「もしもボックス」は、マンガ『ドラえもん』に登場する「ひみつ道具」です。これはドラえもんがのび太に願望を実現するために提供しています。のび太が、この電話ボックスに入り、受話器に向かって「もし〇〇だったら」と話すと、その通りの世界を体現できるのです。こうした仮想世界を考えて、さまざまな要因が出来事に与えた影響を明らかにすることは、社会科学では「反実仮想分析」と呼ばれています。これは単なる妄想ではなく、結果をもたらした原因、とりわけ必要条件を特定するときに使われる立派な方法です。

 

ここでは反実仮想分析により、「もしアメリカの政策決定者が『リアリスト』であったら、世界はどのようになっていたであろうか」をテーマにして、戦争と平和の問題を考えてみましょう。なお、このブログ記事は、『毎日新聞』政治プレミアに掲載された「リベラルではなくリアリストならウクライナ戦争は防げた」に加筆したものであることを最初にお断りしておきます。結論から先に述べれば、リアリストと呼ばれる人たちが、ワシントンにおいて政策を決めていたならば、イラク戦争は起こさなかったであろうし、アフガニスタン戦争を泥沼化させることも、リビアの人道危機も悪化させることもなかった、それのみならずウクライナ戦争もなかった、もしくは、もっと早く終結できた、ということです。つまり、リアリストの世界は今より平和であった可能性が高いのです。

 

このことについて、政治学者のスティーヴン・ウォルト氏(ハーバード大学)が、興味深いエッセーをアメリカの外交専門誌『フォーリン・ポリシー』に寄稿しました。タイトルは「リアリストの世界だったなら、どうなっていただろうか」です。リアリストとは、国際関係をパワーと利益から読み解く学派の人たちの総称です。そのリアリストの一人であるウォルト氏は、「リアリズムの予測は冷戦後の米国外交政策を支配してきたリベラルやネオコンの主張より明らかにマシだ」と断じています。以下は、かれの主張のポイントをわたしが加筆してまとめたものです。

起こらずに済んだウクライナ戦争―NATO拡大という過ち―
第1に、ロシアのウクライナ侵攻は起こらなかった可能性があります。なぜなら、リアリストがワシントンの外交政策立案者であったならば、NATO(北大西洋条約機構)という軍事同盟をロシアに向かって拡大しないので、ロシアとアメリカや西欧諸国の関係、ひいてはロシアとウクライナの関係は異なっていたからです。今では忘れられがちですが、冷戦後、ロシアとヨーロッパ諸国は「平和のためのパートナーシップ」により協調的に共存していました。それを壊したのは、アメリカのリベラル覇権戦略の一つだったNATOの東方拡大です。これがロシアと米欧の関係を後戻りできないほど悪化させたのです。

・NATO拡大に反対するリアリスト vs. 賛成するリベラル
アメリカ外交の賢人とうたわれたジョージ・ケナン氏が、NATO拡大はロシアとの関係を決定的に悪化させるので反対であり、「致命的な間違いだ」と強く主張していたのは有名です。ジョン・ミアシャイマー氏(シカゴ大学)も、ウクライナ危機が悪化する以前から、NATO拡大とウクライナへの軍事支援の行き着く先は、ウクライナにとって「いばらの道」になると反対していました。このようにリアリストはNATO拡大に反対だったのです。

その一方で、「リベラル派」はNATO拡大を進めました。その一人がビル・クリントン元大統領でした。かれは、雑誌『アトランティック』でのインタビューで、「我々がロシアを無視し、敬意を払わず、孤立させようとしたという考えは間違いだ。確かに、NATOはロシアの反対にもかかわらず拡大したのだが、拡大はアメリカとロシアの関係以上ものだった」とやや言い訳がましく述懐しています。

 

これはクリントン政権の身内からも批判されています。同政権で国防長官を務めたウィリアム・ペリー氏は、アメリカは過ちを素直に認めるべきだと言っています。クリントン政権時に職を辞す覚悟でNATO拡大に反対したペリー氏は、アメリカがロシアを追い詰めたことは失策であり、ロシアのウクライナ侵攻の遠因になったと自戒を込めて告白しています。少し長くなりますが、彼の悔恨を以下に引用します。

