40代、一児のパパ本態性血小板血症→骨髄線維症に、2023年に骨髄移植をして経過観察中移植前後の事など、随分時間がたったので記憶が整理出来たら徐々に書こうと思っています。たまに経過観察中の円錐角膜の話題もかけたら(; ̄ー ̄)どちらも珍しい病気ですね
(これは2023年2月頃のお話です)CT 撮影と、体を固定するための枠づくりを行うため、一日だけ病院に行きました。以前、放射線治療のリハーサルをすると書いていた件です。『「放射線科は地下にある」移植前の検査入院⑯(2023年の事)』何でもない一日(これは2023年2月頃のお話です)ーー入院6日目の6時すぎーー6時20分:起床この時期は朝でも月がよく見える。洗顔やトイレを済ませて…ameblo.jpリハーサルは本入院してからでも良いのではと思ったのですが、放射線科の空き状況に加え、CT データをもとに照射計画を作る時間や、固定枠が固まるまでの時間が必要とのことで、スケジュール的にやむを得なかったようです。一時退院の貴重な一日が・・・ちなみに、骨髄線維症の私は、臓器などへの影響よりも骨髄内に残っている異常な造血細胞を徹底的に減らすことが重要と言われました。造血幹細胞移植では、移植前に「前処置」と呼ばれる治療を行い、・悪い細胞をできるだけ減らす・免疫を抑えて、ドナー細胞が定着しやすい環境をつくるという目的があります。前処置には① 化学療法(抗がん剤)② 放射線治療(全身照射:TBI)の2つがあり、病型や年齢、体力、病院の方針によって組み合わせが変わります。私の場合は、骨髄線維症という病気の性質上、骨髄内の異常細胞をより確実に減らす必要があるため、化学療法に加えて放射線治療も併用する計画になっています。同じ移植を受ける方でも、病状やリスクに応じて放射線治療を行わないケースもあります。■ 放射線治療を併用する際の一般的なリスク(※説明を聞いた感じ、こんな内容だったと思います)・強い倦怠感(疲労感) 全身照射は体への負担が大きく、治療後しばらく強い疲労が続くことがある。・皮膚の赤み・乾燥・ヒリつき 日焼けのような反応が出ることがある。・消化器症状(吐き気・下痢など) 腸や胃が放射線の影響を受けることがある。・唾液の減少や口の乾燥 口腔内が乾きやすくなり、食事がしづらくなることがある。・血球減少の増強 化学療法と組み合わさることで、白血球・赤血球・血小板がさらに減りやすくなる。・長期的な影響(臓器機能の低下など) 心臓・肺・甲状腺などに影響が出る可能性があるため、治療後も定期的なフォローが必要。こうしたリスクを踏まえたうえで、病気の性質や治療の目的に応じて、放射線治療を併用するかどうかが判断されるようです。---------------------------------------------------病院について地下の放射線科に向かうと、今回は診察室ではなく、直接治療室へ案内されました。手前の更衣スペースで上半身を脱ぎ、不織布のような短パン 1 枚に着替えて治療室に入ります。中に入ると、薄暗い部屋の中央に、通常の CT より一回り大きい放射線治療機が置かれていました。放射線治療室は、照射位置を正確に合わせるためにレーザー光を使うことが多く、部屋が暗めになっているみたいです。普段入るCT部屋の煌々と明るいイメージで行くとドキッとします。寝台にはマットが敷かれており、その上に仰向けで寝るよう促されます。体をまっすぐにしてじっとしていると、スタッフがマットを体の縁に沿って折り曲げたり、空気を入れたりして、体に密着させていきます。しばらくするとマットが硬くなり、体を固定する枠へと変わっていくのが分かりました。もし同じ治療をこれからする方がいたら、ここで痛みや苦しさがないか確認されるので、遠慮せずに調整してもらうことを強くおすすめします。放射線照射中は動けず、30 分前後は同じ姿勢のままになるため、特に首や頭の高さが合っていないと本番でかなりつらくなります。姿勢が決まり、枠に固定されたら、寝台はそのまま機器の中に出入りしながら、レーザーポインターのような光を体に当てていきます。これは、照射位置をミリ単位で合わせるための位置合わせです。場所が決まると、体に直接マジックペンでマーキングされました。本番はまだ2週間先ですが、このマークは消えないように維持しないといけないです。消えかけたら、看護師に伝えてなぞりなおしてもらってくださいと言われました。帰宅後に撮ったマーキングの様子(この当時、脾腫で押されて出べそになって触ると痛かった)上半身が終わると、枠に入ったままスタッフ 4 人がかりで持ち上げて 180 度反転し今度は足側から機器に入り、下半身のマーキングを行います。機器に入っていた時間は、全体で 40 分ほどだったと思います。気づかなかったですが途中でCT撮影も行われていたようです。終了後、枠から起き上がるとスタッフがタオルを渡してくれました。革張りのソファーに素肌が触れていると汗をかくのと同じで、上半身は滝のような汗。脚も汗ばんでいたので拭き、背中はスタッフが拭いてくれました。寝台の横に踏み台を用意してもらい、スタッフに手を貸してもらいながら、枠を壊さないよう慎重に降ります。枠が寝台の上に乗っているのと、脾腫でおなかが邪魔して少し苦戦しました。枠から出ると、スタッフが枠の内側についた汗を丁寧に拭いていました。半日の通院でしたが、リハーサルでもドッと疲れました。(後の話になりますが、本番はこの比ではないほどの疲労感で、本当に大変でした。)今日、体にマーキングした位置と CT 画像をもとに、当日の照射方法などを決める治療計画が作られます。こうして、骨髄移植に向けた準備が着々と進んでいきました。
