感想として
最近、情報というものは生ものなんだな、と日々感じています。ヘリウムを入れられたゴム風船のように高い位置で浮いているわけでも、LongVacation(確か)で木村拓哉が二階だか三階だかの窓からコンクリートに向けて投げたスーパーボールのように元気良く弾むわけでもなく、ちょっとした風で右へ左へ少し動き、あとはぐんにゃりと地面に落ちている空気の抜けた紙風船のような生活をしている自分でも、今のように一日中暇ならば多少は人様の目を楽しませられるかもしれないような出来事を見つけることは出来ます。見つけることは出来るのですが、「お、これ面白いな」とか「あ、そういうものの見方は少し新しいな」と思ったときに、すぐ記事を書けばいいものの、この甘栗小豆という男は生来の怠け者で御座いやして、朝は少し頭がぼやけているからblogが書けず、昼はゲームや小説や海外ドラマを消費するのに忙しいからコンピュータをつける時間もない。夜は夜で最近妹Y氏が買ってきてくれた沖縄土産の泡盛で良い気分になってしまうから、いざコンピュータに向かってもニュースを読んで、動画を見て、twitterでくだらないことを呟いて寝てしまう、と今年一年を漢字で表すとしたら「怠」の一字ですね、というか、「これが今の日本の問題のほんの一例です」とワイドショウの三十分コーナで紹介されそう、というか、書いていて本気で反省している自分が居るのがちょっと嫌だな、というか、まぁ、そういった理由でblogを更新しないで居ると、一日も経てば面白いと思ったことの八割は忘れているし、残り二割も「今更書いてもなあ」と情報が古くなってしまったが故の恥ずかしさで書くわけにもいかない、となるわけです。そういうことを反省して、今日は新鮮も新鮮、さっき一階のテレビで見たばかりのニュースについて。
文化勲章、文化功労賞の受賞者が発表されましたけれど、あの中に水木しげるさんがいるのは、ゲゲゲの鬼太郎を見て育った自分としてはとても嬉しいし、「漸く取ったのだな。遅いくらいだ」とも思うのですが、今年というこの時に限って言えば、あんまり喜べません。いや、だって、ねぇ。あのニュースを見た、誰しもが思うことだとは思いますが、どう考えたってNHKドラマ「ゲゲゲの女房」が流行したからでしょう?だから、その題材になった水木しげるさんに功労賞をあげよう、ということでしょう?どうなんですかね、それって。文化功労賞を授与した理由としては勿論「氏の戦記・妖怪漫画が素晴らしいものであり、歴史に残すべきものである」という理由で納得できるし、ゲゲゲの女房の原作に関しては、奥様の武良布枝さんがお書きになった自伝で、それに関しての文句があろうはずもないし、良い本だと思います。でも、どちらも今年以前に世の中にあったものです。どうして今年なの?それに文化の向上発展に寄与というのは(自分の中では)視聴率が高かったとか、それに関連して地元にお金が入ったとか、そういった事で計るものではないと思うんですよね。まぁ、文化というのは国民全体で作るものであってね、と言われれば、なんの反論も出来ないのですけれど。でも、水木しげるさんの熱狂的なファンとは恐れ多くて決して言えない自分でさえも、このタイミングでの受賞は多くの人が氏の作品に触れるきっかけが増えて嬉しい反面、なんだか正当に評価されていないような気がして、少し悔しい思いがします。
この事でもう一つ。ノーベル化学賞を受賞した北海道大名誉教授の鈴木章氏と米パデュー大特別教授の根岸英一氏が、文化勲章と文化功労賞のダブル受賞で、普通に考えれば、ノーベル化学賞を受賞したのだから、ダブル受賞くらい当然だ、という感じなのですが、そもそも日本人科学者が国際的にも大変名誉な賞であるノーベル化学賞を受賞するほど素晴らしい成果を残しているにもかかわらず、国外のノーベル化学賞を受賞した後に文化勲章を渡すという、この構図はどうなのでしょうか。何か間違っていません?国内の研究者にもっと資金的な援助を渡すべき、このような現在の国内の状況が優秀な技術者の海外流出を招いているのだ、という議論は随分前に他の皆様が散々したので割愛しますし、まあ、この事例だけでどうこうできるほど簡単な問題でもないのも分かります。でも、先の水木氏の事もそうですけれど、本気で文化について考える気がないならそんな賞に意味なんて一つもないし、純粋な金銭的価値しか発生しないのだからやめちゃえばいいじゃん、仕分け仕分け!とは思うのです。それに、こういったことを平気で出来るような人達(少数だとは思いますし、圧力とかもあるのかもしれません。ノーベル賞も順番待ち状態だと言うし)が文化をどうこう言っているということと、さあ祝え祝えめでたいことだ!とばかりにトップニュースで取り扱うテレビ会社が、なんだか少し嫌だな、と思ったという新鮮なお話でした。
あと(まだ何か文句が!?)昨日の新聞の話だったと思うんですけど、裁判員制度で初めての死刑求刑がなされたみたいですね。なんだかなあ、と思うのが、裁判員制度で選ばれた普通の人である裁判員が、裁判官と共にとはいえ、多少なりとも司法に首をつっこみ、あまつさえ人の命をどうするか決めてしまう、というのは、どう考えたってやり過ぎだと思うのです。だって、刑務所で真面目に刑期を終えた人でも冷たい目で見られて再就職出来なかったり、冤罪だろうがなんだろうが嫌疑がかかった瞬間に強制的に職場を追われるような社会・世間というものを構成していて、そこで価値観をはぐくんだ人が、もの凄い真面目に何年もかけて司法について学ぶわけでも、厳しい試験をパスした挙げ句の参加でもなく、普通の人が普通のまま、下手をすればちょっと面倒くさいなとか思いつつ参加していて、死刑にするかしないか決めるわけです。声を大にして「いや、おかしいだろ!」とまではいかないまでも、少し迷った挙げ句、首を傾ける程度の疑問は覚えます。果たして、それで司法が全国民に対して平等であると言えるのでしょうか。どうも、この制度がどこかの組織が予算と沢山取りたいが為に行ったスタンドプレィに思えてしまうし、どうせやるなら施行前にもっと議論を重ねるべきだったと思うのです。まぁ、きっちりかっちり調べて書いているわけではないので、なにかしらの策があるなら大変申し訳がない文章になるんですが。
パソコンのブラウザ、何使ってる?
