シルクロ-ドの終着駅、古都奈良・平安の雅、京都・・

関西の文化、四季の移ろいを・・・・

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修学院離宮

田植え後の修学院離宮を楽しみに

参観したのですが・・・

今年は田植えが遅れているとの事で期待はずれでした。


写真をクリック拡大されます。


修学院離宮の正門






下離宮の苑路



寿月観の襖絵

虎渓三笑図



寿月観・新しくなった青竹の雨樋



松並木・奥の山は比叡山



中離宮・楽只軒(ラクシケン)

突き出た青竹の雨樋



楽只軒・板戸絵

祇園祭




楽只軒・襖絵と板戸絵


楽只軒・板戸絵

鯉と鮒の板戸絵の裏

ここには鯉一匹と表と同様破れた網が・・

引き手金具には徳川家の家紋


例年より遅れている田植え


借景となる背後の山と三つの離宮を結ぶ

松並木道、両側に広がる田畑。



上離宮入り口の金網


無断進入者の防止用と思っていたが、

野生動物の下山対策・・


上離宮で見た野生の鹿

足音や話し声などに驚く様子はなく、草を食む鹿

去年満開の石楠花(右上)は今年は新芽の

食害に遭い花ひらかず。


隣雲亭からの眺望


隣雲亭から・大刈り込みと浴龍池

谷川をせき止め作られた回遊式庭園

写真上は、西浜と呼ぶ堤防


中島から見た西浜



新しくなった千歳橋の鳳凰

ここには約30頭の野猿が住み着き、猿に鳳凰の

羽根を折られたため新しくなったと・・・



青鷺


下・中・上の離宮参観を終えて


出口へ


修学院離宮ご覧頂きありがとうございました。


























魅惑の桂離宮

皐月と新緑に魅せられて

桂離宮のブログを作りました。


写真撮影 07-05-01


写真をクリックして下さい

拡大されます。


離宮外苑の巨木

擬人化されたように見える巨木

おとぎの国からの来訪者?



対岸から見た住吉の松



苑路用明かり灯篭



織部灯篭


別名キリシタン灯篭、古田織部が考案したと

伝えられる隠れキリシタン用。下にマリア像が

彫られています。




州浜と岬の灯台



天橋立


鉄鉢型手水鉢

中には小石が・・・昔は水が張られていました



白鷺



左の白い点



素朴



土橋




皐月と新緑の競演




左から・新書院。中書院・古書院




茅葺屋根の葺き替えられた笑意軒



土橋・賞花亭



園林堂(オンリンドウ)




土橋と書院



微かに見える松琴亭の屋根



張り替えられた月見台





皐月と新緑の桂離宮ご覧頂き

ありがとうございました。




















藤と新緑に彩られた仙洞御所

07/5/1日新緑と藤に彩られた仙洞御所


を参観  写真をクリック拡大されます。




雨雲に覆われた大宮御所






御常御殿





春紅白の花を咲かせていた梅


左 紅  右 白




御常御殿内庭




松・竹・梅が植えられている事から松竹梅の庭と


呼ばれています。



北池・中島に架かる石橋




中島から見たお庭口




南池に架かる八つ橋全景







八つ橋入り口




対岸の縦線は雄滝落差2.3m


その右は、小野之小町伝説の草紙洗いの石







水面




八橋と中島




水戸家献上の灯篭




中島




醒花亭(セイカテイ)中島より







ベンガラと新緑・醒花亭 




烏の被害・又新亭(ユイシンテイ)


明治17年近衛家から献上されたもの


茶室の丸窓は江戸時代に好まれたと・・・




ご覧頂きありがとうございました。















東大寺の四季

大仏殿とその周辺の写真で


ブログを作成しました。




写真をクリックすると拡大されます




大仏殿








回廊










東塔跡  奥の小高いところ









本坊の横







鏡池




 




勧学院庭園








南大門 遠望  手前は勧学院







ご覧頂きありがとうございました。




枝垂桜の京都御苑と京都御所


京都御所


3月29日Yさんと、出町柳から京都御所参観に出掛けました。

出町柳→鴨川→京都御苑→京都御所→丸太町→出町柳

写真をクリック拡大されます。


鴨川 アセビと河合橋


鴨川公園の枝垂桜



京都御苑  明治天皇御生誕の地


御苑の枝垂桜







桜の木を通して・・京都御所の築地塀


清正門から


御常御殿の大屋根


御車寄


諸太夫の間   上座の障壁画


新御車寄



建礼門


承明門(ジョウメイモン)から紫宸殿

右近の桜・・左近の橘


葺き替えの終わった建春門


宜陽殿(ギヨウデン




清涼伝正面 天皇ご休息用椅子・前左右に狛犬

右奥はご寝所


紫宸殿裏の階段




欅橋



蹴鞠の庭右は御学問所




小御所左側面


御池庭


御池庭




御学問所板戸絵

写真 山下浩一



清涼殿板戸絵  




清涼殿板戸絵


御内庭


御内庭


御三間(オミマ)の屋根



御殿群の大屋根




宜秋門(ギシュウモン)