たたかうお薬先日、今年初めての診察に行ってきました。くすぶっていた GVHD 肺炎は落ち着き、プレドニンは 2.5mg 減って 10mg になりましたステロイドは急に減らすと再燃のリスクがあるため、引き続き慎重に調整していく方針です。気づけば、骨髄移植からもうすぐ 3 年になります。他の方 のブログでは、半年ほどで免疫抑制剤が終了したという話も見かけます。私も事前の説明では、半年ほどかけて薬を減らし、免疫抑制剤が無くなったら各種予防接種をして、1年後くらいには社会復帰を目指す。という流れを聞いていました。移植後の経過としてはそのスケジュールが標準イメージらしいのですが、GVHD がある場合は免疫抑制を急に減らすことができず、治療の進み方はどうしても変わってきますね。GVHD のコントロール、感染予防、臓器保護など目的がそれぞれ異なるため、多剤併用になります。そして現在の1か月分のお薬というとこんな感じです。札束ならぬ薬束プレドニン2.5mg減ったくらいでこの束はびくともしないぞよく体の中で薬同士がケンカしないものだと感じます。
再入院までの6日間(これは2023年2月頃のお話です)一時退院してから一夜明け、つかの間の日常に戻ってきました。自由に過ごせるのはあと6日。7日後には再び入院し、いよいよ移植に向けた本格的な準備が始まります。本当なら「何をしようかな」と胸を弾ませたいところですが、一時退院の際に病院から大事な注意を受けていました。とにかく“風邪・感染症・ケガ”をしないこと理由はシンプルで、発熱やケガがあると入院できなかったり治療計画が変わってしまうから。特に私の場合、ドナー様のご都合で日程を後ろにずらすことができず、まさに“期限を死守”しなければなりません。そのため、「海外旅行でも行こうかな」「久しぶりに遠出のドライブでも」と考えていた計画はすべて白紙にしました。事故やトラブルのリスクを避けるためです。世間は“終息ムード”でも、病院はまだ厳戒態勢当時、世間ではコロナは落ち着いた雰囲気でしたが、病院では依然として要注意扱い。入院中も家族との面会は厳しく制限されていました。ということで、友人との会食も控えることに。結局、この6日間でしたことは、次の5つでした。① 近場で寿司やビュッフェを堪能移植後しばらくは・生もの・作り置き・生野菜などが禁止されるため、いわば“食べ納め”です。② 終活の続き検査入院前にも整理していましたが、入院中に「あれも片付けていなかった」と気づいた部分があり、この期間にまとめて取り組みました。③ 病院への通院放射線科で・放射線治療のリハーサル・体を固定する枠型の作成を行うため、半日使って通院しました。④ 頭を丸める抗がん剤や放射線治療で髪が抜けるため、「事前に短くしておくと洗髪や掃除が楽ですよ」と病院からアドバイスがあり、思い切って短髪に。⑤ふつうに過ごすなるべくいつも通りの雰囲気を意識して家で過ごす時間を満喫しました。次回は、放射線治療のリハーサルの様子や、思い切って髪を切ったときのことを書こうと思います。
モノクロの思い出去年からブログを書き始め、前回ようやく前処置入院のことまで書き終えました。ちょうど三年前の今頃が、初めての入院を前に緊張していた時期です。そしてこれから骨髄移植入院のことをまとめようと、当時の記録を整理していたとき、ふと一つの写真展を思い出しました。それは検査入院の少し前、家族で六本木のミッドタウンに出かけた日のことです。ミッドタウンの一角にある富士フイルムの建物で写真展が開かれていたので、時間つぶしのつもりでふらっと立ち寄りました。そこで出会ったのが、タイトルにも書いた中国人写真家・鄒 楠(すう・なん)さんの「燕郊物語 − 中国の白血病村」展でした。――なんというタイミングなのか。。北京郊外の河北省燕郊には、白血病患者と家族が集まって暮らす地域があり、そこは「白血病村」と呼ばれているそうです。白血病の患者と家族を3年にわたって撮影したというモノクロ写真は、患者や治療の場面が生々しく写っていました。明るい要素は少なく、さまざまな問題を抱えている印象を受けました。骨髄移植を控えていた私は心の準備もなく、その光景を目の当たりにして強く動揺したのを覚えています。一通り鑑賞し、そっと展示会を後にしながら、遠い中国の闘病風景に触れて、前向きにも後ろ向きにも、いろいろな感情が巡りました。その後、自分の治療が始まってからは精いっぱいで、この写真展のこともすっかり忘れていたようです。鄒 楠さんはこの作品を通じて、「患者たちの現状に、社会から目が届くことを願っています。」と語っていました。プリントされた実物写真の迫力は伝わりにくいかもしれませんが、ネット上でも何点か見ることができます。気になった方は検索してみてください。
一時退院する(これは2023年2月頃のお話です)ーー入院7日目の朝6時すぎーー6時05分:起床目が覚めた瞬間、最初に浮かんだのは「やっと帰れる」という思いだった。洗顔をして、トイレを済ませ、看護師さんの朝の訪問を待つ。6時20分:検温体温は36.4℃。今日も平熱。体重は72.7kgまで落ちていた。入院食の効果なのか、筋力が落ちたせいなのか。おそらく両方だろう。朝食まで少し時間があるので荷物をまとめ始める。増えたものは特にないはずなのに、来たときよりバッグが重く感じる。7時40分:朝食スクランブルエッグに青菜、金時豆にみそ汁とご飯。絵に描いたような質素な朝食。毎日続けると痩せるはずだ、と納得しながら口に運ぶ。8時55分:診断書申請ロビーへ降りて診断書を申請する。(休職の手続きか、傷病手当金の申請に必要だったはず)朝早いのに、すでに二人が並んでいた。病室の暑さとは違い、診察開始前のロビーはひんやりしている。上着を持ってくればよかったと少し後悔した。9時05分:外の空気家族から病院に到着したと連絡が入り、ロビーで合流。病室の荷物をいったん車へ運ぶ。一週間ぶりに院外に出た。数歩歩いただけで、足の裏に違和感が走る。タイルの歩道やアスファルトの感触が、病院内のフラットな床とはまるで違う。歩きにくくて驚いた。これが噂に聞く“筋力低下”なのかもしれない。10時00分:骨髄移植の説明先生から、骨髄移植の段取りとリスクについての説明会が始まった。談話室のなかの1つのテーブルに先生を囲む形で家族全員が座る。先生はA4の白紙にペンを走らせながら話し始める。※ここからは当時のメモと記憶を頼りに書いているため、 多少の誤差はあるかもしれません。まず書かれたのは、縦軸が生存率、横軸が経過年数のグラフ。生存曲線というものらしい。①の線骨髄移植をせず、ジャカビなどの服薬のみで過ごした場合。現時点が100%で右肩下がりに落ちて1~2年目あたりで限りなく0%に近づく曲線。