict)』勁草書房、2008年〔原著1960年〕です。第2が、ケネス・ウォルツ(河野勝・岡垣知子訳)『国際政治の理論』勁草書房、2010年〔原著1979年〕です。第3が、ロバート・ジャーヴィス(阿部大樹訳)『国際政治における認知と誤認知』みすず書房、2025年〔原著1976年〕。いずれも政治学/国際関係論の現代古典であり、これらの分野の学部や大学院では、必読書に挙げられるのが頻繁です。にもかかわらず、わが国で日本語訳が出版されるまで、どれも約半世紀(!)かかっているのです。いうまでもなく、これらの名著を訳出してくださった先生方には、本当に頭が下がる思いである一方ですが、この学界に古くからいるものにとっては、もしその仕事の1つが優れた海外の学術成果を日本に紹介することを認めるならば、自分も含めて猛省すべきではないでしょうか。
『紛争の戦略』から目を逸らした高い代償
この記事では、上記の3冊の中で最も古いシェリング『紛争の戦略』の意義と未輸入のツケを解説します。ウォルツ氏の著書と研究については、以前に、ある記事でも取り上げましたので、詳しくは、そちらをお読みください。
なお、ジャーヴィス『国際政治の認知と誤認知』の主な内容は以下のようなものです。かれは本書で国際政治の本質的な対立のダイナミズムを「スパイラルモデル」(意図せざる結果として現状維持国同士が対立を深めてしまう悲劇)と「抑止モデル」(現状打破国の侵略を現状維持国が威嚇などで思いとどまらせること)で解明するとともに、国家の政治や軍事の指導者が「確証バイアス」(自分の信念に反する情報を受け付けたがらないこと)などにより判断を間違う結果、戦争などを引き起こしてしまう心理メカニズムを明らかにしました。これは政治心理学の先駆的な学術書なのです。にもかかわらず、邦訳が遅れたのは、「訳者あとがき」にあるように、「ジャーヴィスが…原爆投下に言及せず、それについてのエクスキューズの一つもないことは異様に感じられる」(587頁)からだったのでしょうか。
閑話休題
『紛争の戦略』の核心部分は「偶然性に委ねられた脅し」(第8章)です。これは核兵器の応酬になった場合、その損害やリスクは桁違いに大きく、あまりにも危険であるがゆえに、この奈落の淵に滑り落ちそうなメカニズムが存在すること、それを完全に制御できないこと自体が、全面核戦争を抑止する脅しになるという命題です。そして核武装国はこうしたエスカレーションへの恐怖に囚われて、危機から手を引くことになるとシェリングは考えました。その後、ウォルツ氏は「いかなる国家も、(核)報復が非合理的である場合でも相手側がそれを自制することへの確証をもつことができないし、相手の常識に大きく賭けることもできないのだ」と的確に理解して、自らの研究に取り入れました。ジャーヴィス氏は、この仮説を「核革命論」にまとめました。

Google Scholarでシェリング氏の『紛争の戦略』(原書)の被引用回数を簡易検索で調べてみると、約24700回でした。これはウォルツ氏の『国際政治の理論』(原書)の約21000回、そしてリアリズムの巨人であるハンス・モーゲンソー氏による『国際政治』(原彬久監訳)岩波書店、2013年(原著1948年)の25000回に、ほぼ匹敵します(すべて2025年10月4日時点)。ちなみに、ジャーヴィス『国際政治における認知と不認知』(原書)は約12000回でした。
にもかかわらず、シェリング氏のこの研究は、日本にあまり「輸入」されなかったのです。モーゲンソー氏は、多くの日本人研究者の注目を集め、そして日本に受け入れられてきました。他方、シェリング氏は、そうではありませんでした。この違いに関心がある読者の方は、Googleで「ハンス・モーゲンソー」と入力して調べてみてください。日本人研究者による、いくつもの著書や論文がヒットします。ところが、「トーマス・シェリング」でググると、そうではないのです(シェリング氏がノーベル賞受賞者なのを考慮すると、このことは奇異にさえ感じます)。なぜ、こうも違うのか。これはパズルにほかなりません。なぜ、これほど重要な研究成果が、日本にほとんど「輸入」されなかったのでしょうか。
政治的に正しくなかったシェリング氏?