築地塀・御所 正面仙洞御所

奥・大文字山


建礼門(御所の正門)


建春門

御所には六箇所の門がありますが

格式により使用する門は定められていました。


仙洞御所の築地塀




鴨川の亀

ご覧頂きありがとうございました、

説明不足の点お許し下さい。

仙洞御所と大宮御所

写真をクリック・拡大されます。


仙洞御所とは、

 (上皇や院などといわれる退位された天皇の御所) 

後水尾上皇の御所として寛永七年(1630年)に完成しました。

 上皇ご存命中三度焼失し再建され、 以後五代の上皇が

使用されて来ましたが、嘉永七年(1854年)の大火で焼失し

それ以来造営されていません。

現在は醒花亭と又新亭(ユウシンテイ)の二つの建物だけで、

雄大な庭園が往時の面影を残しているだけです。


大宮御所とは、

 皇太后の御所で、慶応三年(1867年)女院御所の跡に造営されました。


安政二年(1855年)建造された築地塀




開かずの扉、仙洞御所正門




大宮御所 現在も天皇、皇后が入洛の時と

国賓の入洛のとき宿所として使用されています。



大宮御所、車寄せ




大宮御所 お常御殿




紅梅




お庭口から・・両陛下・国賓も朝の散歩は

ココから始まります。





北池周辺




北池周辺




北池周辺




北池周辺 白梅




北池 お船着



阿古瀬淵(アコセガフチ)と六枚橋

阿古瀬淵 紀貫之の幼名阿古久曾(アコクソ)に由来します。



六枚橋から眺望した北池




雌滝・滝壺の鯉




雌滝から見たお庭口




鎮守社(チンジュのヤシロ)




土橋




北池周辺




カラス・憩いの場

紅葉山には鷺の森がありますが御所には

沢山のカラスが憩い、参観者も空からの爆撃で

頭や衣服が汚されるのでご注意




南池 左から・土橋 白梅 雄滝




南池



紅葉橋




石橋



八橋と藤棚 右は中島




側面から見た八橋 手前は州浜




州浜 州浜に敷き詰めた石は111000個

カラスがこの石を掘り出しばらばらにするので最近敷き直したとの説明

カラスの被害は石だけにとどまらず、茅葺の茅を引き抜いたり苔を掘り起こしたり

釣り糸を張り巡らしてカラス対策に苦心しています。




醒花亭庭の朝鮮灯篭



醒花亭前の灯篭  十字架を変形したもの

桂離宮・修学院離宮にも同形の灯篭があります。





氷室  冬に氷を入れ夏に取り出し使用した、氷の貯蔵庫




柿の本人麻呂神社 

説明では・・火事が多くて火災防火の意味もあって

       人麻呂・・ ヒ トマロ




又新亭(ユウシンテイ)の入り口



又新亭(ユウシンテイ)前の蘇鉄


 仙洞御所の地泉回遊式庭園のブログごらん頂き

ありがとうございます。

 

















桂離宮

2006-05-14 10:19:20

参観コ-ス



宮内庁京都事務所ホ-ムペ-ジより

パノラマ


桂離宮は・陽光院第六皇子・八条宮智仁(もちひと)親王が
元和四・五年頃(1618~1619)知行所の見回りのさいの
休息茶屋として、知行所の一つである下桂村に造立されたのが
始まりである。



