ことわるまではないのだが、このブログは自分の考えを整理する為に自分に対して語るつもりで書く。
冒頭で何故この様な宣言をしたかというと、なんとなくエキスキューズみたいな事をしておいた方がよいと感じただけで深い意味はない。

さて、最近アメリカではオキュパイ•ウォール•ストリートと称する貧困層が、全米人口の僅か1%が、全米の半数近い富を占拠しているとして抗議運動を起こしている。
貧困層は、今晩食する食事の事さえおぼつかないのに、富裕層が飼っているペットにかけている1ヶ月の餌代は、貧困層の年収と同等かそれ以上である。

これをいくらけしからんと怒声を上げても現実は、何も変わらない。
富裕層が何に金をいくら使うかは、彼等の自由なのだから。

今日、某経済評論家のブログを読んでいたら、銀行では預金残高10億以上の客のみを「お客様」、それ以外は「ゴミ」と内部では呼ぶそうである。

私が驚いたのは、「ゴミ」と呼んでいる事ではなく、残高9億でも「ゴミ」と呼ばれる事だ。

確かに富裕層と貧困層では、その感覚は想像以上に違うのだろう。

富裕層の感覚を貧困層の尺度で計る事は物事を見誤らせる。
富裕層は、金を持ち過ぎだと批判する事は、降る雨の量が多過ぎだと文句を言うのと同じだ。

何故大量の雨が降るのかその仕組みを知らなければ、同じ文句を言い続けなければならない。

そして、貧困層にいる者が陥りやすい間違いは、貧困層全員がそこから抜け出す事はないという事である。
ユートピアはあるかもしれないが全人類が行けるわけではない。
そんな事言われなくても分かっているという人がいるかもしれない。
しかし、本当に分かっていないからそこから抜け出せないのではないか?
だから、共に闘おう、みんな仲間なんて事を言うのではないか?
例えば、全国の労働組合。
組合幹部になった途端、人が変わったなんて言われる人がいる。
幹部になって初めて、組合全員を満足させる事は出来ないという現実と自分の希望を後回しにしなければならない矛盾に気付くのだ。

つまり、富裕層の側にいる人々は、貧困層がいるからこそ自分達は、その場に居られるという事を知り尽しているのである。

従って、富裕層に向かって、富を独り占めにするのは、良くないと言っても、彼等から言わせれば、「馬鹿か?お前等は!富を独り占めしているから我々がいるんだ。仮に我々が居なくなっても別の誰かがここに座るだけさ」と言うに違いない。

だから、富裕層を批判するだけではなく、彼等の考え方、やり方を学ばないと貧困層から抜け出せないと私は思うのである。

又、全員が貧困層から抜け出せるわけではないという真実は、他者と同じ方法をやっていては抜け出せないという事も同時に示している。
IT業界でジョブズの様な変人が突出した成功をおさめたのも、彼自身が言っている様に、その前まで愚かと思われる道を選んだからだ。

でもジョブズは、はっきりとは言わなかったが、彼がヒッピーから大富豪になったとはいえ、誰でもジョブズになれるわけではないのだ。

つまり人から嫌われる事を怖れていては、貧困層から抜け出せないという事だけは確かなのである。



iPhoneからの投稿
原子力安全・保安院 というのは、経済産業省の外局である資源エネルギー庁の特別機関である。

 この組織は「「原子力安全」と「産業保安」とが主な所掌事務で、決して原子力関係のみを専門としている組織ではない。」ということである。


一方、原子力安全委員会 の方は、内閣府の審議会で、職務は「原子力の研究、開発および利用に関する事項のうち、安全の確保に関する事項について企画し、審議し、および決定することである。」なのだそうである。

何故、原子力に関わる同様の機関が、行政府に二つもあるのか?

発足の歴史については、このブログの読者の独自調査に任せるとして、こういう業務領域が被った機関が複数存在するというのは、今回の東電福島原発と同様の事故が発生した場合、行政機関の責任の所在を見え難くする事になりはしないか?

