親の介護と看取りについて、この数年の経過を記録として残します。

もうすぐ父の1周忌

というわけで、

 

今回は両親の介護と看取りについて

母が倒れた2021年から

父の亡くなる2025年までの

記録を残します

 

 

2021年8月、母が脳出血で倒れた。

母73歳。私47歳


私は搬送時には立ち会い、

1週間ほど父の様子を見に行った以外、

その後は距離を置くことにしました。

 

母は入院していましたが、

実家にも行かず、連絡も取りませんでした。

 

 

2022年1月、父方の祖母が亡くなる。

久しぶりに父と会う。

祖母が亡くなったことを、母に伝えて欲しいと

私に言ってきた父。

 

怒りが込み上げる。

昔から自分が嫌なこと、

問題と向き合わない父。

 

ちゃんと自分の口で

祖母が亡くなったことを伝えなさい!

と、父からの申し出を断る。

 

こうやって父は、

一人娘の私になんでも

やらせようとする。。。

 

だから距離をとっているのだ

父と母が本当に自立するために。

 

 

2022年2月、母が退院。

母からは「よろしくね」と

留守電が入っていた。

 

が、私は
この時も会いに行かず、

連絡も取らないままにした。

 

とにかく

父も母もお互いちゃんと

向き合ったことがない

 

本音を言い合ったことがない

 

私が顔色伺い、

母の愚痴を全部聞いていたのだ

 

父には私が子供の頃から

ずっとしてきたことを

してもらいたい

 

子供に頼らず

ちゃんと

夫婦で向き合ってほしい!

と、距離をとった。

 

いざという時は行く

と伝えて…

 

2023年2月、

父の誕生日に焼き菓子を贈った際、

お菓子のお礼と

「20キロ痩せた。痩せて体が動きやすくなった」

と返信が来た。

 

友達から「お父さんのお心あるうちに」

と声をかけられるが、20キロ痩せた父。

 

両親の病と老い

頭の中が真っ白になる。

 

2021年から

疎遠になっていたこと

 

そして、20歳の頃から

父とはまともに目を合わせて

会話すらしていないこと。

 

20キロ痩せたと言われ、

なんと声をかけて良いのか分からず、

結果的に何もできないまま

時間だけが過ぎていった。

 

 

転機は2023年3月。
ABEMA Prime(アベプラ)への出演が決まり、

これをきっかけに父と連絡が取るようになった。

 

アベプラという
共通の話題ができたことで、

関係が少しずつ戻り始めた。

 

父が

「久しぶりに母さんが笑った」

と喜んでいた。

 

これをきっかけに

実家の様子を見に行くようになり、

 

父の通院に付き添い、

ケアマネージャーとも連携しながら、

少しずつ介護に関わるようになった。

 

父はこの時期には

母が亡くなるまで

自分が介護をすると

強い意志が芽生えていた。

 

しかし

 

体調的に厳しい父。

 

何度も介護をやめさせようと考え、

主治医にも相談。


しかし、

「それは誰の意見ですか」

「お父様にとって介護は生きがいです」

「生きがいがあるからこそ、生きる意欲になっている」

「生きがいを奪うことはできません」

と言われる。


 

 

介護をやめさせようとした時

「介護を奪われたら、俺は生きる屍だ!」と

言い放った父。

 

病気の父が

誰かの役に立っている。

 

体調的に辛そうなので

やめさせたいと思う私。

 

でも、父は

人の役に立っているというのは

生きる喜びなのだ。

 

主治医や父の

言葉を受け、

 

周囲が何を言おうとも、

父の意思を尊重することを決めた。

 


父が納得するまで介護させる

そのために私は支える

覚悟を決め、

環境を整えていった。

 

これは、

両親が共倒れするまで

介護をさせるという

私自身、

ものすごい決断だった。

 

だって、

そこまでしないと

父は納得しなかったから。。。

 

主治医はもちろん

ケアマネージャーさん

ソーシャルワーカーさん

行政。。。

すべて相談した。

 

まず、

父へ在宅酸素をさせる。

リハビリを受けてもらう。

 

各種制度を全部取り入れ

ヘルパー、訪問看護、

訪問診療全て利用。

 

母には

ショートステイを

利用してもらい

父の体を休ませる状況も作った。

 

毎日誰か、

家に行く(様子を見てくれる)状況も作った。

 

 

その間、母は

施設での態度が悪く、、、

施設3ヶ所出禁になった。

 

 

 

2024年6月、

在宅介護は限界を迎えた。

共倒れしたのだ。。。


母はナーシングホームへ入所し、

父は一人暮らしとなる

(訪問看護・リハビリを利用)

 

 

2024年7月、

父に肝臓がんが見つかる。

1年間で

10センチ弱の

大きさになっていた。


その後、

父も同じナーシングホームへ入所し、

母の隣の部屋で生活するようになる。


母の話し相手になり、

必要なものを届けるなど、

最後まで

 

母の世話をする役割を

持ち続けていた。

 

看護師さんや

介護士さんがいる中

「生きがい」となっている

母の世話ができている。。。

 

私にとっては

ありがたい状況だった。

 

 

2025年6月、父が他界。

 

亡くなる2日前から高熱。

トイレに行くにも介助が必要になる。

早朝「トイレに行きたい」と

ナースコールしそのまま心肺停止。

 

倒れた姿を見たのは、

夜勤の看護師さん2名だけ。

最後まで家族や周りに

心配かけたくない

負担をかけまいとする姿を貫いた父。

 

 

主治医からの

「生き抜いたね」という言葉が、

今も心に残っている。

 

父は自分が倒れるまで、

母を在宅介護し、

ナーシングホームに入所しても

母の世話ができた。

 

嫌なことから逃げ

お酒、ギャンブル、女など

家庭を顧みない父でしたが、

 

母の介護があったからこそ

私も今まで我慢していた

両親へのモヤモヤをぶつけ、

 

介護について何度も話し合う中で

両親の愛、家族の愛を感じることができた。

 

介護があったおかげで、

家族になり、

 

人生の帳尻合わせをして、

旅立ったと思う。

 

両親と距離を置いたこと、

側から見ると「ひどい」と

思われるかもしれないが、

 

あの期間で、父は

本当の「自立」をしたと思う。

 

父への後悔は全くなし。

 

最近は

「寂しいな〜」と

思いますが、

 

全てやり切った

心残りはありません。

 

1年は早いな〜。

 

Kazumin