写真をリクックして下さい拡大画面がでます。
大中島からの展望、晴天の日は背景に愛宕連山と鞍馬山が見える場所

画面左は御殿と月波楼右は天橋立



桂垣


初冬(降雨直前) 桂垣




撮影06-12-07


竹生垣は離宮の東辺の境で、桂川堤防に沿い
苑内の竹を編みこんで造られた桂離宮独特の垣である。

写真の右は桂川


穂垣




撮影06-12-07



桂垣に沿い進むと道は堤防から左に曲がり、この辺から
穂垣に変わる。

穂垣は太い竹を均等に立てその間を水平に竹の枝を並べ
て造られている、これも離宮独特の垣である。


表門





撮影06-12-07




穂垣より少し中に入こんで、竹の袖塀を持ち二本の太い木の柱を立て
竹の扉を付けた簡素な形式。


御幸道



撮影06-12-07



表門からこの道を輿に乗り離宮内に入られる。


御幸門




輿は門の右の石敷きの四角に見える場所に下ろされ
茅葺の棟門、(あべまきの太い皮付きの丸太で造られた
門)を歩いて中に進まれる。



住吉の松



生垣の先に小ぶりの松が目に入る、この生垣と松により
対岸の景色を見せないようにしている。

屋根だけ見えているのは松琴亭


広い水面と松琴亭

住吉の松がら数米進むと生垣が切れ視界が開ける。




正面の建物は松琴亭


紅葉山



この道は苑内、回遊路への導入路で道の右側は紅葉山
道の奥に行き止まりの灯篭がみえる。


延段の先に灯篭が置かれている

延段・・切石や自然石を敷いて造った道



外腰掛




紅葉山から左に曲がり少し行くと外腰掛が設けられている、
松琴亭で始まる茶会を待つ席である


左の扉は砂雪隠の出入り口


蘇鉄山




撮影06-12-07月波楼の窓越しに見える、

防寒保護された蘇鉄


外腰掛の前庭として築山が作られ苑斜面に十数本の
蘇鉄が植えられている。



延段と灯篭




切石や自然石の大小様々な石を敷き詰めた
道(延段)で行き止まりを示す灯篭が置かれている。



二重巻枡形手水鉢



蘇鉄山の延段北に置かれた手水鉢
今では小石が詰められているが、かっては
水が張られていた。



州浜・天橋立と松琴亭

海辺の景観



扁平な小石を敷き詰め州浜を作り、岬の先には灯篭を置き
池の中の二つの小島に石橋を渡し天橋立に見立て
ている。


松と州浜




州浜の奥に見える石橋を渡れば松琴亭


護岸

護岸の石組み





右は蛍谷の土橋へ

石橋



撮影06-12-07


松琴亭前の石橋で、白川石といい長さ6米幅60糎の
一本の石で、下は、流れ手水・対岸は荒磯の浜



卍亭



卍亭の本体は樹木に隠れ見えないが、白い樹幹から
僅かに茅葺の屋根が見える、茶会の待合所



蛍谷の土橋

松琴亭西側から見た土橋





土橋



蛍谷に架かる土橋、橋を渡ると賞花亭のある大中島である。

眺望



撮影06-12-07




撮影06-12-07



賞花亭よりの眺め、左の建物は月波楼、
その斜め右下は住之江の松



手水鉢



賞花亭に置かれた鉄鉢形の手水鉢・以前は水が張られていた。




賞花亭から



賞花亭から、中書院と愛宕連山(遠景)


左の小中島



賞花亭より、大池に二つある小中島(左の島)

右の小中島



賞花亭より見た、大池の二つある右の小中島


島を繋ぐ橋



二つの小中島を繋ぐ橋


賞花亭より




撮影06-12-07


賞花亭より眺望


扁額 賞花亭



曼珠院門跡良尚法親王の筆





賞花亭の竹の連子窓



御殿



賞花亭と御殿の前庭を繋ぐ橋で、右は小中島のある大池で
左の池は園林堂から笑意軒へ

御殿



賞花亭から北へ坂道を下り反橋を渡らず島に沿った道を進む。

園林堂前



園林堂は智忠(のりただ)親王の代に造立された仏堂




池に架かる反橋(そりばし)



雪見灯篭





園林堂の西側にある雪見灯篭



園林堂

笑意軒から見た景観



笑意軒





笑意軒正面を入り江ごしにみたところ
池岸には舟着場をもち、斜面に二つの
階段を設けている。



三角灯篭



笑意軒横の三角灯篭


扁額と窓

笑意軒の窓は、竹連子窓・下地窓・木格子窓など
多様な変化をもたせている。


下地窓



下地窓の左半分の仕上げは忘れられた
と言われている。

笑意軒中の間



窓下の腰壁にはビロ-ドの格子縞と金箔の貼り付け
など独創的意匠

つつじ1



つつじの樹齢は?


