アメリカのトランプ大統領そして日本の高市首相が、ASEAN(東南アジア諸国連合)の関連会議に出席しました。その1つの主な共通目的は、膨張する中国を「封じ込める」ために、ASEANを日米側に引き寄せることです。

 

中国に傾くASEANへの日米の巻き返し

このことを両首脳は、「自由で開かれたインド太平洋(Free and Open Indo-Pacific: FOIP)」という概念を使い、間接的にASEAN諸国に訴えました。トランプ氏は「自由で開かれ、繁栄するインド太平洋のために取り組む。米国は100%共にあるというのがメッセージだ」と力強く宣言する一方で、高市氏は「ASEANと共にインド太平洋地域の平和、安定、繁栄を守り抜いていきたい」と意欲を示しました。要するに、日米ASEANが団結することで、台頭する中国の現状打破行動を協力して抑止するという狙いが、これらの発言には込められています。

 

問題は、ASEAN諸国が日米の呼びかけに応じて、中国に対するバランシング行動をとってくれるのか、ということです。これに対する不安材料はたくさんあります。2024年のある調査では、「東南アジア諸国連合が、米中のどちらかを選ばざるを得ないとすれば、どちらとの連携を選ぶべきか」との質問に、回答者の過半数が中国を選んだという衝撃的な結果が明らかになりました。アメリカのバイデン前大統領はASEAN特別首脳会談(2022年5月)で、海洋安全保障などで東南アジア諸国との協力を深めるため、約190億円の支援策を表明し、関係強化を訴えました。しかし、これはアメリカによるウクライナ支援は5兆2千億円(2022年度予算の追加支援)ですから、ASEAN支援はかすんでしまいます。

 

ヘッジング戦略

国際関係論では、バランシングでもバンドワゴニングでもない、ASEAN諸国の一般的な行動パターンをヘッジングと説明することがあります。この目的は、アメリカと中国の間で戦略的選択を迫られるのを避けて、特定の大国だけに依存するリスクを減らし、自律的な外交政策決定の維持を可能にすることです。ASEANは総じて、アメリカに安全を頼る一方で、中国と経済上の互恵関係(貿易など)を維持しています。上記のこうしたエビデンスは、ASEANが中国側につきつつある(バンドワゴンしている)との説明を導きそうですが、中小国の戦略行動はそう単純でないということです。

 

これからヘッジングについて、そのロジックを明らかにしますので、少し長い解説になりますがお付き合い下さい。

 

国際関係の主要理論は概して大国の行動を説明することに主眼があるため、中小国がとる戦略の分析に、うまくあてはまらないことがあります。国家の行動を教科書的に分類すれば、それらは主に①バランシング行動(台頭国への対抗行動)、②バンドワゴニング行動(脅威となる国に近づき分け前を得る行動)、③バックパッシング行動(対抗措置をとる「責務」を他国に転嫁する行動)となるでしょう。

 

もちろん、これらのカテゴリーが、中小国の行動をまったく説明できないわけではありません。大国の脅威に直面した小国は、有効な同盟パートナーを見つけられない場合、その生き残り戦略として、大国の慈悲に期待することにより、脅威の源泉となる大国と連携する行動をとることがあります。こうした対外政策は、バンドワゴニング行動として説明できます。たとえば、第二次世界大戦後、フィンランドが採用した対ソ戦略は、バンドワゴニング行動として理解できます。

 

他方、この数十年で、東南アジア諸国の行動原理を説明する概念として「ヘッジング戦略」という用語がしばしば使われるようになりました(ヘッジングについては、John D. Ciorciari and Jürgen Haacke, "Hedging in International Relations: An Introduction," International Relations of the Asia-Pacific, Vol. 19, Issue. 3, September 2019が先行研究をレヴューしてまとめています。なお同号はヘッジングを特集しています)。このヘッジング行動は、大国間競争が繰り広げられる国際政治の世界において、中小国が存立を維持するために英知を結集して構築した賢い戦略であると評価できます。

ASEANはヘッジングしているのか
このヘッジング行動は、バランシング行動とバンドワゴニング行動の中間に位置づけられるようです。このようにヘッジング行動は記述的に説明できます。しかしながら、これを理論的に首尾一貫したロジックで説明する、すなわち何が独立変数(原因)で、どのような因果プロセスでヘッジング行動という従属変数(結果)を動かすのかを明らかにするのは、かなり難しい作業ではないでしょうか。言い換えれば、このあいまいな理論的な位置づけになる国家行動には、いったいどのような仮説を構築すればよいのでしょうか。

 

