「えっ…うそ…」
スマホの画面を見て思わず固まる。
目に入ったのは、先日申し込んだ人気ロックバンドのライブ当選の文字。
ただでさえすごい倍率なのに。
信じられずに何度も確かめた。
すぐに画面を切り替えて、彼氏にLINEをした。
そもそも私がこのバンドを好きになったのは彼の影響。
私より二つ年上で、地元の高校に通う高校一年生。
駅前でナンパされたのが始まり。
彼は大のロック好きで、ギターも練習中。
特にバンドを組んでいるわけでもないのに、いつも背中にギターケースを背負っている。
きっとモテたいからギター始めたとか、そんな感じだ。
でも顔と声は嫌いじゃない。
それが彼と付き合い始めた理由。
塾が終わって彼の携帯を鳴らす。
チケットが当たったこと、塾終わりに会いたいこと、LINEを送ったのに返信はきていない。
チケットには絶対食いついてくると思ったのに。
連絡がつかなければ、そんなに長くも待っていられない。
なにしろ、私のパパはびっくりする程厳しいのだ。
早く帰らなきゃ。
諦めてスマホを携帯のポケットにしまって、荷物を持って塾を後にした。
「雨かよ…」
空を睨みつけて思わず舌打ちをする。
ママは今日雨降るって言ってなかったのに…。
もう一度スマホを取り出して彼氏に電話をかけてみる。応答はない。
傘を買うために、近くのコンビニへ向かって走った。
にぎやかな笑い声の中に、聞き覚えのある声。
顔を上げるとやっぱりだ。
彼氏が仲間に囲まれて楽しそうに笑っている。
駆け寄ろうとして、思わず足を止めた。
「あいつんち親が厳しいらしくてさー、全然遊べねえからつまんねえんだよな」
そう言って顔をしかめた後、彼は隣にいる女に微笑みかけている。
私の話であろうことはすぐにわかった。
そっと背中を向けると、自然とため息がもれる。
雨は容赦なく冷たく、制服を濡らしていく。
走り出そうと足を踏み込んだ瞬間、腕をグッと掴まれた。
振り向くのが怖い。
「ほら」
彼氏よりももっともっと聞き慣れた声。
イケメンで高身長な彼氏とは正反対に、メガネをかけた、地味な少年。
私の幼なじみだ。
目線も私と同じくらい。
見た目を裏切らず、真面目で成績も優秀だ。
私とも正反対。
「なにしてんの?」
「母さんに牛乳買ってきてって頼まれたから」
目を伏せながら、黙ってビニール傘を差し出す。
私も黙って傘を受け取り、空に向けて広げた。
雨の帰り道、私の脳裏にはずっと、無精髭を生やしたパパの姿ばかりが浮かんだ。
私のことに興味なんか無さそうな顔してるくせに、門限にだけはうるさい。
少しでも遅くなるとバカみたいに怒り出す。
当選した大好きなロックバンドのライブ。
「ママ同伴じゃなきゃダメだ」とか言い出しそうだ。
「どうした」
無意識にため息をついていたらしい。
存在を忘れていた幼なじみの声が弱々しく背中に響いた。
雨音にかき消されそうなほど小さな声。
私はふと立ち止まる。
「ねえ、なんで傘2本持ってたの?牛乳買いに来ただけでしょ?」
「母さんが…お前がいるかもしれないから…持ってけって」
そう言って、ぽりぽりと頭をかいた。
「相変わらず優しいなぁおばさん」
幼い頃からお世話になった、おばさんの優しい笑顔を思い出す。
「お前の母さんだって優しいだろ」
「ママはね。パパは厳しいから嫌い」
「んん…」
彼は困ったように唸る。正直過ぎる反応。
「当たったの?!すごい!ママも行きたい!」
ライブチケットが当選した事を告げると、ママは案の定はしゃいだ。
「やだよ」
「なんでよー!誰と行くの?」