「私たちは、平和のためのパートナーシップと呼ばれる NATO プログラムを通じて、すべての東ヨーロッパ諸国との共同プログラムを開始した。平和のためのパートナーシップにより、ロシアやその他の東ヨーロッパ諸国は、NATO のメンバーになることなく、NATO と協力することができた…しかし、多くの東ヨーロッパ諸国が実際の NATO 加盟を熱望していたため、クリントン政権は NATO の拡大に関する議論を開始した。ロシアは提案された境界の変更に反対を表明したが、その見解は無視された。その結果、ロシアはNATOとの協力的なプログラムから撤退し始めたのだ…NATO の拡大に対するロシアの強い見解を無視したことは、西側諸国がロシアの懸念を真剣に受け止めていないという一般的なロシアの信念を強化した。実際、西側諸国の多くは、ロシアを冷戦の敗者としてしか見ておらず、私たちの尊敬に値しないと考えていたのだ」。

にもかかわらず、クリントン政権でNATO東方拡大が決定されたのは、東欧にルーツを持つ「民主主義の擁護者」といわれた、もう一人のリベラル派の大物マドレーン・オルブライト国務長官の影響が強かったと言われています。彼女は、NATOによるユーゴ空爆を主導するとともに、この軍事同盟の拡大に尽力しました。当時、NATOの東方拡大はロシアを刺激するという一定の懸念がアメリカ議会に存在していたのですが、こうした懸念に対して、彼女は、東ヨーロッパ諸国がNATOに加盟しなければ、これらの国家は軍事力を強化したりロシアに対抗する軍事的取り決めが結んだりして、かえってロシアとの緊張を高めることになると主張しました。したがって、オルブライト氏の論理では、NATOを東方に拡大したほうが、ヨーロッパは安定するのみならず、ロシアを脅かさずに済むということになります。

 

・ロシアとの関係を悪化させたNATO拡大

こうした彼女の主張は、ロシアが一貫してNATO拡大に反対してきたことと矛盾するにもかかわらず、ワシントンで勝利を収めた結果、NATOは東方に拡大することになりました。しかしながら、そもそもロシアの前身であるソ連を仮想敵とするNATOがロシアに向かって拡大すれば、ロシアが必然的に脅威に感じるのは自明でしょう。このことについてNATO研究者の金子譲氏は、オルブライト氏の「NATOは軍事同盟であって、社交クラブではない」という発言を引きながら、NATO東方拡大により「冷戦の終焉やCFE条約の調印によって減退した筈のNATOとの緊張が高まることも必至であった」と当時の論文で述べています。

NATO拡大とロシアのウクライナ侵攻の因果関係については、それを肯定するリアリストと否定するリベラルとの間で、今後も研究と論争が続くことでしょうが、入手できる証拠は、NATO拡大がロシアの反発を招いた結果、ウクライナをめぐる危機につながったことを強く示唆しています。ここではウクライナ危機が先鋭化した2014年の「マイダン革命」を取材した『ガーディアン』誌の当時の記事を紹介します。

「ウクライナにおいて…レーガン時代以降初めて、アメリカは世界を戦争に巻き込むと脅している。東欧とバルカン半島がNATOの軍事拠点となり、ロシアと国境を接する最後の『緩衝国家』であるウクライナは、アメリカとEU(ヨーロッパ共同体)により放たれたファシストの力により引き裂かれようとしている」。

アメリカ政府が親露派のヤヌコビッチ大統領の失脚にどのように関与していたのか、詳細はいまだに明らかにされていませんが、これがプーチン大統領を「クリミア併合」へと駆り立て、ウクライナ侵攻の序章となった可能性は否定できないでしょう。ロシア研究者のスティーヴン・コーエン氏は、当時のオバマ政権が「恥ずべき」内政干渉をウクライナに行なったことを批判し、「ロシアがウクライナで米国やNATOとの戦争を引き起こす可能性がある」と予見しました。すなわち、ロシアはウクライナが西側に取り込まれることを「レッド・ライン(超えてはならない一線)」とみなし、NATO拡大を阻むためにウクライナに侵攻したとリアリストや一部のロシア研究者は主張しているのです(下斗米伸夫『プーチン戦争の論理』集英社、2022年、55頁も参照)。