話は逸れるが、福島県の少中学校の校庭の被爆量の安全レベルを文部科学省が決めるというのも変な話だ。

文科省は仮に安全・保安院と安全委員会の示す安全レベルが異なった場合、どちらを採るのだろうか?
 大臣はICRPの基準を参考にしたと言っていますが、これもどうも拡大解釈している様な妙な感じがします。
 放射線汚染の危険の影響を一番受けるのは、子供達ですから、この基準値の運用については、もっと慎重かつ柔軟に討議されるべきだと思います。一度決めたら絶対に変えないみたいな態度ではなく。

笑い話に「運転手にとっての最大の交通安全は車を運転しない事だ」というのがあります。確かに運転しなければ事故は起きないわけで、危険についても考える必要はありません。しかし、この世の中に危険を考えない安全と言うのはありえません。安全と危険は隣り合わせで、事故が起きた場合の損害をいかに最小限に防ぐかというのも大切な考え方です。

 ところがこの原子力安全・保安院、原子力安全委員会、事故がおきて放射線が外に漏れ出した場合の危険についてきちんと検討していた節があまり見られません。

東電福島原発事故発生直後、東電の担当者達の口から最初に出たのは「想定外」という言葉でした。
 日頃、安全・保安院、安全委員会が放射線漏れの危険について指導していれば、想定外という言葉は出てこないはずですし、想定外だからどうなのって話です。
放射能汚染の拡散を防ぐ為に、こういう処置を取りました。放射線の測定装置数百個の手配をしました。と答えるべきです。それが安全指導だと思います。

 そもそも、保安院・安全委員会の面々は、放射能汚染物質の専門家であるべきです。
 放射物質について専門知識を持っていれば、同心円上に物質が拡散するがごとき、避難・退避区域を決めるなど愚の骨頂です。

社会学者の小室直樹先生は、政治家とは人々がまだ見ぬ未来を予測し、それを信じ込ませる説得力を持つ者だというよいな事を述べておられます。

 だとすると、枝野官房長官は官僚の説明を鵜呑みにするのではなく、自分自身で調べ、責任回避と自己保身を優先させるのではなく、国民のパニックや暴動を怖れるのではなく、今起きている事をそれこそ自分自身が冷静に、しかも出来るだけ正確に伝えるべきです。

 炉内の減圧の為のベントを実施する際にも、事前に菅総理の方から国民に事前説明するべきです。
 最悪の事態を避ける為に、汚染物質を空中に排出するベントをしなければならなくなったので、理解と協力を求めるべきでした。

こんな時に、国会で政治家は権力闘争に明け暮れるとはいったいどういう事かと怒りの声を上げる女子アナがいますが、原子力利権村と言って原子力のお陰で様々な利権を手にしている人がいます。もちろん、国会議員の中にもいます。そういう既得権勢力にメスを入れようとしていたのが小沢さんですが、ご承知の通り既得権勢力の激しい抵抗と、マスコミによるネガティブ・キャンペーンを利用した菅さんに嵌められ、その力を封印せざるをえない状況です。

 国政において四面楚歌の状態にある菅さんに、既得権勢力を打ち破る力はありません。
 とは言え、行政の最高責任者は菅さんであり、それを政府以外又は野党議員に行政を動かす権限は与えられていないのです。

 菅さんが辞任を表明してしまった以上(はっきり明言はしていないと言う人もいますが)、菅さんの後任にどう判断されるか分からない官僚達が、菅さんの指示に素直に従うわけはありません。

 だから、政治家達は菅さんの一刻も早い辞任を求めているわけで仕方がない事なのです。
 政治の勉強をろくにしない女子アナにも問題があると思います。

仕事に精通し有能な官僚の中には、仕事や能力で評価してくれる小沢氏の方が(総理として)良かったという者が少なくないと聞きます。

菅氏を支持した官僚は、楽して甘い汁が吸える現行の体制にメスを入れる事が出来ない菅氏の方が都合が良かったから、そうしただけです。

岡田、枝野、前原、海江田等(敬称略)、政治家というより官僚ぽい顔付きをしていると思いませんか?

