後日談:ある学生の質問


> 津田敏秀先生

> 岡山大学医学部医学科5年の○口と申します。2年前には教室配属で衛生学・予防医学教室でお世話になりました。

> 今日衛生学の試験で津田先生出題の問題「森永砒素ミルク事件」を読まさせてもらいました。

> 当時の濱本教授の手記がメインだったので、家に帰って父親(岡大小児科出身、昭和46年卒)に問題文を見てもらい話をしました。

> それでその時に疑問に思ったのですが、原因特定までの流れにおいて多少見逃しがある点は確かですが、それでも他所の教室に砒素検出の再検査を求めるといった点等においてむしろ非は少ないのではないかと思うのです。実際私が試験を受けている時も、当時の厚生省には明確に責任があると思うのですが、岡大の医者も日赤の医者も臨床医としてはよくやっているんじゃないかと思いました。

> 父親の話によると、むしろ問題があったのは公表した後に厚生省、森永乳業、濱本教授がそれぞれの立場の責任を全うしていたかという点ではないかということでした。

> 実際濱本教授は患者の追跡調査を行わなかったことや後遺症は存在しないと言い切ったことで後々問題になり、父親が学生の頃に後任の木本教授が責められていた様です。

> なのであの時点で現場の医師が現実的にどのような対応を取ればよかったのか、津田先生のお考えを知りたく思います。

> 不躾な質問ですが、答えてもらえれば嬉しく思います。よろしくお願い致します。


回答:○口▲介様、

 ご質問ありがとうございました。このようなご質問をいただき、あの問題を出題した甲斐があったと思っております。

 さて、濱本教授と岡山大学医学部小児科、岡山日赤病院の事件への対応についての問題点は、幾つかありますが、主なものは以下の2点です。


1.原因食品が森永粉乳である食中毒事件であることを十分すぎるほど認識していたのに保健所に届け出なかったこと。これは「疑い」を持つだけで保健所への届け出義務がある食品衛生法第58条(当時の食品衛生法では第27条です)に違反しています。これは最高で禁固刑に該当します。

2.これは食品保健あるいは食中毒事件の対応の基本的考え方ですが、原因食品もしくは原因施設が判明していれば、直ちに回収命令もしくは営業停止等の対策を実行しなければならず、病因物質の判明を待っていてはいけません。なぜならみすみす被害が拡大するのを見逃すことになるからです。これは日常の食中毒事件でも、通常行われていることで、病因物質の判明を待たずして、対策が取られます。


 1.の点は、臨床医なら誰もが知っておくべき点ですが、いまだに日本では周知徹底できていない点です。国家試験でも出題されているはずですが・・。2.の点は、食品保健あるいは疫学の基本的考え方です。でも臨床医なら院内感染調査にも関係する点かもしれません。そもそも病因物質の判明は、行政の役割です。それを自らに抱え込んで時間を浪費していた濱本教授の態度は、臨床医として当然知るべき社会システムを知らなかったという意味でも不適切な態度です。行政が行う仕事を大学が抱え込んで時間を浪費した事件としては、カネミ油症事件などがあり、被害の拡大の大きな元凶となっています。これらの点は、昨年の私の講義でご説明していましたが、どの程度徹底されていたかを確認する意味でも出題した次第です。他にも、小児科学教室と岡山日赤の医師が、判断に関する基本的態度を欠いている部分はありますが、それに気づけば加点対象になると考えています。 


 簡単ですが、こんなところです。まだ何かありましたら遠慮なくご質問ください。

                 津田

(注:病因物質判明にこだわるのは、日本の臨床医だけでなく、日本の科学全体の問題として捉えるべき問題だと考えています)

823

朝、法医に依頼した粉乳MF5516の砒素の分析成績は陰性であると報告された。そこで私は今度は自分で遠藤中節名誉教授をその室に訪ね、是非もう一度分析を繰返へして頂く様に御願した。遠藤名誉教授は『夫はもっと大量の粉乳(40)を使ってやって見なげればならぬ。その様な場合には漸次試料を増量して行くのが常になっている。早速やり直す様にいひませう。』との事である。更に私は今日迄の事態の経過を述べて、之に対する自分の考えをきいて頂いた所・先生は『夫は食品に関する中毒の疑である。少くとも疑を持っているといへるではないか。食品中毒は疑を持っただけでも届出での義務がある事を知っているか』といはれる。私は之を知らなかったので驚き、早途その室から大森誠岡山県衛生部長に電話し、午後4時に来訪を乞ふた。午後は入院患者の廻診であつたが、午後3時半過ぎる頃、廻診が第20号室迄来た時、法医の神田講師が試験管を持って緊張した面持ちで来訪し、森永の粉乳からラインシュ法で砒素が証明出来た。その結晶が顕微鏡下に見へるといふ。私は医員一同に『落着かねばならぬのはここですよ。発表は一切私からする。』と軽挙する事を厳にいましめて廻診を済ませ、同講師から顕微鏡下にはじめて砒素の結晶を見せてもらった。

