時には「笑い」も人を傷つける


私の友だちにあんまり成績も良くなくって、そんなに器用じゃなくて、運動神経、いい方じゃない子がいるんです。


その子はその子なりに一生懸命やってるんだろうけど、その子がみんなの前で授業中に発表して間違っていたりすると、意味もないのにわらいだすんです。普通の子が同じことをやっても笑わないのに、その子だから笑える・・・・・・。


私も経験あるからすごく嫌なんだけれど、自分がその子のために注意して色々と言われたりするのが嫌だから注意できないんです。

でも、時には笑いも人を傷つけることがあります。意味もない笑い、そんなのも人を傷つけることがある。言葉だけじゃない、笑いも人を傷つけます。

だから、自分にもっと責任を持ってほしいと思います。お願いだから、意味もない笑いを止めてほしいとおもいます。私もいじめられたり、そういうことをされらことがあるからわかります。私もやっと1年かかって立ち直ったんです。・・・・・・もう何にも言わないでほしい。

・・・・・・お願いだからそっとしてほしいと思います。 (女子の子)


その子が立ち上がっただけでクスクス笑う。授業でも「正解」をいってもはやしたてられ間違うと嘲笑される。「意味もない笑い」は、たしかに「その子」を追いつめていく。笑われることで、落ち着きを失い、また自信をそがれる。

いじめは何も言葉や、目に見える暴力だけじゃないというのはその通りだろう。さらに、日常的にいじめをを生み出している教室カルチャーは、「明るいノリ」の子が良いとされでいる。その明るさにまみれた冗談が、人を傷つけるけることもあるということに、「明るい子」がどれだけ気づくのだろうか。



どうすればいい?いじめをなくす方法


傍観者になるな、というのははたやすい。

けれども、おとなだって「さわらぬ神にたたりなし」と、電車の中で酔って乱暴な言葉でからんでくる人に、周囲の人はあえて関わるまいとする。

いじめの現場で傍観者にならないー。勇気がいるし、そのタイミングも難しいことは十分にわかっている。けれども、一歩間違うと、傍観者は積極的にはやしたてるギャラリーとなり、やがてはいじめを楽しむ共犯者にさえなっていくことがある。

大きな勇気がふるえなくてもいじめられてる子に手をさしのべることができる。小さな勇気が大きな友情のきっかけとなることもある。そのことを考えながら、第3者の立場を見ていくことにしたい。

アンケートの中に「いじめか、ふざけているのかわからない」「中途半端に口がはさめない」という回答があった。これは、いじめがまず「からかい」「いたずら」から始まることを表ししている。最初から敵対感情に燃えた衝突であるなら、それはケンカになる。けれども、いじめは妙な親しさを装って行われる。やられている側の子が笑っていたりすることもあるから、周囲はよくわからいことはほんとうだろう。でも「ふざけあい」ならば、やった側が次にやり返されることが当然にある。ごく自然にやられた子がやり返してやられる側に向けた一方通行の「ふざけ」「いたずら」を続けたているとしたら、これは対等な遊びではなく、いじめの要素をもっているとみていいのだ。

止められるとしたら、ふざけがいじめに転じる時かもしれない。この場面なら、「ちょっとやりすぎだよ」と制止することにも、そんなに大きな勇気を必要しない。できれば何人かでこの「一方的ふざけ」「いたずら」がおわるまでガードしてあげるといい。

いじめは必ずエスカレートする。ふざけはやがて暴力となり、またいたずらは持ち物の破壊へとすすむ。いじめる側は、毎日のいじめのめりこみ異様なもりあがりをいじめの中に求めるようになる。 

       (出典 いしめの光景、 続・いじめ光景)


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ってことで。


いじめは絶対だめですよ!!w


ではではw


ばいばい