2年目以降は点線となって消滅していく。②の線骨髄移植をした場合。曲線は数か月で50%付近まで一気に落ちる。そこから3~5年目あたりまで50%付近を横に這っていき、10年目にかけては点線で徐々に下降していく。しかし、これは今の体力を前提にした数字でもし現状より状態が悪化したり、年齢が進んだ場合はもっと厳しい曲線になるという。移植で確率が50%まで落ちてしまう理由。・前処置で強い抗がん剤を使うと自身の免疫力が焼失し 感染症などを起こし重症化するリスク。・移植後にドナーの細胞が私の身体を異物とみなし、 攻撃することで消化器、循環器に重篤な合併症を起こすリスク(GVHDという)・ドナーの細胞が定着せず造血できないリスク。・大量の抗がん剤や放射線による別途二次がんを発症するリスク。などなど。先生は言葉には出さないが、やめるなら今しかない。と私たちの意思を確認するかのように、念入りにリスクを説明する。覚悟していた以上にリスクが高い内容が次々と伝えられる。私が一番ショックだったのは、移植治療が始まってすぐに生存の危機に直面する状況が訪れるという事。2週間後にそんな状態になるなど想像ができない。聞きなれない言葉も多く。家族からの先生への質問が尽きない。ただ、いくら質問しても不安が消えることはなく、どちらを選ぶとしても、厳しい選択という事に変わらない。頭に浮かぶのは、最近続いていた止まらない鼻血のつらさ。脾腫や疲労感などを考えると、この先1〜2年で状況が悪化するのは容易に想像できた。単純に考えると、【あと2年の命として生きるか、50%の確率でその先を目指すか】するのか、しないのか。したいのか、したくないのか。激しく揺らぐ気持ちの中でこの場にいない第三の人物の存在を考えた。見ず知らずの私に骨髄を提供してくれるというドナー。この奇跡的なマッチングがなければ、そもそも選択肢すらなかった。私は、骨髄移植を受ける覚悟を決めた。11時00分:会計説明会を終え、会計へ向かう。今回の入院費用は高額医療費の上限に達していた。さらに私は都の指定難病の医療費助成があるため、負担はかなり軽い。しばらく働けない身としては、本当にありがたい。食事代は保険適用外なので別計算。長期入院だと、食事代のほうが高くなっていくと思った。13時00分:脂の幸福病院を出て家路に。道中、昼食に何が食べたいか考え、思いついたのが地元のトンカツ屋。身体が油を欲している。一週間ぶりの揚げ物は、想像以上に美味しかった。熱々で厚みのある豚肉は、火の通りが絶妙で柔らかい。入院食では味わえない満足感に、思わずご飯もキャベツも味噌汁もおかわりする。「数か月後に退院するときは、胃が受け付けなくなっているかもしれない」そんなことを考えながら、久しぶりの脂の幸福を噛みしめた。14時00分:帰宅久しぶりの我が家。荷物を片づけ、居間でくつろぐ。たった一週間いなかっただけなのに、家の中は食べ物がやたらと目につく。食欲が止まらない。入院中に減った体重を、今日一日で取り戻しそうな勢いだ。食べ物をほおばっていると子供が帰宅した。「おかえり」と「ただいま」つかの間だけれど、日常が戻ってきた。
目血の続き気づくと前回の更新から年を越していました。年末年始の世間の慌ただしさを横目に、左目に広がっていた内出血は、三が日のあいだに少しずつ薄れていきました。そしていま、右目が負けじと内出血しています(笑)yeah it goes likeLeft and RightLeft and RightLeft and RightRip it, Rip itぼちぼちと始動します。今年もよろしくお願いします
通院した後に今週は年内最後の通院をしてきました。結果は良くも悪くもなく横ばいでした。来年は骨髄移植して3年が経ちます。一つの節目。思い起こせば今年は2月に何かに感染して夜中に救急搬送で病院に行って、そのまま入院というスタートでした。このまま平穏に年末年始を過ごせるといいなと思っていたんですが通院の翌日に左目の白目が真っ赤に内出血。触ったりぶつけたりした記憶は無し。トイレでいきんだから?ゾンビ化する途中のような見た目に絶句。無事にトシヲコセルカナ。
処方箋は強力以前書いた、院内処方の待ち時間が長くて困っていた件ですがいったん解決しました。『処方箋の行方(最近の事)』クスリの待ち時間今日はクスリのボヤキ。骨髄移植を終えて退院してからも、定期的な通院が続きます。そして、毎日の服薬量もかなりのもの。通院のたびに、たくさん…ameblo.jp先週、肺炎の経過観察のために通院した際、あらためて「院内処方だと待ち時間が長くて大変です」と先生に相談してみました。すると先生からは、「調剤薬局は、調剤の求めを拒んではならないという決まりがあるから、 本来は出してもらえないことはないはず。院外でも受け取れると思いますよ」との説明がありました。それなら一度試してみようと、以前「取り扱いがない」と言われた自宅近くの調剤薬局へ、処方箋をスマホから事前送信してみました。しばらくして薬局から電話があり、“ああ、やっぱり無理だったか…” と一瞬思ったのですが、内容はまったく違っていて、「本日は在庫が揃えられないので、明日までお待ちいただけますか?」との確認でした。手持ちの薬でまだ2日ほどは大丈夫だったので、そのままお願いすることに。それにしても、以前問い合わせた際に「レズロックの取り扱いがない」と言われたのは何だったのでしょう。 薬剤師さんの勘違い? 「今日は在庫がないので」の意味だった? それとも最近になって取り扱いが可能になった?真相は分かりませんが、結果的に翌日には無事受け取ることができました。ついでに、次回の通院日の予定を伝えて、在庫の準備もお願いしておきました。これで今後は、あの長い院内の待ち時間から解放されて、1時間は早く帰れるぞ【ちなみに肺炎は改善方向だったのでプレドニンは20mgから15mgに減りました】