 

そうであれば、もしアメリカがNATOをロシアに向かって拡大しなければ、ロシアとの関係が劇的に悪化することもなかった結果、ウクライナ戦争も起こらなかったという「反実仮想」は、十分に成り立つと考えられます。

不要だったイラク戦争と避けられたアフガニスタン戦争の泥沼化
第2に、リアリストはアメリカによるイラク侵攻に「不必要な戦争」であるとして反対でした。その主な理由は、サダム・フセインのイラクは湾岸地域で覇権を打ち立てるほどの力はないので封じ込められること、イラクへの軍事侵攻と強引な民主化はアメリカの国益ではないことです。しかしながら、「軍事力を行使してでもアメリカのように世界を変える」と意気込む「ネオコン」が中枢を占めるブッシュ政権は、イラク戦争を始めてしまいました。その結果は、約200兆円の戦争関連の費用約27-30万人の死者と今も続く政情不安です。

第3に、リアリストのアメリカがアフガニスタンに深入りすることもなかったでしょう。なぜならば、アフガニスタンはユーラシアで地域覇権を打ち立てる能力などないので、この国がアメリカの生き残りを根底から脅かすこともないからです。つまり、アフガニスタンとの戦争は、アメリカの革新的な国益に合致しないので、やるべきではないということです。このことについてアンドリュー・ラーサム氏(マカレスター大学)は以下のように述べています

 

「リアリストの観点からすれば、アフガニスタンの陥落は戦略的大失敗にはならない。大国間競争の新時代においては、いかなる国であれ、それがユーラシア大陸の中心部やペルシャ湾を支配することを阻止することが、アメリカの大戦略の目標であるべきだ。タリバンに支配されたアフガニスタンは、米国に勝利したことで奮起し、反乱の道を歩むことになるが、そのような支配を達成しようとするロシア、中国、イランの努力を弱体化させる可能性が高いのだ」。

 

9.11同時多発テロのインパクトを考えると、アメリカはアルカイダを匿ったタリバン政権への何らの「報復措置」を発動したでしょうが、リアリストならば、死者約24万人、約231兆円を費やすアフガンの平定作戦を20年間も続けることには、間違いなくならなかったでしょう。全てがアフガニスタン戦争に起因するわけではありませんが、アフガニスタンの状況は戦争前より悪化しました。アフガニスタン人の苦境を戦前と戦後で比較すると、食糧不足は62%から92%、5歳以下の栄養不良は9%から50%、貧困率は80%から97%にいずれも増えています。要するに、アフガニスタン戦争はアメリカとアフガニスタンのどちらの国益にもならない無駄だったということです。

悪化したリビアの人道危機
第4に、リアリストがワシントンを支配していたならば、リビア人道危機の悲劇も起きなかったでしょう。これはリベラル派のオバマ政権が「人道的介入」の名のもとに軍事介入した結果の惨状でした。このことはアラン・クーパーマン氏(テキサス大学)が以下のように批判しています。

「NATOが軍事介入するまでには、リビア内戦はすでに終わりに近づいていた。しかし、軍事介入で流れは大きく変化した。カダフィ政権が倒れた後も紛争が続き、少なくとも1万人近くが犠牲になった。今から考えれば、オバマ政権のリビア介入は惨めな失敗だった。民主化が進展しなかっただけでなく、リビアは破綻国家と化してしまった。暴力による犠牲者数、人権侵害の件数は数倍に増えた。テロとの戦いを容易にするのではなく、いまやリビアは、アルカイダやイスラム国(ISISの)関連組織の聖域と化している」と。

こうした反実仮想から言えることは、冷戦後のアメリカ歴代政権の外交政策は、リベラル派の介入主義に立脚しており、リアリストの政策提言を受け入れていれば失うことのなかった人命を犠牲にして、世界をますます危険にしたということです。