ブログネタ:パソコンのブラウザ、何使ってる?
参加中ドラマと模型
今見ている海外ドラマはカイルXY(KyleXY)にクリミナルマインド(CriminalMind)の第二シーズン、CSI:Maiami5、コールドケース(Coldcase)の第二シーズンの計五本。CSIは一週間に二三回あるみたいだから、殆ど毎日海外ドラマが見れる計算になります。嬉しい。毎日がスペシャルだ。特に期待値がそこまで高くなかった分、カイルXYは毎回楽しみです。ありきたりな感想ですが、ありとあらゆることに「どうして?」「あれはなに?」と問いかけるカイル(マット・ダラス)と、それになかなか答えることが出来ないトレガー一家という構図は面白いし、同時に考えさせられますね。青年からそういった問いが来るから困ってしてしまうのであって、もし幼児から同じ疑問が来たらどう答えるのでしょうか?自分だったら適当な答えを口にしてごまかしてしまうかもしれない。少なくとも、その子が納得できるように説明することは出来ないでしょう。たとえば「地球が丸いのにどうして下にいる人は落ちないの?」という問いに「それは引力があるからだよ」なんて答えても意味がないわけですし。「下って言うのは地球の中心のことなんだよ」というのがやっとか。それで納得できるのかな。そして、解答できず言葉に詰まるトレガー一家の人々を見て、「どうしてわからないの?」と困惑するカイルの表情、あれはそのまま幼児のそれと同じだと思います。多分、解答する大人はああいう顔を見たくないのでしょう。
twiterでも書きましたが、面接の帰りに久しぶりに模型屋さんに行きました。模型は、今は作っていないけれど見るのは好きなので、デパートの模型コーナには時間があれば新製品を見に行ったりはしています。ただ、最近は買い物にもそんなに行かないし、特に専門店に行くのは一年ぶり。今回行ったところは、かなり専門的なお店で、プラモデルのキット以外に模型飛行機のエンジン(星系五気筒)とか鉄道模型(Gゲージ)を売っている大人のお店。どれも高くて子供が持つお小遣い程度じゃ手が出ない金額です。隅の方に安いキットやモビルスーツや戦闘機のプラモデルもあったけれど、やっぱり魅力というか、持っている価値が一目で分かるほどに違いますね。まぁ、自分はプラモデルのキット以外は門外漢で、詳しいことはあまり分からないし、値段が高ければいいという訳ではないけれど……でも、エンジンとか見るとワクワクするし、鉄道模型なんかは精巧さに溜息が出るし、商品ではないけれど、展示してあったフリーデザイン・フリーフライトの模型飛行機(店主さんの手作りで非売品らしい)も飛ぶためだけにデザインされた洗練されたスタイルで、そういう物にはやはり美しさが感じられます。吃驚したのは工具の安さ。電子式のノギスとかハンドニブラとか、ハンドドリルとかもの凄く安い。エアブラシも一万円くらいで買えるのには驚きました。でも、子供が作るようなキットは既にある程度色分けがされているし、嵌め込むだけで作れるから接着剤もいらない。勿論、パーツとパーツがあわないからパテを盛るなんてこともありません(これは自分も経験がないけれど)。もう子供がプラモデルを作るときに必要な道具は爪切りくらいですね。それだって、ある程度綺麗に作るならば、という前提の元ですが……何せ、指で捻るだけで綺麗に外れるように工夫されているキットもあるし。凄い時代。今の大人から見たら「工作」とは思えないだろうな。