退院してからというもの、わたしの足は薬の影響で、ほとんど毎日むくんでいる。ある日、子どもと並んでテレビを見ていると、突然、わたしの足をもみはじめた。「ゾウの足みたいでしょ」と言うと、子どもは「プッシュポップみたい」と返してきた。押すと凹んだまま戻ってこない皮膚を、まるでおもちゃを触るみたいに、楽しそうに押している。いたわりというより、ただの遊び。でも、その無邪気さがなんだか可笑しかった。子どもはまだ小学生。こんな小さなやりとりなんて、きっとすぐ忘れてしまうだろう。けれど、わたしはむくみを見るたびにこの光景を思い出す。
色々としょっぱい出来事(これは2023年2月頃のお話です)ーー入院6日目の13時すぎーー13時30分:回診担当医が静かに病室へ入り、CTの結果を伝えてくれる。ぱっと見た限りでは画像に大きな問題はなく、「明日には一時退院できるだろう」とのこと。その言葉を聞いた瞬間、入院中にずっと感じていた緊張が少し緩む。今回の検査結果をもとに、骨髄移植に向けた日程や、使用する薬の種類・量を計画していくという。13時40分:処方薬続いて薬剤師さんが訪れ、一時退院中の薬について説明してくれた。これまで飲んでいた以下の薬は休薬となる。 バイアスピリン ビオフェルミン フェブリク レパミピド ジャカビ継続はアムロジピンのみ。次回入院から抗がん剤を使うため、今までの薬を一旦止めて体をリセットするとのこと。長く付き合ってきたジャカビともここでお別れだ。服用を始めてからも数値が劇的に変わることはなく、結局どれほど効果があったのか、最後まで分からなかった。15時30分:メンタルケア心理療法士の方が突然あいさつに来た。長期入院に伴う不安や悩みに対応する、病院内の専門部署から派遣されたという。仕事や治療費などのお金のこと、家族との向き合い方、自分の性格や治療に対する思い、将来の不安……。次々と投げかけられる質問に答えているうちに、時間はあっという間に過ぎていった。30分くらいで終わると思っていたが、気づけば1時間。話しても答えは返ってこない。ただ「うん、うん」と聞いてくれるだけだ。これまでメンタルケアを受けたことはなかったが、途中で気づいた。この人は、私の悩みに対して対策や方針を示すのではなく、“話を聞くことそのもの”が仕事なのだと。人によっては「ただ聞いてくれるだけ」で安心するのかもしれない。しかし私には、答えのない質疑応答は苦手で、どこか無意味に感じてしまう。体のことは医者へ。お金の心配は社労士やFPへ。では、もしもの時の妻や子どものケアは誰に相談すればいいのだろうか。答えの欲しい問いが頭を巡る。途中で何度か話を切り上げようとしたが、治療が始まれば話を聞いてもらいたくなるかもしれないと思い直し、この時間を前向きに受け止めることにした。そんな最中、看護師さんが「シャワーに入れる時間が終わりますよ」と声をかけてきたので、会話は終了。残っていた性格判断のマークシートはシャワー後に記入し、17時40分に回収してもらうことになった。16時45分:シャワー急いで準備して服を脱いでいる途中で、先生たちの回診が来た。ギリギリ下着姿だったので、とりあえずズボンだけ履く。先生は退室する気配もなく、「失礼」と一言、私が履き終えるのを待っていた。そして気まずい私をよそに、何事もなかったかのように会話を始める。今日の体調確認と、明日10時の移植入院説明会の再確認。そして正式に「明日退院してよい」と告げ、部屋を出て行った。ついでに私も部屋を出て、ドアの表側を確認。いつも貼ってある「入浴中」の札が貼られていなかった。小さな札一枚、されど一枚。17時05分:マークシートシャワー後、急いでマークシートに記入する。設問1:「失敗するとそのことばかり考えてしまう(考えない/考える/とても考える)」こうした問いがA3用紙2枚分びっしり。量に驚きつつ記入していると、看護師さんが来て次回入院の説明が始まり、15分ほど時間を取られる。日勤スタッフの退勤時間が迫っているのか、病棟は慌ただしい。紙に向かう自分の手も、少し焦り気味になる。17時40分:提出心理療法士の方が回収に来るタイミングで、ギリギリ書き終えた。結果は次回入院時に教えてもらえるとのこと。私の思考傾向やメンタルリスクがわかるらしい。18時10分:夕食サバの味噌煮。味噌は水分多め、サバはやや硬めで少し残念。私の好みは、脂がしっとりしたサバに、とろりと濃いめの味噌。おひたしは柚子の香りがして、とても美味しかった。柑橘系の香りは、こもった病室に爽やかな風を吹き込む。19時40分:検温37.2℃。最終日の夜も微熱気味。熱の原因が病院という環境のせいなのか、骨髄線維症が進行しているからなのか、ふと考えてしまう。退院が決まった安心感から、売店に行ってじゃがりこを買う。特に意味はないが、退院が決まるまではスナック菓子を我慢していた。一週間ぶりのスナック菓子は、塩分が舌を強烈に刺激した。入院食の塩分量がしっかり管理されていたことに改めて気づかされる。22時00分:消灯消灯時間になっても誰も電気を消しに来ない。明日退院予定の私は特に処置もなく、スタッフからはノーマークなのかもしれない。6日目ともなると困ることもなく、自分で電気を消して就寝。最終日は暇になると思っていたが、意外と予定が詰まっていて、あっという間に過ぎてしまった。明日は一時退院。もし異常が見つかって一時帰宅できないまま骨髄移植に進んだらどうしようと心配していたが、無事に退院できることになり、とにかく嬉しい。家に帰ったら何をしようか、あれこれ考える。つかの間のワクワクと、その先にある大きな不安が同居した奇妙な感覚を覚えつつ眠りについた。