まもなく4時大森衛生部長が来室されたので、ここに到る迄の全経過を報告し、之に関する対社会的措置の一切をあげて貴官にお願ひする旨を告げた。大森部長は事が極めて重大であるとし、今夜もう一夜検査を反覆する事を依頼した。そこで岡山森永営業所にある粉乳のロットMF5806ML5804を取よせ之を持って法医教室に行き検査を依頼した。

そして私は広島市民病院の村上医長に電話し『奇病の原因は粉乳中に混入した砒素の中毒によると考へられる。事実粉乳から砒素が検出された。然しまだ検査を重ねねばならぬから、正式の発表はこちらでするが、取敢ず患者をBALで治療して下さい』と頼んだ。

之は発表までにはもう一度分析の結果を待つべきであると考へたのと、発表は勿論私のするべき仕事ではなく、行政官庁の仕事であり、夫を既に依頼してしまってあると考へたからである。

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朝、昨夜法医学教室で検査したMF5516MF5806からも砒素が検出されたといふ報をうけた。続いて病理の妹尾教授が来室され前記岡崎道代の肝臓は出血壊死と脂肪変性で炎症性反応は之を欠除していると報告された。

午前10時、大森衛生部長より電話あり『只今部長室に新聞社、放送局等の報道関係者多数が来ておられるが、今から大学へ行ってもらふから事件の全貌を発表されたい』といふ。まもなく二十名近く.の報道陣がどやどやとつめかけて来たので、大森部長の要請に従って次の三点を公表した。

第一 患者の症状は皮膚の黒染と発熱と肝腫、貧血がある。之は砒素の慢性中毒症状に一致する。

第二 患児の飲用している森永のMF粉乳の中には砒素が検出される。事実はこの二つしか分っていない。だから之が砒素中毒症であるか否か夫は分らぬ。砒素に暑熟や感染が加はって始めて発病するものかどうか夫は分らんが、とにかく砒素を食べて砒素の中毒症状を表している事だけは間違ないこと。

第三 取あへず私共は本症に対してBALを注射しているが、之は推奨に価する治療法と考へる。この様な症状のある子供を持ったお母さんは医師の検診を受ける事をすすめる。

といったのである。その当時の入院患者はまだ6名に過ぎなかった。

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には受診患者一躍197名に達したが、この日、患者の肝臓から砒素が証明され、小児科医としての私の使命は一段階を終へた。


後記:発表を終へた後は重荷をおろした様な気持がしてほっとしたが、社会的には実は之からが大変であった。然し問題の核心はも早私自身の手を離れてしまっている筈である。対社会的な諸問題に対する処置は私共の責務には属さない。我々は以後只一意に患者の治療に専念すればよい筈である。所が実際は対外的にも、内省的にも仲々そうは行かなかった。私はこの時自分自身で決して軽率な発表をしたといふ気持を持ってはいなかった。この中毒事件は丁度刻一刻と吹きつのって行く嵐にもたとふべき様相をもってせまって来ていたらその足が、早いのである。莫中に立つて、むしろ慎重に過ぐると誹られてもいい位な道を歩んで来た、位に思っていた。が然し予想もしなかった激しい報道陣、カメラ班の包囲攻撃を受けて見ると、私自身の心の中にこの余りにも不思議な事件、粉乳の中に砒素が混じていて多数の乳児が中毒を起しているといふ事、果してその様な事が一体ありうる事かどうか?一再ならず不安が沸き起って来るのをどう.する事も出来なかった。もしどこかの手違から、こういふ事を発表してしまったとなると、世を騒がせた責任に対し、私の一身は問題でないにしても、私共の教室更に教窒員全体の声望は地に墜する事になり、引いては大学全体の名を汚す事にもなるであらう。そんな不安が襲って来る度毎に、私は何度も事件の発端から、症状を注目するに到った事情、砒素の検出に到る迄、自分の辿って来た過程の一つ一つを繰返へし反復し、其あらゆる段階に誤なきを確め、限りない孤独の中に辛じて自分を勇気づけたものであった。患者は急激に増して来た。丁度そこへ大阪大学西沢義人教授が逸早くかけつげて来られ、私をはげまして限りない激励と鞭達を与へられた。そして発表の正否を案ずるは小事に拘泥する愚である。そんな事はどうでもよい。夫よりは先づ何よりも多数の人命が救はれた喜を先にすべきではないかと、私の心の在るべき所を教へられた。之によって引ききりない治療法、緊急処貴等の間合せの混乱の中にあへぎ乍らも漸次私は一つの信念に到達する事が出来た。夫は例へどの様に夢の様な話であっても、夫が科学的に誤りのないといふ事程強いものは無い、自然科学的な真理程、断崖に立つ人を強く支持してくれるものは無いといふ事を身にしみじみと感得しえた様に思った。そして外来にひしめく患者の只中に立って今更乍ら、この自然科学といふもの夫自休の持つ"佇まい"といふか、その"骨組み"の素晴しさにうたれたのである。之は貴重な教訓であった。