リアリストの和平提案
ロシア・ウクライナ戦争でも、リアリストであるトランプ大統領がその終結に動き出すまで、ワシントンやキーウはリアリストの助言に耳を貸そうとしませんでした。この戦争でリアリストは一貫して和平交渉による戦争の終結を主張してきました。

 

元国務長官のヘンリー・キッシンジャー氏は、「時のムード」に流され、欧州におけるロシアのパワーの地位を忘れることは西側にとって「致命的」だ。ロシアは4世紀以上「欧州の本質的部分」であったし「長期的関係を見失ってはならない」と、スイスのダボス会議で警告しました。アンドリュー・ラーサム氏は「取引をする時だ。プーチンに『退路』(孫子)を提供して、彼が(長期にわたり禍根を残すような)ロシアの屈辱感を増幅させることなく戦争を終わらせるよう導くのである」と主張しています。

こうしたリアリストの処方箋は、ウクライナを無視した大国重視の非道徳的な意見だとしばしば言われます、そうではありません。ケネス・ウォルツ氏が指摘するように「大国に焦点をあてるということは、小国を見落とすことではない。小国の命運についてしるためには、大国に注目することが必要なの」です(『国際政治の理論』勁草書房、2010年〔原著1979年〕、95頁)。

的はずれなリアリスト批判
こうした和平の提案は、ウクライナの土地を犠牲にして、ロシアに利益を与える不公正なものものだと批判されがちです。確かに、ウクライナにとっては、ロシアがクリミアを含む全占領地から撤退することが最良の結果です。ゼレンスキー大統領は2022年11月18日、ロシアとの「停戦協定」案は事態を悪化させるだけであり、「ロシアは今、力を取り戻すための休息として停戦を求めている。このような休息は事態を悪化させるだけだ。真の永続的な平和は、ロシアの侵略を完全打破することによってのみ実現する」と訴えています。

しかしながら、ウクライナのロシアに対する完全勝利には疑問符がついています。アメリカの軍のトップである、マーク・ミリー統合参謀本部議長は、2022年11月16日、ロシア軍をクリミアなどを含むウクライナ全土から撤退させることを意味する「ウクライナの軍事的勝利が近く起きる確率は高くない」と述べています。同時に、彼は「ロシアが撤退するという政治的解決策が存在する可能性はある」と希望的観測を示していましたが、今や現実性に乏しいのは明確です。

皮肉なことに、ウクライナ支援者から批判されているミアシャイマー氏ほど、ウクライナの独立と主権の維持を気にしていた政治学者はいないでしょう。「ウクライナはロシアが牙をむいてきたときの保険として核兵器を放棄すべきでない」との彼の助言は、その時は孤立無援の主張でしたが、その後、ウクライナでは核武装への支持者が多数になっているようです。2024年12月のウクライナの世論調査では、回答者の約3分の2が核兵器庫の回復を支持しています。

戦争長期化の無視できないコストと第三次世界大戦のリスク
戦争が長期化すれば、ウクライナのみならず支援国にも悪影響を及ぼします。第1に、戦争の予期せぬエスカレーションは、ウクライナや西側に甚大な損害を与えるでしょう。ウクライナ戦争は、既に悲惨なものになっています。2025年6月時点で、ロシア軍とウクライナ軍の死傷者数は、約140万人に達しています。ウクライナから国外に待避した難民は、約600万人です。これに国内避難民を加えると、ウクライナ人の約4人に1人が避難生活をしていることになります。ミリー氏は、第一次世界大戦では早い段階で交渉が拒否されたため人的被害が拡大し、死傷者がさらに増えたことを前提として、「交渉の機会が訪れ、和平の実現が可能なら機会をつかむべきだ」と主張しています。

戦略や戦争の研究で必ずと言ってよいほど引用される、クラウゼヴィッツの「戦争の霧」にも注意が必要です。すなわち、「戦争は不確実性を本領とする。軍事的行動の基礎を成すところのものの四分の三は、多かれ少なかれ不確実性という煙霧に包まれている」のです(『戦争論(上)』岩波書店、1968年〔原著1832年〕、91-92頁)。ロシア軍からのミサイルを迎撃するために発射されたウクライナ軍のミサイルが、誤ってポーランドに落下してしまい、複数の民間人の犠牲者がでた出来事がありました。この事故が示唆することは重大です。ラジャン・メノン氏(ニューヨーク市立大学)とダニエル・デペリス氏は、こう警鐘を鳴らしています。