このパズルに対する私の仮説は、「シェリング著『紛争の戦略』は、日本において政治的に正しくないとみなされた」というものです。『紛争の戦略』が初めに出版されたのは、1960年でした。この当時の日本は安保闘争で政治的な混乱にありました。その後は、ベトナム反戦運動が、いわゆる「進歩的知識人」や学生を中心に、激しく展開されます。大学学園紛争もありました。そのような政治的状況こそが、日本の国際政治学界やアカデミズムにおいて、以下の主張を展開するシェリング氏の研究を事実上拒否することにつながったのでしょう。
「抑止などの戦略に関して頼れる既存の理論体系は存在していなかった…なぜこのように理論的な発展が遅れてしまったのか。思うに、それは学界で軍部のカウンターパートとなる存在が現れてこなかったからである。…果たして、プロの職業軍人に対応するアカデミックカウンターパートはいるのだろうか。…問題は、軍事問題や外交のなかでの軍事力の役割を探求する学部や研究が大学においてもなかった点にこそある」(同書、7-8ページ)。
大学で軍事戦略、すなわち暴力の使い方を研究すべきと主張するシェリング氏は、当時の日本では(そして、おそらく今も)「政治的に間違っていた」のでしょう。何しろ、日本学術会議が「軍事目的のための科学的研究をおこなわない声明」をだしていたくらいです。だからこそ、日本の国際政治学界でも、永井陽之助氏など、ごく一部の学者を除き、シェリング氏の研究を避けたのではないでしょうか。
他方、モーゲンソー氏が「リアリスト」であるにもかかわらず、日本で受け入れられたのは、彼の研究が国際政治学の金字塔であったことはもちろんですが、「外交における慎慮」を重視していたことに加え、「ベトナム反戦」の姿勢や言動、「核兵器に対する否定的見解」が、当時の日本の政治学界を覆っていた「価値としての平和」と親和性を持っていたからではないかと思います。かれの主著『国際政治(Politics among Nations)』が翻訳されたのは、アサヒ社版が1963年、福村出版版が1986年です。
無視してはいけないフロントランナー
シェリング氏のもう1つの名著『軍備と影響力』(斎藤剛訳、勁草書房、2018年〔原著1966年〕)も、『紛争の戦略』と同様に、原著刊行から約半世紀たって、ようやく日本語に翻訳されました(前者については、わたしが赤木莞爾・国際安全保障学会編著『国際安全保障がわかるブックガイド』慶應義塾出版会、2024年、178-179頁で解説していますので、ぜひ、お読みください)。訳書が出版されることを「輸入」のゴールとするならば、生産地から日本にとどくまで、随分と時間がかかったものです。このことは、私にダーウィンの進化論の軌跡を思い出させます。ダーウィンの「自然選択」の理論は、キリスト教が信仰されているイギリスにおいて、「宗教的に正しくなかった」ために、発表までに時間がかかったのみならず、学説の確立まで長い時間を要しました。
私には、この点において、シェリング氏がダーウィンに重なって見えます。進化論なくして、後の生物学の発展は考えられないでしょう。同じように、シェリング氏の「戦略的相互作用の(ゲーム)理論」なくして、現在のアメリカの国際政治学(国際関係論)の進展はなかったでしょう。外交における軍事力の効用とは何か、約束をどう守らせるか(コミットメント問題)、国家は決意をどう正しく伝えるのか、核兵器の政治的役割とは何か、核抑止はどうすれば安定するのか。これらの研究課題は、シェリング氏がほぼ設定したものであり、それを後進たちが受け継いで研究を進展させているのです。こうして学問の知見は蓄積されながら、少しずつ進歩します。なお、シェリング氏が先頭に立ち、ウォルツ氏、ジャーヴィス氏の「三巨頭」は、相互に知的交流を続けながら学び合っていました。彼らの本を読むと、その足跡がいたるところに見つけられます。
シェリング氏をキチンと「輸入」しなかった日本の国際政治学は、大きなツケを払ったと思います。
*カバー写真はシェリングのウィキペディアより。