(これは2023年2月頃のお話です)ーー入院6日目の朝6時すぎーー6時10分:起床昨日は見えた月、今朝は見えず。それ以外は変わり映えのない景色。6時20分:朝の検温体温は36.6℃。やはり朝は低め。体重は73.5kg。少し増えた。7時30分:朝食今朝は、まるで精進料理のような献立。おかずは青菜のおひたしに、高野豆腐の煮物とねぎの味噌汁。高野豆腐を久しぶりに食べた、おいしい。献立のおかずだけでは足りなかったけど、ごま塩も活躍して白米もしっかり完食。8時10分:食後スマホでテレビを視聴。1時間ほど見ていると、同じニュースが繰り返されてきた。小説に切り替える。9時15分:連絡日勤の看護師さんが、今日の予定を伝えに来る。歯科とCTは、呼ばれ次第、診察室へ移動することに。それまで部屋で待機。9時40分:歯科呼ばれたのでレントゲン室へ移動。胸部レントゲンのように板に胸をつけて立つのではなく、電話ボックスのような個室に入り、椅子に座る。下あごのレントゲンをとるという。前歯でマウスピースを軽く噛んで、あごを固定。頭の周りを機械が回りながら、撮影が始まる。同時に「エリーゼのために」が個室内に流れ、自分の頭がオルゴールの部品になったような気分になった。撮影後、歯科の診察室へ移動。移動中も「エリーゼのために」が頭から離れない。診察室では医師の自己紹介からはじまる。移植治療の前後を通して、口腔ケアをずっと担当してくださるという。抗がん剤や放射線の影響で口内環境が乱れ、菌が増えると肺炎や口内炎の悪化につながるそうだ。そうなると移植中の生活は増し増しに辛くなるため、予防的なケアが重要とのこと。親知らずは完全に埋まっているので、抜歯の必要はなし。出てくる気配があったりすると移植前に抜くことも。歯の尖った部分が口内炎の原因になることもあるため、必要に応じて削る可能性もあるという。今後は歯科担当医師が抗がん剤投与に合わせた口腔ケアプランを作成し、次回の入院からサポートしてくれることになった。続いて口のクリーニング。歯科衛生士さんに「よくケアされていますね」と褒められる。歯並びは良くないが、小学校以来、虫歯を指摘された記憶がない。子どもの頃から歯磨きが嫌いではなかったのが功を奏したようだ。次回の入院までに、指定されたケア用品(歯ブラシやマウスリンスなど)を揃えるようにとのこと。病院の売店にすべて揃っているらしい。歯ブラシの形状や毛の硬さ、マウスリンスの成分など、細かく指定がある。効果が強ければ良いというわけではなく、刺激が強すぎると口内が荒れてしまうとのこと。口腔ケアだけでもこれほど慎重な対応が求められると、移植への不安が一層強まる。11時:同意書病室に戻ると、先生がCTの同意書とリスク説明に来る。説明の途中で撮影に呼ばれたため、急いで署名してCT室へ。今回は造影剤を使った全身撮影をする。軽微な副作用から、ごくまれに重篤な反応が出る可能性もあると、早口で説明を受けた。11時20分:放射線科CT室で装置のベッドに横たわり、まず造影剤なしで撮影。次に腕に点滴針を刺し、造影剤を接続。注入時、看護師さんが「異変があったらすぐ言ってください」と何度も念を押してくる。そこまで言われると緊張する。続けて「股間が熱くなってお漏らししたような感覚になることもありますが、驚かないでください」と言われた。本当にそんな感覚になるのか不思議に思いつつ、ドキドキしながら下半身に意識を集中する。結局、何も起こらぬまま、20分ほどで無事終了。12時10分:昼食きつねうどん。大きな揚げが3枚も乗っていて驚いた。赤いきつねうどんに入っている揚げ6枚分くらいはありそう。温かいツユは別のお椀に分けられていた。うどんにかけるのか、うどんを入れるのか迷う。麺をつまむと塊のように全部持ち上がったのでうどんの方にかけることにする。汁は濃い目の味で美味しい。箸休めに大きな沢あんも添えてあると思ったら、煮たサツマイモだった。一度思い込むと、口に入れるまで気づかないことがごくまれにある。---午後に続くーーー
クスリの待ち時間今日はクスリのボヤキ。骨髄移植を終えて退院してからも、定期的な通院が続きます。そして、毎日の服薬量もかなりのもの。通院のたびに、たくさんの薬が処方されます。退院直後は、1日あたり10種類ほど。粒にすると23〜26個。(そのほか、軟膏や目薬も)途中いくつか減ったり増えたりして、現在はGVHDの関係で13種類。粒でいうと29〜31個ほどに増えています。薬の量が多いと、処方箋を出してから薬が準備されるまでに時間がかかるのがつらいのです。でも少し前から、処方箋を事前に薬局に写真で送っておくと、先に準備を進めてくれるサービスが始まりました。これが本当に便利で、薬局での待ち時間がぐっと短くなりました。病院から自宅までは、早くても1時間半ほど。家の近くの薬局にオーダーしておけば、帰る頃には薬が用意されている。こういうところで、DX化のありがたみを感じます。ところが、今年から「レズロック」という新しい薬が処方されるようになり、院内処方になってしまいました。まだ一般の薬局では取り扱いがないそうです。院内処方にも良い点はあります。診察と薬の会計が一度に済むし、薬局に寄らずに帰れるのは確かにラク。でも、問題もあります。2週間〜1か月分をまとめて受け取ると、薬だけでエコバッグがいっぱいに。寄り道して買い物もしたりすると、なかなかの荷物。そして、とにかく待ち時間が長い。会計が終わるのはだいたいお昼ごろ。できれば早めに済ませて、帰り道にランチを楽しみたい。通院日のちょっとした楽しみは、そんな外食のひとときだったりします。30分くらいなら待てるのですが、先日は待ち時間が70分以上。しかも、掲示板を見ている間にもどんどん延びていく。この日はランチ散策を諦めて、病院近くで昼食をとってから戻ることにしました。院内にも食堂はあるけれど、そこまで安くもなく、入院食のほうが美味かもという感じもします。病院の周辺で徒歩でいける飲食店は限られていて、結局いつもの定食屋さんへ。定食をゆっくり食べて、病院に戻ると…薬、まだできていません。そこからさらに10分ほど待って、ようやく番号が呼ばれましたが、帰り際に見た掲示板には「待ち時間130分」の表示。思わず目を疑いました結局、12時半に会計を終えてから、家路に向かったのは14時半すぎ。長い一日でした。院外処方になるのはいつの事やら・・