「ポーランドで起きたことは、戦争とは本質的に予測不可能なものであり、戦争を起こす側が想定しているよりも、はるかに制御が困難であることを私たちに思い起こさせる。戦争はエスカレートし、銃が発射されたときには戦闘地域でなかった場所にも広がり、想像を絶する経済的影響をもたらすことがある。戦争が長引けば長引くほど、『予期せぬ結果』の法則が働く可能性が高くなる。ウクライナでの戦争は、これを完璧に物語っている」。

要するに、ロシアとNATO諸国が衝突を望んでいなくても、意図せざる結果として「第三次世界大戦」は起こり得るということです。最悪の結果は、ウクライナでの戦争が核兵器の応酬に発展することです。これはウクライナだけでなく世界全体にとっても不幸です。2025年夏にトランプ大統領がプーチン大統領と会談して、和平の仲介に乗り出したことは、核の大惨事を招きかねない第三次世界大戦の回避というアメリカの国益を実現するためであるという視点を抜きにしては、正しく理解できません。

ウクライナの力を弱めてしまう戦争の継続
第2に、戦争の長期化はウクライナのロシアに対するバーゲニング力を弱めるでしょう。そうなると、ウクライナは今よりも不利な条件で停戦や終戦に応じざるを得なくなります。こうした懸念は、『ワシントン・ポスト』誌のコラムニストであるカトリーナ・ヒュベル氏の主張に示されています。彼女は「外交にチャンスを与えるときだろう…アメリカやNATOはウクライナ側に立っているが、支援の継続は無制限ではない」と、西側のウクライナ支援の持続性に懸念を示しています。これは今から2年以上前に書かれたものであり、実際にそうなっています。

ウクライナへ最大のサポートをしているアメリカの支援総額は、とてつもないレベルに達しました。アメリカは、ロシアが3年前にウクライナへの全面侵攻を開始して以来、同国に対する最大の軍事援助国となっており、武器、装備、財政支援を提供してきました。これまで米連邦議会が承認したウクライナへの援助は、総額1800億ドル(約26兆8800億円)以上になるのです。これは日本の国家予算(一般会計)の約4分の1に相当します。アメリカは世界第一位の経済大国ですが、これほど高額な援助をウクライナにどれほどの期間にわたり提供できるかは、350兆円もの財政赤字を抱え、インフレに悩まされるだろうことを考慮すれば不透明でした。実際、2025年7月、アメリカは、ウクライナへの兵器供与の一部を停止しました。これについて、ホワイトハウスのアナ・ケリー報道官は、「国防総省による対外軍事支援の見直しを受け、アメリカの国益を最優先するための決定だ」と説明しました。こうなる事態は予測できたことです。


ヨーロッパ協調という手本
多くのリアリストがモデルにする平和のメカニズムは、19世紀前半のヨーロッパ協調です。この時期は近代国際政治において、相対的に最も平和でした。これに尽力したカースルレーやメッテルニヒは、自分たちが絶対的な平和を求めると他国の平和を脅かしてしまうパラドックスをよく理解していました。かれらは、ヒトラーのナチス・ドイツと同等の平和の破壊者とされるナポレオンのフランスに対して、徹底的に罰して弱体化するのではなく、「寛大な」和平を結んで、大国協調システムに組み込むという外交的な離れ業を成し遂げたのです。



近代国際システムにおいて、最も平和の時期を構築した「ヨーロッパ協調」は、キッシンジャー氏が強調する「正統性」のある国際秩序でした。彼の以下の警句は、ロシア・ウクライナ戦争の終わり方を考えるうえで、参考にすべき含意があります。