ママの問いかけで、私の脳裏に先程の彼氏の光景が頭に浮かんだ。
別にそれ程好きだったわけじゃない。
ナンパされて顔も声も好きだったから、付き合っただけ。
それでもなんだかモヤモヤする。
「誰と行こうが、会場まで迎えに行くからな」
パパはキッチンでマグカップにコーヒーを注ぎながら、チラッと私を見てクギを刺してくる。
もううんざりだ。
大きくため息をついた。
「もうウザイ!そういうの!」
思ったことがそのまま口に出てしまう。
ママは困ったような顔でパパと私を交互に見てる。
何となく後に引けなくなり、そのまま家を飛び出した。
「おい!こんな時間にどこ行くんだよ!」
ドア越しに聞こえるパパの声。
「うん、家にいるから大丈夫」
結局行くあてもない私は、幼なじみの家にやって来た。
おばさんがスマホで話している相手は、きっとママ。
今さら少し罪悪感で目を伏せる。
おばさんは私に向かってOKサインを作ってみせた。
昔からおばさんといると私は何故かホッとする。
「ハーブティー飲む?」
なにごとも無かったかのように、おばさんはハーブティーを出してくれた。
庭で育てているというハーブ。
「美味しい…」
おばさんが淹れてくれるハーブティーを飲むと、いつも乱れた心が落ち着く。
「おばさん、うちのパパなんであんなにうるさいのかな」
「可愛い可愛い娘だもん。そりゃ心配するわよ。当たり前でしょ」
そう言っておばさんは笑った。
「他の子は普通に遊んでるのに」
私は口をとがらせた。
優しい言葉を待ったけれど、おばさんは珍しく黙り込む。
そして言葉を選ぶように、ゆっくりと口を開いた。
「おじちゃんね、高校生の頃、大切な女の子がを事故で亡くしてるの」
「え…?」
「だからきっと心配なのよ。おじちゃんの気持ちも少しわかってあげて?」
「そんな話聞いた事なかったな…」
無精髭を生やしたパパの顔を思い浮かべる。
なんだか少し胸が痛い。
「そう言えば、今日塾の日でしょ?大雨平気だった?」
「え?おばさんがあいつに傘持たせてくれたんじゃないの?」
「ん?」
おばさんは目を見開き、不思議そうに首を傾げた。
コンビニの前で差し出された傘を思い出す。
「ちょっと上行ってくるね」
私は彼の部屋を押しかけた。
机に向かって、熱心にノートにペンを走らせている。
「真面目か」
彼の背中に向けて呟く。
「ん?」
振り向きもせず、手も止めない。
こいつは何を思って傘を持ってきたのだろう。
小さな背中を見つめて考える。
「ねえ」
「なんだよ」
「この曲、なんだっけ」
「ドビュッシーの月の光」
「へえ」
「お前は興味ないだろうな」
鼻で笑われる。
「さっき、なんで傘持って来てくれたの?」
「言ったじゃん。母さんに買い物頼まれたんだって」
「嘘つき」
小さな声で呟いた。
「ん?」
やっとこちらを振り向いた。
「気が変わった!」
「は?なに?」
彼は顔をしかめた。
「これ、一緒に行こうよ」
私はスマホを取り出し、大好きなバンドのライブ当選画面を見せた。
メガネの奥の目を細める彼。
「こういうのは俺好きじゃない」
「知ってるよ」
「貸して?」
彼は私の手からスマホを取り上げた。
「気が変わった」
私にスマホを押し付けながら、今度は彼が言う。
「ん?」
「11月15日は空いてるから」
彼は目を伏せながら、メガネをずり上げた。
「あ…」
当選したことに気を取られて、すっかり忘れていた。
この日、私の誕生日だ。
もう一度彼を見る。
「たまには付き合ってやるよ」
そう言って、再び机に向かう彼。
なんだか心が温かくなって、不意に泣きそうになった。
