8月19日
午前10時岡山県愛育委員会総会に水田助教授と共に出席したがその際水田助教授は『本日午后4時森永乳業徳島工場長が来学する。叉日赤の患者が森永の粉乳に原因があると称して動揺しているといふ情報をうけている』と云ふ。之は容易ならぬ事と思ひ、確証のない事を周囲への影響を省みず公言する事は慎むべきである旨をいましめ、矢吹君へも忠告しておく様に云った。所が水田助教授は、勿論科学者の立場を考えて慎重にあつかって来、その為御報告もさし控へていたのですが、と前置きして既に粉乳に原因がある事に相当の疑義をもち、原乳の処理過程に農薬でも混じたのではないだろうかと云った。私は農薬は神経症状が中心だからどうも違ふ様に思へると答へた。
午後2時木本講師が日赤矢吹医長に電話で患者の動揺に対し慎重に処せられる様要望した所『自分は粉乳とは思っていない。高尾医員がひそかに患者の栄養法を調べ、空缶を集めた為にあんな事になったのである』との答であった。
午後4時になり森永乳業の徳島工場長山口氏と大槻岡山出張所長と水田助教授と三人が来室した。用件をきくと『岡山日赤で森永の乳が悪いと云って患者が騒いでいる。誠に迷惑に思ふ』との抗議である。小生は『誠に尤な事である。今朝程その事を聞いて驚いた所だ。その様な性質の事柄を証拠も挙らないのに他言するは間違である。日赤でそんな事を不用意に母親に云ひ渡すのは間違ではないか』と云った所;大槻氏は『夫について今朝日赤へ行き、その旨述べた所、森永粉乳が怪しいと云ったのは、大学であると云はれたのでそれを糺しに来たのである』と云ふ。私は大いに責任を感じ、側の水田助教授に対し『その様な事を日赤へ流すのは早過ぎる。この為に多数の人々に迷惑を及ぼす結果になりはせぬか、誠に残念である』と云ふと、その時水田助教授は私に対し可成反対的に、いやそう云はれるが、この問題は余程注意せねばならぬ。疑はしい点が深い。自分も医局員一同も既に森永粉乳に原因のある事を相当深く信ずるに到っている旨を述べた。然し一方森永の人々に対しては、例へ之が単なる噂であったとしても、万一之が新聞紙上にでも報道される様な事があれば大変に迷惑される事と思ふから、その点十分に新聞社に了解を得ておくべきである事を注意し、更に一方集乳から生産課程をこまかに反省して不安な個所を是正しておく様に注意した。
然し大槻所長はむしろ奮然として『そういふ事は絶対にない』旨を強調し、『万一そういふ事があれば云々』と会社の為に十分に弁じた。之も亦当然の事であり、誠に無理からぬ所ではあるが、その調子がいささか強過ぎたので、私は山口工場長と大槻支所長に対し、『自分は今の所森永粉乳に原因があらうとは信じていない。然し原因の所在が全く分らないのだから、之から何事が起るか分らない。余り思ひ切った事をいふのは考へものだ』と述べたのであった。然し二人はとにかく私が粉乳とは考へていない事を知り、まづ安心して帰った様子であった。もし私がその時もう少し真劔に粉乳問題をとり上げていたらと、今にして考へると患者にも、森永にも誠に気の毒な事をしたものだと思っている。
同日 岡崎一郎(生後9ケ月児)が入院した。之は2ケ月半前よりの熱と、咳嗽、下痢であり45目前より汗疹・Penicillinを注射するも熱下らず、1ヶ月前より黒皮症と落屑が表れたといふ。現症も黒皮症強く・肝は臍の下2cm、糖尿。赤血球195万、Hb,38%、白血球3600、赤芽球8/250、網状球38%、血小板35100であった。
8月20日
午後1時半 岡崎道代(生後5ケ月児)が入院した。患児は約1ケ月半前より発熱、咳嗽、汗疹が全身に出て20日前より全身が褐色になりはじめ、後落屑して来たといふ。抗生物質治療法をうけて来ている。入院時既に重篤で鼻翼呼吸、脈拍不明であり四肢冷厥、取敢ず強心剤等で所置したが数時間後に死亡した。その赤血球125万、Hb.25%、白血球6900、赤芽球37/250であつた。
私はこの急激な経過を見て漸く事の重大性が身にふりかかって来るのを覚えたが、幸本患児が剖検される事になり之に立会ふ事が出来た。