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午前10時岡山県愛育委員会総会に水田助教授と共に出席したがその際水田助教授は『本日午后4時森永乳業徳島工場長が来学する。叉日赤の患者が森永の粉乳に原因があると称して動揺しているといふ情報をうけている』と云ふ。之は容易ならぬ事と思ひ、確証のない事を周囲への影響を省みず公言する事は慎むべきである旨をいましめ、矢吹君へも忠告しておく様に云った。所が水田助教授は、勿論科学者の立場を考えて慎重にあつかって来、その為御報告もさし控へていたのですが、と前置きして既に粉乳に原因がある事に相当の疑義をもち、原乳の処理過程に農薬でも混じたのではないだろうかと云った。私は農薬は神経症状が中心だからどうも違ふ様に思へると答へた。

午後2時木本講師が日赤矢吹医長に電話で患者の動揺に対し慎重に処せられる様要望した所『自分は粉乳とは思っていない。高尾医員がひそかに患者の栄養法を調べ、空缶を集めた為にあんな事になったのである』との答であった。

午後4時になり森永乳業の徳島工場長山口氏と大槻岡山出張所長と水田助教授と三人が来室した。用件をきくと『岡山日赤で森永の乳が悪いと云って患者が騒いでいる。誠に迷惑に思ふ』との抗議である。小生は『誠に尤な事である。今朝程その事を聞いて驚いた所だ。その様な性質の事柄を証拠も挙らないのに他言するは間違である。日赤でそんな事を不用意に母親に云ひ渡すのは間違ではないか』と云った所;大槻氏は『夫について今朝日赤へ行き、その旨述べた所、森永粉乳が怪しいと云ったのは、大学であると云はれたのでそれを糺しに来たのである』と云ふ。私は大いに責任を感じ、側の水田助教授に対し『その様な事を日赤へ流すのは早過ぎる。この為に多数の人々に迷惑を及ぼす結果になりはせぬか、誠に残念である』と云ふと、その時水田助教授は私に対し可成反対的に、いやそう云はれるが、この問題は余程注意せねばならぬ。疑はしい点が深い。自分も医局員一同も既に森永粉乳に原因のある事を相当深く信ずるに到っている旨を述べた。然し一方森永の人々に対しては、例へ之が単なる噂であったとしても、万一之が新聞紙上にでも報道される様な事があれば大変に迷惑される事と思ふから、その点十分に新聞社に了解を得ておくべきである事を注意し、更に一方集乳から生産課程をこまかに反省して不安な個所を是正しておく様に注意した。

然し大槻所長はむしろ奮然として『そういふ事は絶対にない』旨を強調し、『万一そういふ事があれば云々』と会社の為に十分に弁じた。之も亦当然の事であり、誠に無理からぬ所ではあるが、その調子がいささか強過ぎたので、私は山口工場長と大槻支所長に対し、『自分は今の所森永粉乳に原因があらうとは信じていない。然し原因の所在が全く分らないのだから、之から何事が起るか分らない。余り思ひ切った事をいふのは考へものだ』と述べたのであった。然し二人はとにかく私が粉乳とは考へていない事を知り、まづ安心して帰った様子であった。もし私がその時もう少し真劔に粉乳問題をとり上げていたらと、今にして考へると患者にも、森永にも誠に気の毒な事をしたものだと思っている。

同日 岡崎一郎(生後9ケ月児)が入院した。之は2ケ月半前よりの熱と、咳嗽、下痢であり45目前より汗疹・Penicillinを注射するも熱下らず、1ヶ月前より黒皮症と落屑が表れたといふ。現症も黒皮症強く・肝は臍の下2cm、糖尿。赤血球195万、Hb,38%、白血球3600、赤芽球8/250、網状球38%、血小板35100であった。