「どんな国際問題の解決の場も、ある国が、自分自身に対して抱いている姿と、他の諸国が、その国に対して抱いている姿とを調整する過程を意味する…一国にとっての絶対的な安全は、他のすべての国にとっては、絶対的な不安を意味するがゆえに、そのような安全は”正統性”にもとづいた解決の一つとしては達成できない…すべての主要大国によって受け入れられている枠組みをもつ秩序というものは”正統性”があるのである。一国でもその枠組みを抑圧的と考えるような秩序は”革命的”秩序なのである…結局、フランスが、ヨーロッパ問題に参加することになったのである。なぜならば、ヨーロッパ問題はフランス抜きにしては解決できないからだった」『回復された世界平和』268ー274頁)。

ロシア・ウクライナ戦争は、いつか必ず終了します。欧米やウクライナが絶対的な安全保障を追求すれば、ロシアを戦略的に不安にします。ロシアに屈辱的な講和を押しつければ、それは将来にプーチンより過激なポピュリスト政治指導者の台頭を促しかねません。そうなるとヨーロッパは長い将来にわたり、戦争の危険が常に付きまとう不安定な状態が続くことになります。その危険を最も深刻に受けるのがウクライナであることは、言うまでもありません。くわえて、ロシアという「大国」が消滅しない限り、ヨーロッパの安全保障がロシア抜きにしては解決できない現実は、どれほどロシアを嫌悪しようとも事実として残るのです。

第一次世界大戦の和平でドイツに戦争責任を押し付けて、同国を徹底的に弱体化するとともに多額の賠償金を科すベルサイユ条約を受け入れさせたことは、ドイツ国民に屈辱感を与え、過激なヒトラー政権を誕生させる温床になったとよくいわます。

 

パリ講和会議の一員であった経済学者のジョン・メイナード・ケインズ氏は、こうした懲罰的講和はドイツの遺恨を招くと反対しました。しかし、彼の警告は無視されてしまいました。もちろん、ドイツにおけるヒトラーの台頭は単純にベルサイユ講和には結びつけられないとの反論もあるでしょう。歴史学の大家であるマーガレット・マクミラン氏(オックスフォード大学)は、ケインズ氏の主張を批判して、「ヒトラーが権力を掌握すると、ドイツは公然と賠償金をキャンセルした…大恐慌がなかったら、(ドイツの)侵略そして戦争への地滑りは起こらなかったかもしれない。悪い歴史…が教える教訓は、あまりに単純であるか、単に間違っているかのどちらかである…私たちは、ヒトラーとナチスがヨーロッパの最も強力な国家の一つを掌握しなかったら、世界がどれほど違っていたかをということを自問するだけでいい」と注意を促しています(『誘惑する歴史—誤用・濫用・利用の実例—』えにし書房、2014年〔原著2009年〕、39ー40頁)。

 

いずれにせよ、ウィーン体制とは違い、ベルサイユ体制が脆い戦間期の平和しか提供できなかったことは事実でしょう。

何も生み出さない現実逃避
このように第一次世界大戦の講和を唯一の歴史の教訓とするわけにはいきませんが、ただ一つだけ確実にいえることは、ウクライナ戦争後のヨーロッパの平和は、ロシア抜きでは構築できないということです。それでは、リアリストが考えるロシア・ウクライナ戦争の「和平」とは、どのようなものでしょうか。再度、ウォルト氏の主張を引用して、この記事を締めくります。

「この戦争は、主人公たちが当初の目的をすべて達成することはできず、理想的とはいえない結果を受け入れなければならないことを理解するまで、コストがかさむ膠着状態に陥る可能性が高い。ロシアは、ウクライナを従順な衛星国にすることはできないし、モスクワを中心とした『ユーラシア帝国』も手に入れられないだろう。ウクライナはクリミアを取り戻すことも、NATOに完全加盟をすることもできないだろう。アメリカは、他の国家をNATOに加盟させることをいつかは諦めなければならないだろう。しかし、真の策略は、当事者が永続的に共存し、機会を見て覆そうとしないような解決を考案することだろう。これは非常に困難な課題であり、賢明な人々が、そのような合意がどのようなものであるかをより早く理解し始めれば、もっとよいだろう」。

 

今こそリアリストの助言を政策として実現するときです。「もしも、あのときリアリストの言うことを聞いていれば」と、将来の人たちに嘆かれないようにするためにも。