即、上記不明の『例の病気』は何れも1~2ヶ月前より中程度の発熱と咳嗽と下痢、時に吐乳を示し、そのうち漸次貧血が加はり数週間前より皮膚の黒染と肝腫を見る様になる。血液像は赤芽球の多い貧血と血小板減少があり、時々糖尿を見る。そういった共通点がある。之れ等の多くは抗生物質を以て治療されて来ており、皮膚、尿より屡々Candidaを増養証明しうる。そこでやはりCandida敗血症との臨床診断の下に剖検に付したのである。然るにその剖検に立会っていると、肝は帯紫紅褐色で非常に硬く、剖検台上を転がる程であり、割面は暗紫褐色、内部に灰白黄色の部を地図状、樹技状に認め、この部は更に硬く、胆管及胆嚢の内容は全く空虚である。肺は淡紅灰白色で点状出血が所々に認められるにすぎず、同様の出血斑は心外膜、小脳表面にも認められる。叉副腎に萎縮がある。然しその他にはどこにも限局性病竈、浸出性炎症像はなく、病理では退行性変性、萎縮の像以外には何物もないといふ。とにかく一応之をカンデイダ症と考へていた私は大いに驚いた。
この日山陽新聞夕刊に人工栄養児の奇病といふ見出しで本症の症状が大きく報道された。然しその中にはまだ粉乳といふ文字はどこにも見当らず、この事は人の心に疑として存し乍らまだ誰も口外してはいない事が分った。
8月21日(日曜日)
早朝より登校し、学会の準傭を放棄して、一人真劔に本症の病因を検討して見た。単に皮膚が黒くなるといふ点からすればアジソン氏病、黒色表皮腫等が一寸頭に浮かんだが、何しろ之は多発性流行性疾患である。体質や遺伝性の病気は問題にならぬ。どうしても感染と考へざるをえないが、炎症性の病気ではないといふのであるから、全く驚く外はない。そうするとやはり患者が粉乳の飲用者に限られているといふ事が最早見逃し得ない事実となって大きく支配.的に感ぜられる様になった。一度そう思ひ出すと全関心が粉乳に集中し、不思議な事だが之は粉乳による集団中毒であるらしいといふ所まで来た。そしてその上に皮膚が黒染する。慢性中毒で皮膚が黒染するものといへば重金属より外にない。そこで早速森永の田中清一君に走り書きの手紙を書き『森永粉乳に添加されているビタミン類や、
◎◎◎◎
ことにミネラルに(とミネラルといふ所へ◎をつけて)」Crudeなものを使ってはいないか、至急知らせてもらいたい。誠に滑稽な、且失礼な事をいふ様だが、一寸不思議な点があるので』とつげ加へた。そして之れを速達便としておき乍ら余りに有り得べからざる人騒がせの様な気がして、直ちに之れを投函する勇気がなかった。
午後2時頃安藤助手から先日の藤田裕喜(生後7ヶ月)患児の生肝穿刺所見の結果が変性像であって炎症でない事の報告を受けたが、その時『重金属塩類の中毒が怪しいと考へている』旨を告げた。
手元にある本といへばE.RieckeのLehrbuch der Haut-und GeschlechtskrankheitenやHefterのHandbuch der Experimentelle Phamakologie位しかない。鉛の中毒はよく知っているが之は様子が全く違ふ。次で水銀、砒素、蒼鉛等があるがその中でRieckeにAs.の中毒の時は黒くなり方が特に腋下、乳嘴、陰部等にひどいと書いてある。事実私は患児の乳嘴が特に黒くなるのを不思議に思っていたので、之は妙に似ているなと思った。然し何といっても“砒素の中毒”等といふ事は有りうる事ではなし、之だけではまだ飛びつく気にならなかった。そういう風で前記田中氏への手紙は鞄に入れたままその日は投函せず、そのまま自宅まで持ち帰った。この手紙をいつ投函したかははっきり記億がない。何でも鞄に入れたまま二三度自宅と学校とを往き帰りした様に記憶しているが、23日夕刻田中清一氏が東京を出発する直前に同氏に届いている所から見ると、22目の夕刻投函したものと思はれる。
8月22日