よく効く薬肺炎が再発し、プレドニンの服用量を7.5mgから30mgへと増やしてから、一週間が経ちました。ステロイドの効き目は相変わらず強力で、体のだるさや関節の痛みはスーッと引いてきました。食欲も活力も、どこか無理やり底上げされているような、不自然な元気さが体の中に広がっていくのを感じます。薬の力で押し上げられているだけだとわかっていても、動けること自体がありがたく、少し気持ちが前を向きます。ただ、朝5時ごろに目が覚めると、そこからはなかなか再び眠れず、一日が長くなりました。静かな時間が増える分、体の感覚や心の動きに向き合う時間も増えます。そうなると考えてしまう事は、今の体は、薬を減らして増やしてを繰り返し何年たっても前進できないのではという不安とか・・それと気を付けないといけないのが、気力が戻ってくると、つい肺炎が治ったような錯覚を覚えてしまいそうになります。データを取って、確認して、慎重に判断する必要があります。そのため、これまで月に一度だった通院は、現在は週に一度のペースで採血とレントゲンを受けることになりました。ということで、今週も病院へ行ってきました。検査結果は、CRP(炎症反応を示す値)が前回の5.6から0.57へと大きく減少していました(正常範囲:0.00~0.14)。まだ少し高めですが、体感として楽になっていることが、数値にも表れてきているのでよかったです。肺のレントゲンでは、前回の影の量と比べて増減はなく、進行していないということで「良し」とされました。悪化していないというだけでも、今の自分にとっては十分な朗報ですね。このまま薬が効いて、影が少しずつでも小さくなってくれることを願いながら、また一週間後に検査。入院よりはずっと良いとはいえ、週一の通院もなかなか骨が折れます。来週も体調が前進していたら、今後の治療の進め方について先生に相談する内容を考えておこう。とにかく一日でも早く1粒でも薬を減らしたいです。
超えられない壁9月の後半からどうにも調子が悪く、朝食を終えると、座っているのも辛くなって、すぐに横になるしかありませんでした。昼ごろに起きて昼食をとると元気が戻る日もあれば、 昼食後もまたうつらうつらして、ようやく夕方になって行動できるようになる日もありました。 パソコンを開く元気も出ない日々は続き一日に数時間くらいしか起きて活動できず、この数週間はあっという間に過ぎ去っていきました。そんな不調の中、10月の初めに月イチの定期通院があって血液検査をした結果、CRPが1.8(正常範囲:0.00~0.14)と高めでした。先生「最近、風邪とかひきました?」 私「熱は出てないし、咳もありません」 先生「プレドニンを飲んでると熱が出にくいけど、風邪由来の炎症かもしれませんね」 先生「様子を見て、また1か月後にまた確認しましょうか」 私の心の声【】 私「先生、去年もこの感じから様子見してたら肺炎になったので、次回は2週間後がいいのでは?」 ーー先生、去年の記録をパソコンでさか登り中ーー先生「あぁ、そうですね。では、2週間後にしましょう」 私の心の声【一年前の事までは先生は覚えて無さそう、患者からしっかり発信しないとやっぱり危ないな・・】 ーーーーー帰宅ーーーーー帰宅後も体調は一向に良くならず、徐々に咳も出始め、気管にも違和感が。。あちこち体の節々も痛くなってくるし、食欲も落ちてきました。ーーーー2週間後ーーーー 朝起きるのもつらかったですが、フラフラしながらなんとか通院。 案の定、CRPは5.6(正常範囲:0.00~0.14)に上昇。そのままレントゲン室へ。 結果、肺に白い影がくっきり。 急遽CTも撮影し、診察室に戻るとまったく同じ影模様をした去年の9月と今年の両肺君たちが仲良くモニターにならんで映っていました。そもそもこの肺炎は、一昨年に発症して以来、プレドニンで治療を続けているものです。去年の9月にはプレドニンを10mgに減らしたタイミングで肺炎を発症し、30mgに戻して治療しました。今回もほぼ同じ経過で、肺炎が再び再発。そこから1年かけて、新薬のレズロックも併用しながら7.5mgまで減薬は進み順調だと思っていたのですが、 残念ながら肺炎が再発。プレドニンは再び30mgに戻りました。つまりこの減薬チャレンジ、今回で3周目に突入。顔や足のむくみ、夜中の覚醒も減ってきた矢先だったのに…再スタート。 慢性GVHDが原因らしいのですが、発症するたびにプレドニンを増やすしかなく、 いつになったらこのループから抜け出せるのか…。 レズロックに期待していたものの、今のところ10mgの壁を2.5mg突破したものの、劇的な効果は見られず(すごく高い薬なんですけど…)。レズロックが無かったら10mgの壁も越えられなかったかもしれない。そう思うと、それはそれで切ない話です。とりあえずプレドニンの増量効果で、カラ元気だけは戻ってきたので、久しぶりにブログを更新してみました。しばらくは、おとなしく肺炎治療に専念しないといけないのでまだまだ活動時間の短い日々が続きそうです。
(これは2023年2月頃のお話です)ーー入院6日目の6時すぎーー6時20分:起床この時期は朝でも月がよく見える。洗顔やトイレを済ませて、夜勤担当の看護師さんの登場を待つ。個室に隔離されているため、体重や血圧は看護師が部屋まで計りに来る。6時半:朝の検温36.8℃。ほぼ平熱。体重73kg。入院してから1キロ減った。7時半:朝食キャベツのお浸しの量がべらぼうに多い。あいかわらず味噌汁が美味しい。8時半:食後日中担当の看護師さんが、看護師長の許可が出たら大部屋に戻る予定だと伝えにきた。たいして散らかしていないけれど、移動の準備をしておこう。そのほか、清掃担当の方が床やベッド周りを拭き、シャワールームとトイレの掃除も。リネン担当の方がベッド・枕・布団のカバーを交換しに来た。10時半:回診担当医が今日の予定を伝えに来る。放射線治療の機械に乗るための事前の身体測定を、放射線科で行うとのこと。ただし「もしかしたら今日は呼ばれないかも」と、なんとも曖昧な予定。12時:昼食青椒肉絲と中華春雨サラダ。しっかりとした中華で美味しい。14時:放射線科いつ呼ばれるかと落ち着かなかったが、突然お声がかかった。放射線科は通院してから初めて訪れる場所。病院の中でもひときわ無機質なフロアで、地下にあった。CTやMRIが1階にある事を考えると、地下じゃないと置けないような強力な装置が鎮座しているのではと想像が広がる。診察室に入ると、放射線科の先生が今後の治療内容を説明してくれた。要約すると、骨髄移植前の前処置として抗がん剤を使い、薬で消しきれなかった悪い細胞を放射線でさらに叩く治療。移植による免疫反応も抑える目的があるらしい。リスクとしては、全身に放射線を当てるため、白内障・肺炎・二次がんの発生確率が上がるとのこと。次回は治療計画を立てるため、CT撮影と、体を固定する人型の枠を作る予定。