つつじ2



苑路にそって


つつじ3



延段と反橋とつつじ 

つつじ4



反橋


撮影06-12-07


前庭



御殿・前庭の延段


古書院、月見台




撮影06-12-07


古書院・二の間前方に突き出して
造られた、竹縁の吹き放ちの広縁。



板橋



石橋・土橋・反橋そして
中島に通じる板橋と、橋の種類も多い。

建物は松琴亭

土橋

撮影06-12-07


松琴亭



月見台前から

月波楼


月波楼に通じる道、(右の建物が月波楼)

月波楼室内

撮影06-12-07


古書院御輿寄と真の飛石



古書院御輿寄が一段と高く設けられ、左の壁は奥庭との区切り、
苔の間の飛び石と石段まで長く切石敷の道が敷かれている、
これが「遠州好みの真の飛石」


御舟屋



周囲を生垣で囲まれ人目に付かない所に
御舟屋がある、



通用口から



通用口、門の内側

苑外の古木

通用門を出て数歩で右側にある古木。




撮影06-12-07


穂垣


写真右を見れば穂垣の造り方が判る。



撮影06-12-07 映像の白い斑点はフラッシユに

雨粒が反応したものです。



穂垣と桂垣の接点

撮影06-12-07


桂垣



雨の桂垣


撮影06-12-07




左は桂川、右は桂垣、桂川の堤防は舗装され車が
頻繁に通る通行注意。

桂垣に始まり参観順路で撮影し、桂垣で終わった桂離宮のブログをご覧頂き
又、コメント・メ-ルを下さいましてありがとうごさいました。

黄砂に霞む修学院離宮と初秋の修学院離宮

修学院離宮は後水尾上皇によって造られ、万治2年

(1659)に完成した上皇の離宮である。


各写真をクリツクして下さい、写真が拡大されます。


(これまで公開していたものを纏め、又、写真を追加しました)


総門


修学院離宮


離宮は上・中・下の三つの茶屋によって構成され、東に比叡山の山裾が広がり段々畑が離宮を取り囲

み、田園の中を緑の線が走り、それは三つの茶屋を繋ぐ松並木である。


総門は離宮の出入り口、この場所で拝観許可書の確認をされます。



拝観についての注意事項

修学院離宮の拝観は宮内庁京都事務所に拝観申し込みをしなければ拝観できません。

拝観申し込みは下記アドレスから、宮内庁のペ-ジです。

http://sankan.kunaicho.go.jp/


記事は、修学院離宮ポケットガイド・小学館、原色日本の美術より抜粋



総門の内

修学院離宮の拝観開始、

修学院離宮


係官に先導され進むと、視界の開けた空間に出た、道一面に敷き詰められた白い小石、落ち葉など塵

ひとつない清潔さ、黄砂が悔やまれてなりません。



御幸門

修学院離宮

こけら葺きの屋根と花菱紋の透かし彫りのある板戸の簡素なご門で

行幸の際に用いられた。


この門を入ると下離宮の庭園が、白小石の敷いた細道が池を巡り小川を渡り

寿月観へ導いてくれます。


三日月灯篭

修学院離宮の庭にはあまり目立たないが庭の要所には意匠を凝らした灯篭が沢山置かれている、

修学院離宮

下離宮・寿月観前庭の灯篭


寿月観の御輿寄せ


06-9-12 撮影


寿月観

修学院離宮

寿月観はこけら葺き数奇屋造り、文政7年(1824)に

改造され今に至る。


扁額の寿月観の文字は後水尾上皇の

宸筆です。




一の間

寿月観

修学院離宮

一の間の襖絵、と上段の間



滝の白糸


06-9-12 撮影

寿月観の脇に石組みと小さな流れがあり、

中央の三角形の石を富士に見立て、流れ落ちる小川を滝に・・・

白糸の滝、古人の遊心


竹の雨樋  06-9-12 撮影



中離宮えの松並木

修学院離宮

下離宮から程なく行くと道は二手に別れる。

正面は中離宮に向かう、田畑の中に作られた松並木道。




農地と松並木

修学院離宮



06-9-12 撮影

田畑の中を通る松並木




閉ざされた林丘寺の門

修学院離宮

坂道を登ると右側に閉ざされた門が見える。


中離宮庭園

修学院離宮

元林丘寺の大書院がこの庭と成り、中央に地を這うように丸く枝を

広げた笠松が植えられている。




楽只軒(ラクシケン)