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午後1時半 岡崎道代(生後5ケ月児)が入院した。患児は約1ケ月半前より発熱、咳嗽、汗疹が全身に出て20日前より全身が褐色になりはじめ、後落屑して来たといふ。抗生物質治療法をうけて来ている。入院時既に重篤で鼻翼呼吸、脈拍不明であり四肢冷厥、取敢ず強心剤等で所置したが数時間後に死亡した。その赤血球125万、Hb.25%、白血球6900、赤芽球37/250であつた。

私はこの急激な経過を見て漸く事の重大性が身にふりかかって来るのを覚えたが、幸本患児が剖検される事になり之に立会ふ事が出来た。

即、上記不明の『例の病気』は何れも12ヶ月前より中程度の発熱と咳嗽と下痢、時に吐乳を示し、そのうち漸次貧血が加はり数週間前より皮膚の黒染と肝腫を見る様になる。血液像は赤芽球の多い貧血と血小板減少があり、時々糖尿を見る。そういった共通点がある。之れ等の多くは抗生物質を以て治療されて来ており、皮膚、尿より屡々Candidaを増養証明しうる。そこでやはりCandida敗血症との臨床診断の下に剖検に付したのである。然るにその剖検に立会っていると、肝は帯紫紅褐色で非常に硬く、剖検台上を転がる程であり、割面は暗紫褐色、内部に灰白黄色の部を地図状、樹技状に認め、この部は更に硬く、胆管及胆嚢の内容は全く空虚である。肺は淡紅灰白色で点状出血が所々に認められるにすぎず、同様の出血斑は心外膜、小脳表面にも認められる。叉副腎に萎縮がある。然しその他にはどこにも限局性病竈、浸出性炎症像はなく、病理では退行性変性、萎縮の像以外には何物もないといふ。とにかく一応之をカンデイダ症と考へていた私は大いに驚いた。

この日山陽新聞夕刊に人工栄養児の奇病といふ見出しで本症の症状が大きく報道された。然しその中にはまだ粉乳といふ文字はどこにも見当らず、この事は人の心に疑として存し乍らまだ誰も口外してはいない事が分った。

821(日曜日)

早朝より登校し、学会の準傭を放棄して、一人真劔に本症の病因を検討して見た。単に皮膚が黒くなるといふ点からすればアジソン氏病、黒色表皮腫等が一寸頭に浮かんだが、何しろ之は多発性流行性疾患である。体質や遺伝性の病気は問題にならぬ。どうしても感染と考へざるをえないが、炎症性の病気ではないといふのであるから、全く驚く外はない。そうするとやはり患者が粉乳の飲用者に限られているといふ事が最早見逃し得ない事実となって大きく支配.的に感ぜられる様になった。一度そう思ひ出すと全関心が粉乳に集中し、不思議な事だが之は粉乳による集団中毒であるらしいといふ所まで来た。そしてその上に皮膚が黒染する。慢性中毒で皮膚が黒染するものといへば重金属より外にない。そこで早速森永の田中清一君に走り書きの手紙を書き『森永粉乳に添加されているビタミン類や、

◎◎◎◎

ことにミネラルに(とミネラルといふ所へ◎をつけて)Crudeなものを使ってはいないか、至急知らせてもらいたい。誠に滑稽な、且失礼な事をいふ様だが、一寸不思議な点があるので』とつげ加へた。そして之れを速達便としておき乍ら余りに有り得べからざる人騒がせの様な気がして、直ちに之れを投函する勇気がなかった。

午後2時頃安藤助手から先日の藤田裕喜(生後7ヶ月)患児の生肝穿刺所見の結果が変性像であって炎症でない事の報告を受けたが、その時『重金属塩類の中毒が怪しいと考へている』旨を告げた。

手元にある本といへばE.RieckeLehrbuch der Haut-und GeschlechtskrankheitenHefterHandbuch der Experimentelle Phamakologie位しかない。鉛の中毒はよく知っているが之は様子が全く違ふ。次で水銀、砒素、蒼鉛等があるがその中でRieckeAs.の中毒の時は黒くなり方が特に腋下、乳嘴、陰部等にひどいと書いてある。事実私は患児の乳嘴が特に黒くなるのを不思議に思っていたので、之は妙に似ているなと思った。然し何といっても“砒素の中毒”等といふ事は有りうる事ではなし、之だけではまだ飛びつく気にならなかった。そういう風で前記田中氏への手紙は鞄に入れたままその日は投函せず、そのまま自宅まで持ち帰った。この手紙をいつ投函したかははっきり記億がない。何でも鞄に入れたまま二三度自宅と学校とを往き帰りした様に記憶しているが、23日夕刻田中清一氏が東京を出発する直前に同氏に届いている所から見ると、22目の夕刻投函したものと思はれる。