いうまでもなく、国家がとる行動は複合的な要因から成り立っているため、バランシング行動やバンドワゴニング行動といった「理念型」にピッタリと当てはまる事例は、むしろ少ないのかもしれません。その一方で、社会科学としての国際関係論が、複雑な事象をできるだけ単純化して、その因果関係を明らかにすることを主な使命としているのであれば、国家の戦略は、より簡潔な理論やモデルで説明されるべきでしょう。どうしても既存の主要理論では説明できない「逸脱事例」を観察した場合、その理論に別の変数を加えて複雑化することで、こうした事例を説明するのが方法論上の一般的な研究手続きといえます。

・ヘッジング論の利点と欠点
東南アジア諸国の対外政策は、国際関係の典型的な行動パターンにあてはまらないのでしょうか。デーヴィッド・シャンボー氏(ジョージ・ワシントン大学)は、そうだと主張しています。かれは論文「東南アジアにおける米中ライバル関係」("U.S.-China Rivalry in Southeast Asia: Power Shift or Competitive Coexistence?" International Security, Vol. 42, No. 4, Spring 2018)において、こういっています。

「いくつかの指標は、特定の問題に関するバンドワゴニング行動を含めて、中国が東南アジア地域全般により食い込んできていることを示しているが、わたしは、この地域における全体的な戦略バランスは流動的で競合的だと主張したい…(ASEAN)諸国は長い間、ワシントンと北京の両方とのつながりをうまく調整しようと努める『ヘッジング政策』を追求してきたのだ。ただし、2016-17年以来、ほとんどのASEAN諸国は北京にかなり接近していることが明らかになってきた」(上記論文、86-87ページ)。

シャンボー氏は中国やアジア国際関係研究の専門家です。とりわけ、中国の対外関係に関する注目すべき論文を数多く執筆しています(たとえば、「中国のシンクタンク」の分析など)。地域研究は、簡潔性をある程度は犠牲にしてでも、観察の対象をできるだけ詳細かつ正確に分析する傾向にあります。ですから、かれが地域研究者として、ASEAN諸国の行動を上記のように説明するのは理解できます。ただ、こうしたあいまいな説明には代償がつきものです。

シャンボー氏は、ASEAN10カ国の行動の特徴を複数の理念型で記述的に説明しています。かれは、これらの国々が中国にどのくらい近いかの尺度で、その政策を6つに分類しています。①「降伏主義」がカンボジアです。中国の「クライアント国家」ということです。②「チェーファー」がミャンマーとラオスになります。これは中国にかなり依存せざるを得ない国家ということです。③「連携的便宜主義」がマレーシアとタイになります。これは中国と極めて緊密な関係にあるものの、アメリカとの関係も同時に維持している国家のタイプです。④「チルター」がフィリピンとブルネイです。中国に傾いている国家ということです。⑤「均衡的ヘッジャー」がヴェトナムとシンガポールです。アメリカと防衛でつながる一方、中国とも広範な関係を維持している国家になります。⑥「外れ値」がインドネシアです。わが道を進む国家ということのようです。このように東南アジア諸国は、6つの国家行動のカテゴリーに収められています(上記論文、100-103ページ)。

こうした記述的な分析は、東南アジア諸国の行動パターンを分類して理解するには役立ちますが、そこには因果的推論がほとんど欠如しています。すなわち、シャンボー氏の論文は、ASEAN諸国の対米中戦略を整理したにすぎず、何がヘッジング政策の源泉なのかは不明なままだということです。さらには、ヘッジング行動の先行条件や拡大条件も明示されていません。

 

・ヘッジング論の矛盾と政策提言の混乱

こうした理論的な欠落は、ASEAN諸国がどのような行動をとるのかを予測する際に混乱をきたすのみならず、アメリカがとるべき戦略の提言も矛盾したものになります。たとえば、シャンボー氏は、アメリカは東南アジア地域から離れていることが、台頭する中国との競争において不利に働いていると指摘しています。そうであれば、アメリカはASEAN諸国に「接近」するべきでしょう。しかしながら、かれはこうもいっています。「多くの東南アジア諸国は、オフショア・バランサー(遠方から対抗行動をうかがうこと)としてのアメリカに視線を向けており、これはアメリカができる、とるべき1つの役割なのだ」(上記論文、127ページ)。オフショア・バランシングは、一種のバックパッシングです。つまり、アメリカがオフショア・バランシング戦略をとるということは、中国が地域覇権を打ち立てるのを阻止する「責任」を東南アジア諸国に多かれ少なかれ押しつけているのです。

 

しかし、問題は世界が米中二極になった結果、アメリカさらにASEANには中国に対抗する余裕がなくなりつつあることです。すなわち、中国がますます強くなる一方で、アメリカはオフショア・バランサーを止めて東南アジア諸国に近づくことなくして、どうやって、ASEAN諸国に対中ヘッジング行動を維持させられるのでしょうか。

