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源義経=ジンギスカン


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源義経とは兄頼朝が平氏打倒の兵を挙げるとそれに馳せ参じ、合戦を経て平氏を滅ぼし、その最大の功労者となったが頼朝と対立して非業の死を遂げた英雄義経(牛若丸)。
チンギスカン(チンギス・ハン)大小様々な集団に分かれてお互いに抗争していたモンゴルの遊牧民諸部族を一代で統一し、中国北部・中央アジア・イラン・東ヨーロッパなどを次々に征服して、最終的には当時の世界人口の半数以上を支配するに致る人類史上最大規模の世界帝国 、モンゴル帝国初代皇帝。
モンゴル帝国の初代皇帝・チンギスカンの正体が、実は生きて海を渡り異国で活躍を続けたのが源義経だったのではないかという。

これは江戸時代に義経記という本から広まった都市伝説であり、歴史の本に出てくるような徳川光圀(水戸黄門)や新井白石、林羅山までが源義経が北海道へ生き延びたと説を提唱し、そしてその後モンゴルに渡りチンギスカンになったと言われている。
それには理由がある。
国名の元=源。
モンゴルでは小型の弓矢が一般的に使用されていたが、チンギスカンは日本でしか使われていない長弓を使用していた。
義経が死んだとされるのが30歳、チンギスカンが表舞台に出てきたのが30代半ばでチンギスカンの前半生にはあまりわかっていない。
当初チンギスハンはモンゴル語を話せなかったという。
チンギスカンの別名は「クロー」、これは義経の別名「九郎」また、軍職の名は「タイショー」義経も「大将」を使っていた。
チンギスカンと源義経の戦術が奇襲を得意として非常に似ていた。

またこれとは別に義経には数多くの都市伝説が存在する。
武蔵坊弁慶が千本の太刀を奪おうとして999本まで集めあと一本のところで義経(牛若丸)と出会い身軽な義経にかなわず、返り討ちに遭い、弁慶は降参してそれ以来義経の家来となった。
鞍馬山で大天狗から修行を受けて
兵法を授かった

「判官びいき」(判官とは官職で義経のこと)といわれ昔の人は義経をやたら英雄扱いし、チンギスカンになり兄を恨んで日本に攻めて来た伝説を作り、女に化けてもばれなかったり、絶世の美少年だとも言われているが、実際は身長150cm当時でも小柄で色白の出っ歯のブ男だったらしい。







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