又、菅さんも含め、この連中に共通しているのは、謙譲の美学を知らない事だと思います。
確かに、政治家を目指した段階で大臣になるのが第一目標でしょう。
しかし、自分より適任がいると判断すれば、あっさり席を譲れるというのも、その政治家の器を表すと思います。
 滅私奉公というのも古くから伝わる日本人の哲学です。


いずれ、原発の安全に関わる組織を機能させるには、原発がそれ程旨味のある事業にしない事だと思います。

その為の一つとして、電気料金の決定方式である「総括原価方式」を即刻止めるべきだと思います。
 この方式は、発電・送電・電力販売にかかわるすべての費用を「総括原価」としてコストに反映させ、さらにその上に一定の報酬率を上乗せした金額が、電気の販売収入に等しくなるように電気料金を決めるやり方です。

例えば、送電塔の鉄材を仮にA社が10万円で、同じ物をB社が20万円で売っていたとします。
 そしてB社の方は官僚の天下り組織かつ電力会社の系列会社だったとします。
電力会社は当然B社のものを選びます。

そして、差額の10万円は総括原価方式で電気料金に加算されるのです。

この点を指摘して、官僚達と海江田さんを敵に回したのが例の古賀 さんです。

そして、余談ですが今や菅さんの良き相談相手となっているソフトバンクの孫社長。
 脱原発・自然エネルギー推進を主張していいますが、彼は再生可能エネルギーを使用した発電会社の電気を固定価格で電力会社が買い取る法律の成立を菅さんに求めている様ですが、彼は密かに既存の風力発電会社の株を買占め筆頭株主になったと聞きます。
 国が法律で、出資した会社の電気を固定価格で買い取ると言う事は、苦せずして彼は巨額の富を手に入れる事になります。
 ところが彼はこの総括原価方式についてあまり多くを語っていない様なのです。

 私は、金儲けを悪とは言いません。
 しかし、綺麗事を看板にして、国民の財布の中身を狙うのは商人としてどうかと思います。
 先日、収監されたライヴドア元社長堀江貴文氏の、その発端となったライヴドア事件について考えたい。

事件の詳細については、他の資料等を参考にしていただきたい。

 株式の公開、株式の発行の基本的定義からすると、企業の事業資金調達の為の一手段とされている。

しかし、これを株主側から見ると、将来の値上がりを期待してその企業の株を購入する行為に過ぎない。

つまり、株主から見れば、自分が株購入の為の代金が企業の資金調達に廻ろうがどうだろうが関係の無い話なのである。
儲かればいい、ただそれだけだ。

だから、ライヴドア事件で、ライヴドアの本業とは関係のない自社株の売却益を決算書に利益として計上したのがけしからんとする論理は、つまり、本業は大赤字なのに、株式投資家を欺く為に利益計上し、儲かっている様に見せかけたが悪いという考え方である。

一方、堀江側は、いずれ株で大儲けしたのは事実で、結果的に会社はプラスだったのだから、何が問題なのかという主張である。

堀江氏を批判する側の人達の主張は、本業であるIT事業ではほんとんど儲かっていないくせに、儲かってる様にみせかけ、個人投資家達を騙しているのはけしからんというものである。

しかし、堀江氏から言わせると株式投資とはポーカー・ゲームみたいなものと言いたいのではないだろうか?相手に対し積極的に手の内は語らないものの、無言で自分の意図する方向へ相手を心理的に誘導する。相手も相手の方で騙されないぞ、必死で相手の手の内を予想する。

結果、負けた相手は、相手の事を恨んだりしない。
自分の読みの甘さを恥じるだけである。


株式投資自己責任説を支持する側の投資家にとっては、ライヴドア事件での検察による堀江氏の突然の逮捕は、大変迷惑な話である。

しかも検察がマスコミを利用して、世間を扇動して結果、立証された犯罪は、簡単に言えば仕訳上の処理の問題である。

確かに、本業以外で儲かっている事を、本業で儲かっている様な誤解を与える様な有価証券報告書の記載は問題である。

しかし、これは検察が最初からしゃしゃり出てくる様な事件ではない。

まず、証券取引所の方で、ライブドアへの報告書の修正勧告をした上で、それでも従わない場合に、上場廃止等の措置を講ずるべきであろう。

株式市場の事は、株式市場でというのが本来の在り方ではないだろうか。


昨今、検察特捜部の取調べやその仕事ぶりへの問題点が指摘されている。

本来、特捜検察とは、他の機関では解決出来ない様な、難解、又は特殊な事件を扱う部署ではないだろうか?

なのに、素人でも分かる様な見込み違いの事件を上げ、引っ込みがつかなくなると、捏造してまで無理矢理有罪へと追い込む。

こんな、荒っぽいやり方では、本当に悪い、巨悪を上げる事が出来るのだろうか?と本当に不安になってくる。