今の時代、ナンパしても逮捕されるみたいです。令和、マジで終わってるぜ。戦闘機から、無差別に街を攻撃して、女や子供までも殺す事は、平和をもたらすための英雄的行為として総理大臣に評価されるのに、ナンパは犯罪って、この国、バグってんのかよ? はい、もはや、日本に期待もしていない、カズシットです。
はい、先週の土曜日の話です。
和歌山城郭調査研究会(和城研)で、白浜にやって来ました。熊出没注意の立て札が、町中にあるような場所でした。いきなり、出て来たのは、味のある神社でした。
独特な雰囲気の岩も魅力的でしたが、今回の目的は、城です。そう、ここには、鴻巣城という城がありました。えっと、この山↓の上です。
登り口が、もはや、明確ではない。
事前から、ハードモードだと聞かされていたので、ある程度、覚悟はしてましたけど、最初から、こんなパターンだとは思わなかった😅
行き道の藤の花がすごく綺麗で、この後の厳しい攻城戦なんか、想像させなかったけど、現実は過酷でした。
そりゃあ、当時の武将達が、命をかけて、築いた城ですから、現代においても、そんなに簡単には踏み込めないワケですよ。
木に掴まりながら登る。たまに、木が腐っていて、簡単に抜ける。怖い😱 これは絶対に、滑落するナと思いました。まあ、滑落はしなかったけど、常に危険と隣り合わせでした。
遺構は、まあまあ、残ってました。が、写真に撮っても、解らない🤣 とりあえず、石塁だけでも貼っておきますか。
堀切なんかは立派なものでした。
戦を想定したスタイルの山城そのもので、まあ、ここは、落城しているんだけど、簡単には陥落しなかったと思いますね。
城が出来たのは、室町時代だそうです。山本主膳の家来であった内ノ川平兵衛が築いた城です。そんな人、知らんって? 僕も知りません。まあ、山本氏という有力豪族がいた事は知ってましたけどね。その家来が築いた城ですね。
もう、この石塁↓で感動モノだよ。
触れたら、すごく冷たかった。ここでの戦は、畠山父子の争いに起因しているワケで、つまり、敵にも、自分の親族がいたりする事も、珍しくなかったんよね。そんな戦の時代の非情さを、石の冷たさから感じましたね。
溜池だと想定出来る大きな穴がありました。会員の中で意見が割れます。建物があったかも知れないと言う人もいました。あれこれと、イメージする。これが、楽しいんです。
この城跡からは、瓦や、投石用の石なんかは出て来ませんでした。使われた期間も短かったのではないかと言う人もいました。なるほどね。
高い位置から下を見下ろす。
ここから投石したんだろうな。石を投げた先には、自分の親族がいるかも知れない。複雑だよね。現代を生きる我々にも、家族間の断絶というのはあるけど、こんな抗争には発展しないから、平和なのかもね。まあ、たまに、親殺し、子殺しの、クソみたいな事件はありますけど。
続いてやって来たのは、白浜駅です。
既にパンダいないのに、そこら中に、パンダの飾りがありました。マジで、パンダが、メインだったんだな。少し悲しくなる。目当ての城は、駅のすぐ後ろの山。
誰も、こんな所に城があるなんて、思ってもいないだろう。その名も、堅田要害山城跡だよ。既に、難攻不落なイメージだ。要害山城って😭
ここで、和城研メンバー一人退却。
まあ、七十代ですからね。今の若い人達よりは、めちゃくちゃ体力ありますよ。けど、さすがに、二つの山城は無理だったみたいです。ただ、堅田要害山城跡は、鴻巣城跡よりも、まだ、楽でした。それは、江戸時代に、この場所に、御堂があり、参拝者のための道が出来ていたからです。
御堂の跡はしっかり残っていましたが、そのせいで、城の遺構が解らなくなる(笑) とくに、僕みたいな素人には。
ここは、石塁ぢゃなくて、土塁がメインでした。御堂の規模を考えると、こんなに広い範囲を囲む土塁というのは不自然なので、土塁は、戦国のものである可能性は高いですね。
そして、丸い石もありました。
人に投げつけるには、丁度いいサイズの石でしたが、やはり、御堂の遺物もあるので、堅田要害山城のものであるとは言い切れないとの事でした。御堂、ファックオフ!
でも、土塁はやっぱり、戦の時代のものであると言い切れますね。
とくに、ここ↓がヤバかったです。
めっちゃ、土塁が高かった。明らかに、外敵からの侵入を想定していた。
実際に攻める側の視点から、土塁を撮影してみたんだけど、真上から弓で射られたら、たまらないな。と思いましたね。
写真では、めちゃくちゃ分かりにくいんですけど、ここ↓が、虎口です。虎口とは、城郭への出入り口を意味します。
草を刈ったら全てがはっきりするんだろうけど、ここから出入りしたと推察出来ます、実際に目で見ると、何となく分かる。写真にすると全く伝わらない。城跡写真って、本当に難しい。
ちなみに、散らばっている瓦は、残念ながら、御堂の残骸だと思われます。
城だった場所に、御堂が出来たんだけど、そこも廃れて、壊れてしまったのでしょう。まあ、それも、引っくるめて、歴史なんでしょうけど、この瓦が城のものだったなら、どんなに興奮した事だろうか。
んー、過酷な城巡りでした。見学会というよりは、城攻めでありましたけど、ギリギリの緊張感を含め、心地良かったのは、なぜだろう?
きっと、僕は小さい頃から、冒険が好きなんでしょう。とにかく、無事故で生還出来て良かったです。























