横浜中華街と港

 

横浜中華街(朱雀門)

 

山下公園(氷川丸)

 

横浜中華街

横浜中華街は開港後、西洋人とともに一緒に来た中国人の外商が商売を始め、その後増加する中国人とともに次第に形成されていきました。
 現在では、世界最大級の規模を誇る横浜中華街には、約600軒以上の店がひしめいています。随所で目にする個性的な門は、風水思想に基づいて建てられた「牌楼(パイロウ)」。関羽様を商売繁盛の神様として祀った「関帝廟」や、あらゆる神様を祀った「媽祖廟」があり信仰の対象となっています。

 

  

東門

 

     

 

 

横浜港

横浜港は、1859年(安政6年)6月2日、国際貿易港として開港しました。
巨大な消費地である東京と、さらにその先に広がる広大な背後圏を持つ我が国を代表する商業港として発展する一方、京浜工業地帯などの臨海部の工業地帯を拠点とする工業港としても重要な役割を果たしてきており、これら2つの性格も併せ持った総合港湾として成長してきました。

 

 

山下公園

関東大震災の復興事業として、横浜市助役だった楢岡徹らが、市内の瓦礫などを使って海を埋め立て造成することを発案。1930年(昭和5年)3月15日に開園した。当時の六大都市のうち、横浜市は人口当たりの公園面積が最小であり、震災前からの公園計画が応用された

開園当時は現在の沈床花壇部分が泊地になっており、その名残が氷川丸の横にある小さな橋に見られる

開園後40年にわたり、公園前面の海面を埋め立て埠頭とする計画が提出されるも、これは実現せず、のちに東の隣接地に山下埠頭が造成された。なお現在、同海面地下にはトンネル構造の臨港幹線道路が計画されている。

 

 

         

 

ベイブリッジ

 

ピア像の鼻と大さん橋ふ頭

赤レンガパークと山下公園を結び、象の鼻地区の中央部を通っている「山下臨港線プロムナード」から海を眺めると、大さん橋国際客船ターミナルのつけねから左手方向へ延びている防波堤があります。この防波堤を上から見ると象の鼻に似ていることから、通称『象の鼻』と呼んでいます。
現在象の鼻パークとして人々の憩いの場となっている地区は、日本が開国したときに港として整備された「横浜港発祥の地」で。ここに、弓なりの防波堤「象の鼻」がある。この港から明治時代の使節団も出発した。また、現在ここから横浜港を観光する観光船が出てる。

 

明治時代の横浜港

 

 

大さん橋

 大さん橋ターミナルは横浜開港以来、「海の玄関口」として130年以上の歴史を誇り、今では横浜を代表する観光スポットとなっています。

 

 

   

 

  

停泊してた船

 

横浜関税分庁舎

 

赤レンガ倉庫

横浜赤レンガ倉庫は、明治/大正の煉瓦造建築が人気の横浜を代表する観光スポット。明治末期から大正初期に国の模範倉庫として建設されたレンガ造りの歴史的建造物です。2002年に当時の面影を残したまま文化・商業施設として生まれ変わりました。

 

 

 

   

 

 

赤レンガ倉庫から見た夜の横浜港

 

赤レンガ倉庫から見たみなとみらい

 

 横浜中華街から山下公園に出て夜の横浜港を赤レンガ倉庫まで散歩しました。どこの港も町明りと港の風景は綺麗です。ベンチに座って春風に吹かれながら暫く風景を楽しみました。

 

ビデオがYouTubeに載せてあるのでご覧ください。