822

朝早く木本講師が中川諭氏著内科診断要網の薬物による色素沈着症の所を開いて持って来た。そして砒素沈着症の部に皮膚は黒灰色に変ずる。但し頸部、腋窩、乳房、下腹部、陰部に最も顕著であるといふ所を指し示した。君もそう思ふのかといふ気持がした。妙なもので人に指摘されると急に本気になるものである。『そうそう、そういふ風に書いてあるね、夫れを調べねばならん』と答へ、今度は薬理学の山崎英正教授に電話し、何か砒素の中毒の精しく記載がしてある参考書を貸して下さいと頼んだ。同教授は早速Goodman & GilmanThe Pharmacological Basis of Therapeuticsの第2版とFritz EichholtzLehrbuh. Der Pharmakologie7版とを届けて下すった。両者及びSollmanmanual of PharmacologyAs.中毒の部を一気呵成に読んだ。読む程に患者の症状は何から何まで砒素中毒症に全く符合する事を知り、之は砒素中毒に違ひないと考へる様になった。あとは之を実証する必要があるだけだと思ふに到つた。

そこへ岡山日赤病院の矢吹医長から電話があって、入院患者が病気の診断が分らんといって騒いでいるから一度診察に来てくれといふ。私は『こちらにも同様τ患者があり診断はまだ分らん。分るまでは対症的に治療しておいて下さい』といふと『分らぬままで良いからとにかく来て、そして分らん病気だといふ事をいって呉れ』といふ。『夫れは困る。秘が行くと母親方から色々期待されて迎へられるかも知れないが、病気がまだ分らないといふ事は、始めから分っているんだから、知っていて期待を裏切りに行くのは苦しいし、後で反動的に害の方が多くなるだろう』と強く断はったが、夫れでも『とにかく是非来て呉れ、顔だけでも見せてくれ』といふので『夫れでは午後3時に行きませう』と答へそのGoodman & GillmanEichholtzの本を持って医局へ行き、砒素らしいから之を読みなさいと一同にその読むべき個所を提示した。昼食を済ませて日赤へ出て行く時、三階の看護婦詰所に木本講師、古谷助手が居るのを見て、こちらも気が立っていたのか『そんな所でぼんやりしていなくて、早く乳を調べなさい』と叱りつげて日赤へ出て行った。

日赤では15名の入院患者があったが、申す迄もなく大学の夫と同じ症状である。夫等の患児の母親の或者は私の顔色をのぞき込まんばかりの気持であり、之に対し私は非常に苦しかった。之を一通り診て回って後、院長室へ来ると、矢吹、高尾、豊岳の三氏が集って来て一枚の紙に入院患者の年齢、経過、血液像、栄養方法等を精しく取りまとめ、一目で分る様に一覧表として私に提示された。その栄養方法の所には何れも森永の粉乳によるものである事が列記してある。そして本症が何であるかと聴かれるのである。之が森永粉乳によるものである、といってもいいではないかとの同意を求める気持がよく分る。尤な事であるが、まだ証拠がない。口まで出かかったけれども漸く自らを御する事が出来た。然しその栄養方法が全部森永粉乳である、その中に只1人山羊乳栄養児が混っているのを見て『之は間違でせう。もう一度よく聞き直して御覧なさい』とまでいった。そして患者の名は忘れたが中に1人極めて重篤で死が迫っていると見られるものがあつたので籔から棒に『とにかくこの患者に対しては"BAL"を注射して下さい』といった。三人の顔色には砒素の反応は表れなかった。何だか妙にホッとした様な気がしたが、とにかく夫だけいって逃げる様に教室へ帰って来た。後程きいた所によるとこの、患児は助かったそうである。

その間に木本講師は森永粉乳MF5516を持って直ちに法医学教室神田講師の許へ走り、砒素の検出を依頼した。

同夜遅く広島市民病院村上基千代医長より電話あり『広島地方の人工栄養児に奇病がある。色が黒くなって肝臓が大きい。岡山地方にもあると思ふが、あれは一体何か。またどういふ治療法を適当と思ふか』との質問あり、私は『当方にもあるが、之はまだ分らない。分かったらすぐ知らすから夫までは対症的に治療されたい』旨を答へた。