修学院離宮

六室から成り、修学院離宮の中では古いほうで、

屋内の壁には林丘寺二代普光院宮が疱瘡にかかり

治療祈願の護摩を幾日も焚き続けたためと伝えられる

煤の跡が残されている。



楽只軒の襖絵と板戸絵

修学院離宮

板戸絵に描かれた鯉は網の中を泳いでいるが

網の上部は破けていて破れ目から逃げ出せる。

この絵にも遊び心が伺える


楽只軒(ラクシケン)の庭

修学院離宮

同じ庭でも、曲がりくねった道を歩むと違った風景と出会う面白い嗜好




別の方向から見た楽只軒(シラクケン)

修学院離宮


東山連峰の北端を取り入れた建築

黄砂に霞んだ東山連峰の北端がすこし見えている。



隣雲亭から


地形を利用して堤防を築き谷の水を集めて作ったのが

上離宮の浴龍池でその土手や石垣を隠して自然の

景観を作るため多くの潅木を混植し、刈込んだのが

大刈込です。

浴龍池はダム湖です、この様に表現すると味気が無くなりますね。


記事は 修学院離宮ポケットガイド 小学館・原色日本の美術より抜粋





離宮の中の農地



後水尾上皇は、離宮造営にあたり造園に必要な区域を最小限に留め、

農地はそのまま残された。

下・中・上の離宮の往来に畦道を歩き楽しまれたと伝わっています。



06-9-12 撮影


残された農地2


離宮となじんだ京都の市街地、




お馬車道


明治天皇の離宮行幸に際し三つの離宮は馬車が通れる様に拡幅され

道の両側に赤松の苗木が植えられ、今はこの様に立派な松並木となった。



山つつじ

上離宮御幸門脇のつつじ





桜とつつじ


上離宮の御幸門から見た桜と山つつじ、そして新緑


隣雲亭  06-9-12 撮影



隣雲亭 一二三石  06-9-12 撮影


隣雲亭から見た愛宕連山



見事な借景





隣雲亭からの遠望


隣雲亭から眺めた右側、大刈込と三保ケ島に架かる千歳橋。

大刈込の刈り方について係官に尋ねてみた、返事は、

刈込みの中に足場を組み、薙刀で切り揃えるとの事であった。


隣雲亭横のねじれ桜  06-9-12 撮影



雄滝



雄滝




楓橋から  06-9-12 撮影


後水尾上皇の宸筆



楓橋を渡った三保ケ島の頂に、こけら葺の茶室・窮邃亭(きゅうすいてい)が

ある、窮邃(きゅうすい)の扁額は後水尾上皇の宸筆である。





千歳橋



文成7年(1824)光格天皇の御代に京都所司代内藤紀伊守信敦が進献し

た唐風の橋で茶室ある三保ケ島と万松塢(ばんしょうう)と呼ぶ島を繋いで

架けられた橋



青鷺と鳳凰 06-9-12 撮影



鳳凰


千歳橋の屋根に飾られた金色に輝く鳳凰




隣雲亭遠望


三保ヶ島と万松塢(ばんしょうう)の架け橋、千歳橋と御腰掛と隣雲亭





御舟宿(おふなやどり)



浴龍池には三ッの島がありお舟で島を巡り、管弦や詩歌の会など楽しまれ

た、そのお舟の格納小屋である。




棚田 06-9-12 撮影


閉ざされた



下離宮から中・上離宮参観に通った門は帰りには閉ざされ、門を迂回して

総門へ案内された。






依水園

依水園は明治期を代表する庭として、

昭和50年に国の名勝指定を受け、

奈良市内唯一の池泉回遊式庭園です。

池泉回遊式庭園の魅力は少し移動しただけで

景色の変化に富んでいる事です。


パノラマ
四季を問わずこの眺めは、見飽きることはない。


初夏

晩秋



写真撮影 06-11-29

依水園マツプ




記事は園内案内より、総面積約4千坪

マップ白色楕円は依水園を示します。


依水園に向かう途中で出会った民家の古木

早春


樹齢はどれ位か?幹・枝にはノキシノブが

群生し、奈良市内とは思えぬ情緒ある風景


撮影2006-10-18



初夏


依水園への途中で見かけた白壁に垂れ下がった藤の花



依水園に降り注ぐ穏やかな早春の日差し

依水園庭内の紅梅


前園から見た入り口方向



光輝く万両


前園と後園との段差の石組みの間に万両が

小粒の珊瑚をつけて、


前園の池
入口付近から見た前園の池(初夏)


睡蓮の若葉の巻かれた葉先が少し水面に

出ていました。


前回見た睡蓮は巻いた葉を少し水面に出していた
が、こんなに葉を広げていた。


(初夏)





