最近は「面白い出来事」「面白いサイト」はツィートしてしまうことがおおいのだが,よく考えるとツィートはあとから見返すことができない.やはりブログに書いておいてツィートで引用するほうがいいのかもしれない.

ともあれ,今週は「総合数理学部の微積分でいかに不合格者をださないか」ということがテーマである.というより,テーマになっている.新学期当初から学生との距離を短く設定してみた.先生は教える人,学生は教わる人,であることは変えようもないが,「授業=知識の伝授」という儀式を除いては「できるだけナンでもあり」にした.これはプログラミングの授業などでもそうらしい.教員は学生個人にしきりに声をかけ,学生も教員に正直な気持ちを吐き出す.ここだけを取り出してもFMSは「カリキュラム以上の何かを持っている」学科であると言える.

大学を経験してない人にはわかりづらいが,実は大学を受験する高校生は「大学を卒業した後のキャリア」には興味があるが,「大学をスンナリと卒業できるかどうか」にはあまり興味がない.遠くを見据えた人生設計とも言えるが,「大学とは学生をスンナリ卒業させるもの」との(親世代からの)勘違いがあるものと思われる.最近に至っては授業に出席しなかったり期末試験のデキがわるいと容赦なく不合格がつく.試験前に先生に「お願い」しても,試験後に先生に「お願い」しても無駄なことである.(変な言い方だが,昔は「お願い」すると何とかなったものと思われるし,「ゲタ」とか「オンジョウ」という採点方法も昔はあった.)大学の成績も時流に合わせて「デジタル化」したということである.このあたりは20年前とははっきり変わったと思う.

この「お願いも聞かずに」「容赦なく落とす」というのは学生にとっては厳しい状況であると言えるわけだが,教員の側も「(授業以外の)何のサポートもなく,学生の自己責任だけに任せる」ということがだんだんしづらくなってきた(と思う).というわけで,教員自らが学生のサポートに入ることになるわけだが,授業の場で「わからないことがあったら遠慮なく質問して」と声をかけることはこの場合なんのサポートにもならない.授業の場はあくまでも「知識の伝達の儀式」であるので,儀式の場で外の世界のことを言っても無効なのである.むしろ勉強している学生に「うまく言ってる?」と個人的に声をかけて,生の声を学生から引き出すことが大切なようだ.

問題は担当学生の数の多さである.微積分を担当しているクラス(混合クラス)は200人弱.FMSの学生は担当している学生も担当していない学生もいるが191人いる.この和集合を取れば270人くらいになってしまう.この中で微積分の勉強に問題を抱えている学生はタブン3割の80人くらい.悩みを抱えている80人と効率よく出会うことはムリだし,一人ひとり声をかける時間もない.それを今週は「無理やり何とかしよう」というわけである.「阿原先生は相談に乗ってくれるよ」と口コミのうわさを流すことも実は大切である.先日は

「ビセキとか,センケイとか,試験が終わった後に先生に「どうしよう」しないで,試験が始まる前に「どうしよう」してください. m(_ _)m」

とツィートしたら学生が面白がって拡散してくれた.こんなことの繰り返しである.ともあれ,300人の学生を全員合格に導けるかどうか・・・・最終的には学生のヤルキ(自己責任)なのであるが,何とかなってもらいたいものである.