朝早く木本講師が中川諭氏著内科診断要網の薬物による色素沈着症の所を開いて持って来た。そして砒素沈着症の部に皮膚は黒灰色に変ずる。但し頸部、腋窩、乳房、下腹部、陰部に最も顕著であるといふ所を指し示した。君もそう思ふのかといふ気持がした。妙なもので人に指摘されると急に本気になるものである。『そうそう、そういふ風に書いてあるね、夫れを調べねばならん』と答へ、今度は薬理学の山崎英正教授に電話し、何か砒素の中毒の精しく記載がしてある参考書を貸して下さいと頼んだ。同教授は早速Goodman & GilmanのThe Pharmacological Basis of Therapeuticsの第2版とFritz Eichholtz著Lehrbuh. Der Pharmakologie第7版とを届けて下すった。両者及びSollmanのmanual of PharmacologyのAs.中毒の部を一気呵成に読んだ。読む程に患者の症状は何から何まで砒素中毒症に全く符合する事を知り、之は砒素中毒に違ひないと考へる様になった。あとは之を実証する必要があるだけだと思ふに到つた。
そこへ岡山日赤病院の矢吹医長から電話があって、入院患者が病気の診断が分らんといって騒いでいるから一度診察に来てくれといふ。私は『こちらにも同様τ患者があり診断はまだ分らん。分るまでは対症的に治療しておいて下さい』といふと『分らぬままで良いからとにかく来て、そして分らん病気だといふ事をいって呉れ』といふ。『夫れは困る。秘が行くと母親方から色々期待されて迎へられるかも知れないが、病気がまだ分らないといふ事は、始めから分っているんだから、知っていて期待を裏切りに行くのは苦しいし、後で反動的に害の方が多くなるだろう』と強く断はったが、夫れでも『とにかく是非来て呉れ、顔だけでも見せてくれ』といふので『夫れでは午後3時に行きませう』と答へそのGoodman & GillmanとEichholtzの本を持って医局へ行き、砒素らしいから之を読みなさいと一同にその読むべき個所を提示した。昼食を済ませて日赤へ出て行く時、三階の看護婦詰所に木本講師、古谷助手が居るのを見て、こちらも気が立っていたのか『そんな所でぼんやりしていなくて、早く乳を調べなさい』と叱りつげて日赤へ出て行った。
日赤では15名の入院患者があったが、申す迄もなく大学の夫と同じ症状である。夫等の患児の母親の或者は私の顔色をのぞき込まんばかりの気持であり、之に対し私は非常に苦しかった。之を一通り診て回って後、院長室へ来ると、矢吹、高尾、豊岳の三氏が集って来て一枚の紙に入院患者の年齢、経過、血液像、栄養方法等を精しく取りまとめ、一目で分る様に一覧表として私に提示された。その栄養方法の所には何れも森永の粉乳によるものである事が列記してある。そして本症が何であるかと聴かれるのである。之が森永粉乳によるものである、といってもいいではないかとの同意を求める気持がよく分る。尤な事であるが、まだ証拠がない。口まで出かかったけれども漸く自らを御する事が出来た。然しその栄養方法が全部森永粉乳である、その中に只1人山羊乳栄養児が混っているのを見て『之は間違でせう。もう一度よく聞き直して御覧なさい』とまでいった。そして患者の名は忘れたが中に1人極めて重篤で死が迫っていると見られるものがあつたので籔から棒に『とにかくこの患者に対しては"BAL"を注射して下さい』といった。三人の顔色には砒素の反応は表れなかった。何だか妙にホッとした様な気がしたが、とにかく夫だけいって逃げる様に教室へ帰って来た。後程きいた所によるとこの、患児は助かったそうである。
その間に木本講師は森永粉乳MF5516を持って直ちに法医学教室神田講師の許へ走り、砒素の検出を依頼した。
同夜遅く広島市民病院村上基千代医長より電話あり『広島地方の人工栄養児に奇病がある。色が黒くなって肝臓が大きい。岡山地方にもあると思ふが、あれは一体何か。またどういふ治療法を適当と思ふか』との質問あり、私は『当方にもあるが、之はまだ分らない。分かったらすぐ知らすから夫までは対症的に治療されたい』旨を答へた。