庭の構成は西側の前園と、東側の後園から出来ています。

これらは創始を全く異にする二つの回遊式庭園を

組み合わせたものです。


(初夏)

池の石組み

前園の池の見所は、護岸の石組みと鶴と亀に

なぞらえた中島である


(初夏)

三秀亭1

江戸期の延宝年間、1670年代に奈良晒業者の清須美道清が

別邸を設け、宇治黄檗山の木庵禅師が名付けた建物


(初夏)

池の石組み

前園の池の見所は、護岸の石組みと鶴と亀に

なぞらえた中島である



入り口から右が前園、石段を降り回遊庭園の池を半周

睡蓮と灯篭

(初夏)

灯篭



撮影 06-11-29

前庭の特徴として、随所に置かれた灯篭がある。





前園の木立の隙間から、早春の日差しを 燦々と

浴びて順路沿いの苔が・・

左端には後園の池を水源とする小川の流が。

(初夏)



前園は「奈良坊目項」によると興福寺摩尼珠院(マニジュイン)

の別業があった場所とされており、・・・以下省略


木立と茶室

前園を巡り後園の上り口にお茶室が・・




撮影06-11-29


後園から順路に沿って流れる小川





見事な庭造りの技

前園から狭い道を登ってくると木の間から

後園の池と、視界が

急に広がりをみせ想像もしていなかった世界が

姿を現すといつた意表をついた二つの庭の

組み合わせです。



「後園は明治32年に奈良晒業者の関藤次郎の気宇を汲んで裏千家

十二世又玅斎(ユウミョウサイ)が作り上げたと伝えられています。」

碑(イシブミ)

自然石に刻み込まれた依水園の文字


周囲に植えられた熊笹

依水園と言う名は万葉集に詠まれた、吉城川

(ヨシキガワ)に依っている事と、杜甫の詩に

「名園依緑水」の一節がありそれを

引用したと伝えられています。


狭い登り道




撮影06-11-29

可愛い水車


前園と後園の池を結ぶ狭い流れがあり、

一段高い後園からの落差を利用して水車と

可愛い水車小屋が設けられ、子供の頃見た

農山村の風景を思い出して・



石臼を後園の池に配置し飛び石に





この石臼を眺めながら脳裏をかすめたのは

東大寺・転害門の事です、手貝門・佐保路門・

影清門などの色々の呼称であります。

東大寺・転害門の謎・の記述の中に下記のように述べられた部分があります。

東大寺『南都七大寺巡禮記』などの古文書に度々でてくる碾磑(テガイ)に関する記述である。

「西向の南より第三門也。碾磑御門堂と號す。

此の門の東に唐臼亭あり。故に碾磑門と云う。」また、「碾磑亭は、七間瓦屋なり。

碾磑を置く。件の亭は講堂の東、金堂の北にあり。その亭内に石唐臼を置く。

これを碾磑と云う。



石臼の飛び石3

色彩豊かになった後園の池



石臼の飛び石2

水際にて対岸の茶室を・・・



撮影06-11-29


紅葉と桜



撮影06-11-29

見事な借景

万葉の世界にタイムスリップした別天地


借景2

東大寺南大門・若草山・春日奥山・御蓋山を取り入れた借景





撮影06-11-29



撮影06-11-29



青空と桜

後園で唯一咲いていた桜



礎石

この庭は明治の造園です、この礎石は近くの大寺の

遺構から運ばれたものでしょう?