一時退院中に、このための通院が必要になる。例によって、治療内容の説明書と同意書をたくさん受け取る。リスクだけ見れば断りたくなるが、治療全体の成功を考えると、同意書を書かないという選択肢はないのだろうなと観念する。今日は身体検査はなく説明だけで終了。病室に戻る前に売店でジュースとチョコ、ごま塩を購入。実は、おかずが足りなくて白米だけで食べていたが、これで解決しようという目論見。15時半:入浴今日も個室でシャワー。水圧は悪くないが、シャワーヘッドが小さいので水の当たる面積が狭い。16時15分:明日の予定看護師さんが明日の予定を伝えに来た。歯科検査とCT撮影があるらしい。まだ個室解除にはなっていないが、洗濯はOKとのことでランドリールームへ向かう。洗濯終了の13分前になったら柔軟剤を手動で入れなければならない。13分と中途半端な時間は洗濯機の指示にそう書いてあった。おそらく投入のチャンスは1分くらいしかないと思うのでランドリールームの近くで待機する。すぐそばには談話室が2つ。座って待とうと思ったが、どちらも埋まっていた。先生と患者、そしてその家族らしきグループが1組ずつ入っていて、治療方針や経過の説明を受けている様子だった。皆、表情は硬い。良い話なのか、悪い話なのか・・その顔からは読み取れない。その輪のなかに、ニット帽をかぶり、点滴をつけたまま説明を聞いている人の姿があった。明後日には、私も家族と一緒に先生から今後の入院治療について説明を受けることになる。けれど、まだ自分の状況を実感として受け止めきれていないのか、談話室の光景がどこか遠い世界のように見える。明後日はどんな話が出るのか・・不安になってきた。18時:夕食今日は大部屋に移動することなく、個室で夕食。ウキウキでごま塩を準備していたのに、出てきたのはちらし寿司という変化球。こういうパターンもあるのかと、次の試合に備える。フルーツにはバナナが1本。スーパーでもめったに見かけないほどのサイズで驚いた。なんとか食べきった。20時:夜の検温37.6℃。やはり夜になると微熱が出る。この結果がどう影響するのか、明日の判断が気になる。22時:消灯結局、今日は放射線科の説明を聞いただけの日だった。どこか別の日にまとめてくれたら、1日早く一時帰宅できたのでは?と思ってしまう。自宅に帰ったら何を整理しようかと考えながら、就寝。
個室で過ごす1日(これは2023年2月頃のお話です)ーー入院5日目の6時すぎーー6時20分:起床個室ならぐっすり眠れるかと思ったけれど、隔離の緊張か、発熱のせいか……、少し体がだるい。そういえば昨日、個室に移動した直後に細菌検査があって両腕から太い注射器で採血されたことを書き忘れていた。普段の採血用の容器よりもずっと大きくて、小学生のリレーで使うバトンくらいのサイズ、といっても過言ではない。バトン2本分の血を採って貧血にならないのかと不安になる。このだるさは、そのせいなのか?簡易的な結果は3日後、詳しい結果は1週間培養してから判明する。とにかく、37.5℃以下をキープしないと隔離解除されないらしい。6時半:朝の検温36.9℃。ほぼ平熱。7時半:朝食パックの海苔佃煮がついていた、減塩仕様で味は今ひとつ。佃煮はやっぱり塩気が大事だと思う。みそ汁には薄く輪切りにされたネギがたっぷり入っていて、これは美味しかった。8時半:食後外は快晴。テラスはもちろん、部屋の外にも出られないので、ベッドでゴロゴロ。看護師さんが来て、患者着のサイズ交換が今日できるとのこと。LサイズからLLサイズに変更してもらえた。パツパツ生活は半日で卒業できそう。12時:昼食えびと玉子の炒めもの。味はやや薄め。たくあんをお供に、ご飯をかき込む。14時:昼の検温37.1℃。微妙に上がっているけれど、まだセーフ。16時:シャワーさっぱりしたあと、LLサイズの患者着に着替える。少しゆったりしていて、快適になった。若干ウェストが緩いが、歩き回るわけでもないので妥協する。18時:夕食白菜のお浸しが美味しい。ポン酢に味噌の隠し味が入っているのか?これだけでご飯がススム。20時:夜の検温1回目:37.5℃。 隔離が1日延びてしまうのか?2回目:37.3℃。 敗者復活戦でクリア!21時:振り返り隔離生活を振り返る。エアコンの温度を自由に調整できて室温は快適。テレビもラジオもイヤホンなしで視聴できる。トイレもシャワーも誰の気兼ねもいらない。個室のいいところだ。今日は一日、ラジオをBGMにして過ごした。久しぶりに聴くラジオは新鮮で面白かった。ただし、看護師さんが来たタイミングでトークの内容が下ネタだとだいぶ気まずかった。そんな時はどんな顔をしたらよかったのだろう。せめて、にやけ顔でなかったことを願う。そして、気になるのは微熱の原因。細菌検査の結果。隔離解除の時期。早く売店に行って嗜好品を買いたい。22時:消灯ラジオを消して、就寝。……そういえば、1時間に一度、看護師さんが個室のドアを開けて寝相を確認しに来るので、気になって目が覚めることがあった。それで今朝の寝起きが悪かったのかもしれない。結果はまた目覚めたときに。
いまだまだまだ暑いですね先日ね、とあるショッピングセンターに、ちょっと用事があって行ったんです。世間はまだ夏休み。平日の日中の館内は、女性と子どもたちばかり。目的の階に行こうとしたんですけどね――エレベーターがもう、ぎゅうぎゅう詰め。タイミングが悪かったのか、カートを押した人でいっぱいでした。「しょうがないなぁ」って思って、階段を使うことにしたんです。その階段がね……内階段で、窓がない。じめっとしてて……空気が重い。……なんていうか、自然と呼吸が浅くなるような、そんな感じ。トントン…トン…と上がっていくと――ふと、鼻をくすぐる匂いがしたんですよ。……あれ? どこからか、おじさん特有の……あのね、加齢臭、ってやつです。でも、周りを見渡しても、数段先には女性がひとりだけ。おかしいなぁ……変だなぁ……。どこからともなく、確かに匂うんです。そういえば、こないだもエレベーターで、ちょっとこう……キツい匂いに遭遇したばかりでね。「気にしすぎかなぁ」って、自分に言い聞かせたんです。でもね、階段を上れば上るほど、その匂い、強くなるんですよ。ぬるい空気に混じって、肌にまとわりつくような……そんな匂い。おかしいなぁ……変だなぁ……。だんだん気味が悪くなってきてね、少し足を速めたんです。気づいたら、呼吸を乱しながら……駆け足で階段を上がってました。その時――前を歩いていた女性が、ちらっと振り返ったんです。私の異変に気づいたのか……それとも、何かを感じ取ったのか……。こちらもちょうど上を向いていたから、目が合ったんですよ。その瞬間――私、見ちゃったんです。黒く艶やかなボブカット……。その髪の下に、うっすら……ヒゲの生えた、――おじさんの顔が、あったんです。その時、私の頭の中に声がしました。「……どんだけ~」――あれ、なんだったんでしょうねぇ……。