さらに、シャンボー氏は「(ワシントンは)東南アジア地域において、中国を封じ込める調整された戦略を構築する、いかなる誘惑も避けるべきだ。なぜなら、どの東南アジア諸国もそのような動きには、ついて行かないだろう」(上記論文、126ページ)と警告しています。ところが、その直後に、「中国が東南アジア地域で過剰拡張して自己主張をあまりに強めてきた場合、その時は、アメリカは物理的プレゼンスを提供するとともに、東南アジア諸国にとって信頼できるパートナーとして認識される必要がある」(上記論文、127ページ)とも助言しています。

 

これは両立しない政策提言ではないでしょうか。第1に、なぜ東南アジア諸国は、中国にバンドワゴンしないで、突然、アメリカに「ついて行く」ことになるのか不明です。このような政策を提言するには、まず中国のパワーの上昇がASEAN諸国の政策選好に及ぼす因果効果を定式化しなければなりません。すなわち、東南アジアにおけるバランス・オブ・パワーが、ASEAN諸国にとって著しく不利に傾いた場合、これらの諸国は「ヘッジング戦略」を放棄して、すなわち中国との互恵関係(貿易など)を犠牲にして、アメリカとの「同盟」を模索するという仮説を立て、それが妥当であることを実証するということです。しかしながら、上記の論文では、こうした理論的な作業は行われていません。

 

第2に、こうしたアドバイスは論理的に矛盾しています。東南アジア地域におけるアメリカの「物理的プレゼンス」は、軍の前方展開のことでしょう。これは「対中封じ込め戦略」の推奨とも理解できます。にもかかわらず、かれは東南アジア諸国の同意を得られない「封じ込め政策」は、アメリカのとるべき戦略ではではないともいっているのです。ジョーゼフ・ヘラーの小説『キャッチ22』のようです。

こうした政策提言の混乱は、どうやら東南アジア諸国の戦略行動を説明する一貫した理論が、シャンボー氏の上記の研究で欠如していることに求められそうです。「ヘッジング政策」という概念は、東南アジア諸国の行動を描写するには便利な道具かもしれません。しかしながら、そのロジックには因果関係が欠けているために、残念ながら、東南アジア諸国の行動を分析できる「科学的な」ツールになっていないと思います。「ヘッジング」を国家行動の「理論」とするためには、その因果メカニズムをまずは明確にすることが必要ではないでしょうか。

 

対中封じ込めとASEAN

かつて日本は福田内閣のときに、ASEANとの関係強化へと積極的に動いたときがありました。この外交は「福田ドクトリン」と呼ばれています。今から約50年前のことでした。このときは日本が経済大国としての存在感が大きい一方で中国は「改革開放」政策を採用する前であり、さらにアメリカがベトナム戦争での敗北で東南アジアへのコミットメントを縮小していたので、「福田ドクトリン」はASEANを日米側に引き寄せる一定の役割を果たしました。

 

しかし、今では世界は大きく変わりました。現在は米中二極システムになり、アメリカと肩を並べる大国となった中国のASEANに対する影響力は、当時とは比較にならないほど大きくなりました。他方、アメリカは依然として大国ですが、ウクライナ戦争に膨大なリソースを何年にもわたり投入するとともに、中東でのガザ戦争やイランの核開発問題に拘泥して、アジアに集中できませんでした。そのため、オバマ政権で提唱された「アジアへの軸足移動(リバランス)」は、ほとんど実態を伴わない、掛け声でありつづけたのが実際でしょう。こうした負の遺産を継承したトランプ政権が、「失われた30年」を経て誕生した高市政権と協力して、ASEANを対中封じ込めに引き入れられるのでしょうか。ヘッジング戦略の因果理論なくしては、何をどうすればいのか、その実効的な戦略と期待される結果は見えてきません。日米は、手探り状態でASEANに接近しているというのが現状でしょう。
 

東南アジア諸国は、経済面でも軍事面でも中国を大国とみている一方で、この地域で中国がどのように振舞うのかも大きく懸念しています。ある調査によれば、ASEANの中国への信頼度は4位に止まり、日米が1・2位を維持しています。すなわち、中国は東南アジアを自陣にがっちりと取り込めるほど十分に信頼されていないのです。ここに中国とASEANの接近にくさびを打ち込める余地があります。それにもかかわらず、ただでさえ地理的に遠いアメリカが東南アジアから軍事的に撤退することになれば、南シナ海などでの紛争において矢面に立たされる東南アジア諸国はアメリカを頼れなくなる結果、「ヘッジング戦略」は崩壊するでしょう。そうなると、ASEANに残される戦略は少なく、中国にバンドワゴンする選択の魅力が増すことになり、日米の「自由で開かれたインド太平洋」戦略の根底を崩すことになります。そうならないようにする政策を打ち出すのに役立つのは、あいまいな「ヘッジング論」ではあく、やはりリアリストのシンプルなバランス・オブ・パワー理論です。つまり、日米そして可能であれば韓国やオーストラリアが、強大な中国の膨張を懸念する東南アジア諸国との軍事的な連携を手遅れになる前に強化するということです。