こんにちは。
心理セラピストの上谷和美(かずみん)です。
私のブログにようこそ。
前回、目覚めていくためには個人の自分に
向き合う必要があると書きました。
今日はなぜか?
を書きたいと思います。
あっ、でも、これって、
あくまでも私の経験なので、
一瞥体験した人や、「私は違うわ〜」って思う人も
いらっしゃると思います
絶対にコレ! って事じゃないですからね
どんな事にも正解はありませんので

「私」と云う個人はいない と云いながら、
なぜ、個人の自分に向き合うのか。
それは、自分個人が創っている
幻想の世界は思考だけで創られてなくて、
体験した身体や体験から伴う感情からも
創られていているからなんですよ。
この物質の身体(肉体)は、
命を守るために、身体自体に備わっている力があります

怖い体験をすれば、身体を守るために
感情が発生し、身体の機能にも記憶は残ります。
自分の安全を確保するために怒りを出したり、
不安が湧いたり、淋しさを感じたりね。
そうやって、
幻想の世界は体験を伴って身体にも記憶しながら
創られているんですよね 

そして、個人の幻想世界から抜け出し
目覚めた視点に立つって、
全ての辛いことが無くなり、何も不幸な事が起こらない事じゃなくて、
全てのことを「ある」として、認めて受け止めて
観察することだと思うんですよ。
この現象世界は、「ない」を見ることは出来ません。
「ある」「ある」「ある」「ある」、今ここに「あるもの」を
じっくりと観察していると、
いつしか観察している視点が「ない」にシフトする時があります。
パラドックスのようだけど、
「ある」を見続けることで、「全てが在る」世界で「ない」を体感するのです。
私は、その時に自分は個人の自分で無くなり『意識』になりました。
この世界は意識の中にあり、
そして、全てがただ在るだけで、
存在そのものが実態として
顕れている事が腑に落ちました。
こんなことは、思考で理解できないし、理解するにも言葉でしかありません。
それに、それ自体理解したとて大したことではないと思うのです。
私は、自分の正体の真実が知りたかったし、
自分を生きづらさから解放して、楽に生きたかったのです


だから、そのために私が体験した近道は
自分の内側にある感情感覚の痛みや醜さを
そのまま「ある」と
見届けれるようになる事でした。
そのために、個人の心を癒していく過程が必要でした。
多くの方はその痛みに向き合いたくなくて、
非二元やスピリチュアルな個人を超越した世界に
視点を向けたりします。
しかし、それは自分の内側にある世界を見ないようにしているだけです。
だから、いつまで経っても自分個人の幻想世界から
抜け出せなくて辛いのです。
幻想世界は感情や身体の感覚にも繋がって創られています。
いくら本を読んだり、人の話を聴いても
それは頭でっかちになっただけで、
心や身体のエネルギーは解放されず、
その幻想世界に留まり続けているんです。
だから、
個人の痛みの中にある感覚や感情や痛みを
癒していく事で幻想世界の色合いが薄くなり、
その感情も感覚にも留まり続ける事ができるようになります
それが出来るようになって、やっと
個人の内側にうごめいている感情や身体の感覚から
逃げずに
「ある」「ある」「ある」を見届けられるようになります
目覚めたところで、悲しみや痛みは無くなりません

なぜなら、
それを体験するために身体があるから…

でも、幻想世界の檻に縛られたままの視点から
悲しみや痛みを体験するのと、
目覚めた視点から体験するのでは、苦しみの体験が異なります。
そのためにも、
私は、個人はいないと云いながらも、
個人の幻想世界の枠に向き合い
自分の世界を理解して、痛みを癒す必要があると思うのです。
少しでも私の探求の道が
皆さんの苦しみからの解放に
繋がればいいなぁと思っています

今回は長くなりました。
最後まで読んでくださり、ありがとうございます

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