梅雨になった。
去年までの僕なら「ああ、梅雨は嫌だなぁ。早く終わんないかな。」としか考えなかった。
しかし、引きこもりになって人生を楽しむチャンスを得たからには一味違う梅雨の楽しみ方があるはずだ。
「晴耕雨読」という言葉があるように、雨は人の外出をはばむ代わりに人の知的探求心を思い出させてくれる一面もある。
下りてくる雨粒を眺めながら昔の出来事に思いをはせたり、自分を見つめ直したり、読書に打ち込んだり。
どこにも出かけられない男女がしっとりと向き合って屋内で長話をするのにもいいかも知れない。
時間はゆっくりと流れ、草いきれや湿り気の匂いに満たされる。
そんなことを考えていたら聞きたくなった曲があった。ASKA(飛鳥涼)の「はじまりはいつも雨」だ。
40代の人なら知らない人はいないくらいのヒットソングであり、名曲であろう。あの曲はそんな雨の情景がパーッと広がっていくような優れた表現力に満ちている。
ちょっと歌詞をみてみよう。
※歌詞はコチラのリンクを参照してください。
1コーラス目
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「君に逢う日は 不思議なくらい」
~
「失くした恋たちの 足跡(あと)をつけて」
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ここまでで1コーラス。
雨女とつき合っているらしき男。
しかし、どうやら男の方は、この恋に自信が持てない様子である。
「わけもなく君が 消えそうな気持になる
失くした恋たちの 足跡(あと)をつけて」
以前に去っていった女たちのようにこの人も去ってしまうのだろうか、という不安にさいなまれる様子がうかがえる。
僕はこれを読んでいたら、どうしてこんなに自信なさげなんだろう?と不思議で仕方なくなった。
そして見逃してはならない謎がふたつ。
1つは、タイトルにもなっている「はじまりはいつも雨」という言葉。
「君との恋の始まりの時、雨だった」というのであれば「はじまりは雨」でなくてはおかしい。なぜ「はじまりは”いつも”雨」なのか?
もちろん、冒頭で「君に逢う日は 不思議なくらい 雨が多くて」と言っているから「君とのデートの時、待ち合わせ時間はいつも雨だよ」という意味もあるだろう。
しかし、どうもそれだけではしっくりこない。毎回のデートの待ち合わせを「はじまり」という言葉にするだろうか?何か別のものを指している気がしてならない。
2つめ、「星をよけて」。星というのは通常きらびやかでポジティブなものの象徴として扱われる。
それを「よける」という言葉が繰り返し使われているのはどうしてだろう?
以上の二つが僕の中で違和感を感じたフレーズだ。もちろん、優れた作詞家であるASKAが意味もなくただ耳触りが良いだけでフレーズを並べるはずもない。
公然と歌を世に出しつつ、隠したいことは隠して語らないというのが優れた作詞家の腕というものだ。
面白いことにこの歌は2コーラス目になるとその種明かしのヒントをくれる。
1コーラス目で男の現在地を説明し、2コーラス目以降で種明かしをする、そういう構造になっている歌なのだ。
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「君の景色を 語れるくらい」
~
「星をよけて ふたり星をよけて」
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「愛の部品も そろわないのに ひとつになった」とは、まだ二人の関係が熟していないのに肉体関係を持ったと受け取れる。
そうだとすると「君の景色」というのは彼女の心の内側ではなくて、肉感的な意味だろう。
二人はどうしてそんなに先を急いで関係を持ってしまったのだろうか?関係を急いでしまったことがこの男の心配の種になっていることは明白であるが、そうなっただけの必然があったはず。
ここでこの男女がどんな人たちなのかを推理してみたい。
「水のトンネル くぐるみたいで 幸せになる」とか「星をよけて」というフレーズが妙に気になる。
人目を避けている気配がぷんぷんしてこないだろうか?
トンネルくぐると幸せという感覚はなかなか一般的な感覚ではないだろう。人目を避けられてうれしいと感じているように見えるのだ。
そうかと言って、二人が出会うのは夜だから女が人妻である可能性は低い。人妻が浮気するなら昼の方が実行しやすいからだ。それは男も同様であろう。
二人が既婚者でないと仮定すると、人目を避ける理由は男女共に有名人だからなのではないかという気がしてくる。
その仮説を採用するとなると、1コーラス目のこのフレーズが重要なものに思えてくる。
「君の名前は優しさくらい よくあるけれど 呼べば素敵な とても素敵な 名前と気づいた」
女は普段、芸能人で芸名を名乗っているのではないだろうか。本名はごく平凡な名前で、それを知っているのは親しい人だけ。今みたいにWikipediaで簡単に芸能人の本名が分かるような時代ではないのだ。
ところが、その平凡な本名に触れて男は感動している。噛みしめるようにして女の名前を大事に大事に呼び、とても素敵な名前だとつぶやく。
そう考えたら、わざわざ女の名前に言及することにとても意味があるような気がしてこないだろうか。
秘められた名前を恋人だけに明かすというのはある意味とてもエロティックだ。
芸能人の彼女と付き合っているくらいだから、男の方も同業者なのかもしれない。
そういう二人だとするとデートするのも簡単ではないだろう。外を堂々と歩くと人目につくし、自宅デートするとパパラッチが待ち伏せしているかも知れない。
どうしても二人が会うのはホテルなどの密室になってしまう。そして密室でデートするとなると、慎重に慎重に関係を築き上げようとしても、どうしても事が進むのが早くなってしまう…。
それに加えて関係を急いでしまった大きな理由は「雨だったから」である。
雨は人を気怠く、アンニュイな気分にさせる。そして二人の密着度を高める。
若い頃、恋人と同棲していた人ならよく分かると思う。「雨だなー…。」「雨だねぇ…。」と何をするでもなく二人でくっついていると際限なく情交してしまう雰囲気というものが。
二人の関係はそんな風にはじまったのではないだろうか。そして、男の方はそんな関係を持つことが初めてではない。別れた恋人たちともそんな風にはじまっては終わっていった。
だからこそ、はじまりは”いつも”雨なのである。
この歌の中では、雨とは言うなれば密室の中の気怠い恋人の雰囲気そのものだ。顔が知られ過ぎてどこへも行けない…。この先の二人の関係もどこへ行くか分からない…。ましてや水商売と言われる芸能人としての行く末もわからない…。
だから「失くした恋たちの 足跡(あと)をつけて」「わけもなく君が 消えそうな気持になる」のだ。
この歌は純な気持ちを持った男の不安とアンニュイな密室の恋人同士のエロな雰囲気を甘く巧みにコーティングして不朽の名曲へと仕上げたASKA渾身の一曲と言ってよいだろう。
以上でこの歌詞の洞察はおしまい。
こんなことに長々とチャレンジできた。梅雨もなかなか楽しいなぁ。