こけら葺きの建物
目線を変えれば、こけら葺きの建物が・・


出口の手前

撮影06-11-29


通路
依水園の出入り専用通路






















重源上人御遠忌800年法要

写真をクリックして下さい画面が拡大されます。


06-10-19から11-1の間に公開したブログを編集したものです。



懸額前の南大門



 今年は、鎌倉時代に東大寺の大伽藍を復興された、

大勧進重源上人の八百年御遠忌の年にあたります。

 東大寺の山門である南大門は、重源上人再興の

伽藍として唯一現存するものですが、鎌倉時代の

学僧凝然が著した「三国仏法伝通縁起」によれば

古くはこの門に、「大華厳寺」の扁額が掲げられて

いた、と記されています。


記事  東大寺・南大門扁額より



東大寺観光の人気スポット南大門の中では仁王像と

大仏様(ヨウ)建築の説明が大勢の修学旅行生や

観光客に行われていました。



額の懸かっていない南大門はこれが見納めとなりました。


撮影 06-9-27



雨中の懸額工事


雨の中でも工事は行われています、南大門は通行禁止。

修学旅行生や観光客は、南大門手前でガイドの話を聞いている

折角訪れたのに、仁王像や大仏様建築の内部を拝観できず、

撮影しながら気の毒に思い、又、これが返ってよい思い出に

なるのかなとも思い直したりして・・・



撮影 06-10-11

扁額除幕式
紐の取り付け


紅白それぞれの布を撚り、太くて長い紐状にして扁額に

取り付ける作業の様子、


撮影 06-10-13


除幕



額につながった紅の長い紐状にした布は参列者の左半分に、

白い紐状にした布は右側に渡され、参列者が一斉に布を握ると

同時に幕が下ろされ、金箔に縁取られた幅4.5米の扁額が

姿を現しました。

撮影 06-10-13



除幕を終えて


無事除幕は終わりました、

撮影 06-10-13


扁額


題字は聖武天皇の宸筆と伝えられる「大聖武」の

経巻から集字している。  記事 東大寺


創建時の基壇跡


今を去る1250年以上もまえ、聖武天皇は盧舎那大仏を造立されました。


人材育成の大伽藍も、四百有余年後、政治権力をめぐる抗争のあおりを
受けて大伽藍は無残にも焼失してしまいました。

それを見事に復興したのが重源上人であります。

13才で醍醐寺で出家得度し壮年に至り三度中国に渡りました、平安末期
勧進聖として活躍していた上人に、造東大寺大勧進の宣旨が下されました。

時に61才・86才で入寂される頃東大寺は天平の姿を取り戻していました。


記事 御遠忌法要のしおり・より抜粋


写真は創建当時の基壇跡、(現大仏殿の左右の遺構)

重源上人も創建当時の規模で大仏殿を再建されました

 (木造大建造物であったことが遺構から偲ば

撮影 06-10-4


法要の準備が進む大仏殿



鎌倉期再興、重源上人800年御遠忌法要の

準備作業中の大仏殿、(大仏殿左右の宝塔
は江戸時代に描かれた大仏開眼供養鳥瞰図に

もみられます。)

撮影  06-10-4


特別舞台設置工事

慶賛奉納行事用に、大仏殿階段の上に、

特設舞台を設置


10月14日19日21日に音楽慶賛奉納が行われます。

21日は谷村新司と日本・中国の少年少女合唱団との

Liveが行われます。


撮影  06-10-4


荘厳された大仏殿



13日午後7時から殿内で燃灯供養が行われます。



天平18年(747)10月6日に、盧舎那仏の塑像の原型が完成した

事を祝って光明皇后や多くの国民とともに尊像の周囲に灯明を

捧げ、各自手燭をかかげ賛嘆供養して盧舎那仏を巡る燃灯供養

を実施されました。   記事 宗報  華厳より抜粋

撮影  06-10-13


特設舞台の内側から


特設舞台の内部から・・・・

五色の幕も取り付けが終わり

後は奉納演奏を待つだけ

幕中ほどの細い帯には寄進者の氏名が墨書

されている、家族で寄進したのか同姓の文字も

見られました。


撮影  06-10-13


静寂 (法要の準備完了)


日没後静寂を取り戻した大仏殿

撮影  06-10-13


伶人道楽吹奏1


行列は天皇殿出向以来、伶人道楽吹奏により行列が進みます。

(南都楽所ナントガクソ)

道楽吹奏の先頭を進む太鼓


撮影  06-10-16


伶人道楽吹奏2



鐘の後には、童舞(ワラベマイ)の迦陵頻・胡蝶が続きます。

撮影  06-10-16


伶人道楽吹奏3


奏楽本体の行列


撮影  06-10-16


僧兵


勇壮な僧兵


撮影  06^10-15


出迎え


先着した僧たちは中門の両側に並び講師をお出迎え

 

撮影  06-10-19


先導



講師を高座に案内する僧

撮影06-10-16


高座に向かう


 
僧に導かれ高座に向かう講師のお二人


撮影  06-10-16


上座


畳敷きの長椅子に着座、法要の始まり

15日は二時間弱、16日は約三時間、直射

光線を浴びながら頭に手を上げたり上体を

動かす人も無く、修行を重ねた僧の凄さが

わかりました。


正座する様子


撮影  06-10-16


舞楽  振鉾三節(エンブサンセツ)



舞楽の始に舞われる曲で、国土安穏・雅音成就を祈る。

まず鉾を持った赤袍左方の舞人、ついで緑袍の右方の

舞人がそれぞれ笛の乱声に合わせて舞い、最後に二人が

鉾を振り合わせる。   舞楽解説   南都楽所抜粋


袍(ホウ)  平安時代には天皇や貴族の着た正式の着物

 