新しい部屋に(これは2023年2月頃のお話です)ーー入院4日目の16時すぎーー引越しPCR検査をした小部屋から出ると、 大部屋に戻ったら貴重品だけ持つように言われた。残りの荷物は、看護師さんがすべて移動してくれるという。 床頭台も荷物を収めたまま運ばれる。寄り道は許されず、個室に直行。大部屋を出て病棟の奥へ進むと、 扉が閉まった部屋が並ぶ通路に着いた。大部屋は基本的に扉が開いているので、 その通路だけ、少し空気が違う。そのうちの一つの扉が開けられ、中へ。10畳ほどの縦長の部屋。入ってすぐ左手にトイレとシャワーが一体になったユニットバス。ユニットバスの隣に洗面台。 部屋の突き当たりにはベッドが一つ。大部屋との違いは、長期滞在用のロッカーが1つあること。そして、壁には畳一畳半ほどの大きな空気清浄機が空気を吸引するために低い作動音をたてている。無菌室病棟の中でも一番清浄レベルが高いところ。そう、ここは骨髄移植の際に使われる部屋だった。はからずも、事前検査の段階で後に過ごす事になる個室を体験することになった。お水個室の設備について説明を受けながら、 次々と運ばれてくる荷物を眺めていると、 週明けまでの水が足りないことに気づいた。水だけでも買いに行きたいと申し出たが、 答えは、NO。部屋からは1歩も出てはいけないという。午前中まで自由に行動していたのがウソのようだ。個室に隔離になった場合は、売店で代理購入してくれるサービスを頼むことになる。手数料は1回ごとにかかる。週に何回か来るらしいが今日は来ない。 困っていると、特別に看護師さんが買ってきてくれることになった。 助かった。看護師さんに「水だけでいいですか?」と聞かれ、 遠慮して「水だけで」と答えた。本音を言えば、コーヒーやジュースも欲しかった。シャワー今日は諦めかけていたシャワーも、個室になったことで入れることに。下着は洗濯したし、患者着も契約していたので、部屋まで届けてもらえる。着替えの問題はクリア。 昨日のうちに済ませておいてよかったと思った。ユニット内のシャワーとトイレは、シャワーカーテン1枚で仕切られているだけだった。トイレ側の床が濡れないように、シャワーの向きを気をつけながら入る。 窮屈だけど、慣れるしかない。シャワーを終えて、患者着に袖を通してみると、パッツパツで少し動くとお腹が出てしまう。ズボンも、すねが丸見え。私服はLサイズだが、患者着のLサイズは小さかった。借りるときに試着ができなかったので仕方がない。週明けにLLサイズへ交換してもらうまで、2日間の我慢。 夕食めばるの塩こうじ焼き。 これも、しっかり焼かれている。2食続けての魚。 魚は好きなので、今のところは贅沢に感じる。 しかし、介類が苦手な人にはこの連投は辛いだろうと勝手に想像する。検温夕食後に検温すると1回目は37.7℃、2回目は37.4℃。 体温が不安定なのは、なぜだろう。ともかく、37.5℃以下を安定して維持しないと 個室から出られないのではと、心配になる。気疲れしてベッドでゴロゴロしていたら、そのまま消灯時間になり、就寝。明日は、この部屋で何をして過ごそうか――。
入院後、初の週末(2023年2月頃のお話です)ーー入院4日目の6時すぎーー起床。昨晩は涼しくて、わりと眠れた気がする。体温、血圧、体重を自分で測定。何度か計りなおすも、37.5℃前後。夜勤の看護師に伝えると、少し首をかしげたが、そのまま記録をつけて戻っていった。朝食。生揚の料理が頻繁に出てくる印象。足りないので、売店のアンパンも食べた。食後しばらくして、主治医が回診に来る。土日は不在と思っていたので少し驚いたが、どうやら担当チーム内で交代勤務らしい。前日の髄液検査の途中経過は問題なさそうとのこと。少しほっとする。週明けの退院が現実味を帯びてきた。日勤の看護師が来て、今日は検査がないので自由に行動していいと言う。とはいえ、病院の外には出られない。病院内をうろうろするしかない。日光をじかに感じるには、売店そばのテラスに出るしかない。広さはバドミントンのコートほど。木製のベンチがいくつか並び、その一つに腰を掛ける。ところどころ木が朽ちていて、座り心地はあまりよくない。ずっと室内にいたので、日光が懐かしく感じた。景色も特に良いわけではなく、することもないので、20分ほどで部屋に戻る。昼食。大きめの鮭フライ。サクッと揚がっていて食感は良いが、味付けは薄め。付属のソース1袋では全然足りない。肉類は小さめだが、魚類は大きい印象。食事中、看護師が隣のベッドの患者に「ごはんが食べづらいときは、うどんかそうめんにも変更できる」と説明していた。私にはその案内がなかったのは治療中の患者向けなのだろうか?今度変えられるか聞いてみようと思う。食後。日勤の看護師が体温、血圧、薬のチェックに来る。相変わらず37.5℃。なぜか今回はスルーされず、小部屋に移動してPCR検査を受けるよう指示される。この病棟では、37.5℃を超えるとPCR検査をするルールらしい。鼻に綿棒をグリグリされて、結果待ちのため小部屋で1時間ほど過ごす。このグリグリも、うまい人とそうでない人がいると思う。結果は陰性。無事に大部屋に戻れるかと思った。しかし、微熱が続いているため、容態の変化を考慮して週明けまで個室で隔離管理するとのこと。移植治療中の他の患者にうつしてはいけないし、しかたない対応だ。のんびり過ごそうと思っていた週末が、急展開しはじめる。予定のない週末は、予定外の週末になった……