東大寺の祐全(ユウゼン)が天文五年(1536)頃

につくられた東大寺縁起絵巻下巻に、この場面が

描かれています。


灯篭を挟み二基の高座が向かい合って置かれ、

講師が座し、舞台の上で舞人が鉾を突き出し、火焔太鼓を

しのばせる日輪が描かれています。

著作権の関係で絵巻の掲載は出来ませんが、今も変わらない

絵巻の世界

撮影  06-10-16



献米  越前米奉納


撮影  06-10-15


献花  福井県花・水仙

     福井市花・紫陽花


撮影  06-10-15




散華 

    


上座していた僧が全員起立し

撮影  06-10-15


散華 


唐破風の上から空高く舞い上がる散華

散華には飛天が似合います、でもココでは烏


撮影  06-10-16


散華 

 

大型の散華は僧侶が使用したもの

両脇の小型の散華は唐破風から舞い上がったもの(色は五色)

読経の中で散華する

撮影  06-10-16



舞楽は古代朝鮮や中国大陸に発達し、5世紀の中頃から

日本に伝わっている。 しかし、今ではそれぞれの母国では

既にその伝統が失われて日本にのみ保存されているという

世界において最も古典的かつ貴重な芸能とされている。

舞楽はその伝来や性格によって左舞と右舞の二種類に別れる。


 左舞は中国・インド・インドシナ方面から伝来したもの及びその形式に

ならってわが国で作られたもので、唐楽とも呼ばれている。

主として赤色系統の装束を用いる。

 右舞は朝鮮半島や渤海国から伝えられたものや、それにならって

新作されたもので高麗楽とも呼ばれる。緑色を基調とした装束を用いる。


童舞(ワラベマイ)迦陵頻(ガリョウビン)


迦陵頻伽は、仏教で雪山又は極楽にいて飽くことない美しい声を発するとされる鳥である。

天竺で祇園精舎供養の日に飛来し、妙音天(弁財天)がこの曲を奏したと言われる
子供たちが舞う童舞で頭には冠と花を背中には大きな鳥の羽を着けて跳んでは、

手にした胴拍子(小さなシンバルのようなもの)を打ち鳴らしながら出てくる


撮影  06-10-15


童舞(ワラベマイ)胡蝶



四人の童子が、極彩色を施した大きな蝶の羽を背負い、額には山吹の花

をかざした天冠をつけ手にも山吹の花を持つ。

花に遊び戯れる蝶をあらわしている。




胡蝶・背面



撮影  06-10-15


わらべ歌

晩年重源上人は、千人の子供達に「法華経」を暗証させ

大仏殿と東塔の前で千部の「法華経」転読させたいという

勧進帳を作成されました。 この故事にもとずき、15日に

子供達がわらべ歌を奉納


撮影  06-10-15


舞楽  打毬楽(タギュウラク)



右手に五色に彩色したゴルフのクラブやクリケットの

バットのような形の毬杖(ギッチョウ)を持って舞い、五色の

毬子(たま)を打つふりをする。


撮影  06-10-15


舞楽  綾切(アヤギリ)


「楽家録」に「曲、舞ともに絶えてしまった」と記されているが、後に再興された。

かっては女舞であったため、中国東北部の女子の面容の白い面をつけ、別甲

をかぶり右肩を脱いだ襲装束で舞う。


撮影  06-10-16


大太鼓 月輪



撮影  06-10-15

月輪は銀色、火焔の縁取りに雲と

向かい合った鳳凰が浮き彫りされ

裾幕は緑。

左二つ巴の文様



大太鼓 日輪


日輪は金色、火焔に縁取られ、雲と、向かい合った龍

が浮彫りされ、左三つ巴の紋。

裾幕は朱色

 

日輪は剛、月輪は柔を感じます。

撮影  06-10-16


祭壇 


祭壇前列には福井県と福井市から献花された

紫陽花(左)と水仙(右)

撮影  06-10-15


法要は終わって



14日15日16日の三日間に亘る法要も終了し舞台両袖に
据えられていた大太鼓は分解されトラックの荷台に。
太鼓の模様から日輪の太鼓であることが分かります。


撮影  06-10-18


雨の中で南大門の扁額の懸額工事が進められていましたが

それ以降の各法要は晴天に恵まれ無事終了。

法要関係者の皆様方はお喜びのことでしょう。


記事 御遠忌法要・関連行事のしおり、より