僕は毎日ビールを500ミリリットル2本飲んでいる.
これは習慣で,アルコール中毒だとも言える.
キリンラガーが好きだ.
昔は黒ラベルが好きだったけど,
それは黒ラベルが,キリンでもアサヒでもないからで,
いわゆる天邪鬼である.

ここ数年は,少し値がはるビールが出てきた.
エビスは昔からあるけど,
プレミアムモルツなんかは最近出たはずだ.
プレミアム,なんていうわけのわからない言葉が付いた
ビールなんか飲めるか,俺をなめるんじゃねぇ,
と言いつつ,
たまたまラガーが売り切れている時には
そいつを飲む.
ラガーの代わりにスーパードライというのは浮気だろう.
一番絞りは昔から好きじゃない.体質に合わない.

エビスはうまい.
うまくて飽きる.
ビールに味のうまさは求めていない.
いつものビールを飲みたいのだ.
ちょっと(いつもより)贅沢なビールはいらない.
父親と飲む時とかには,つい選んでしまう.
知らぬうちに,刷り込まれたのかもしれない.

外で飲むときも,ビールしか飲まない.
他の人が,カクテルだか,何だかを飲み始めても,
ビールしか頼まない.
一つには,選ぶのが面倒だ.
昔から優柔不断で,外食なんかすると,
あまりにも考え込むので親に叱られた.
ビールはいい.
生,って言えば済むんだから.

色んな種類のビールを置いている店は困る.
ギネスがあればそれを飲む.
家じゃ飲めないビールだから.
特殊な缶に入って売ってるけど,
注ぎ方が悪いのか,泡が白くならない.
それに,クローバーとか描いて欲しいときもあるのだ.
けどあれは恐いビールだ.
発泡性が無いので,いくらでも飲める.
それで店を出ると,ひどく酔っていることに気付く.
そうなる前に,ハイネケンにしておくのが
僕なりの防衛手段だ.

普通の店だと,生ビールってだけ書いてあって,
一種類のビールを出すわけで,
どの銘柄なのか,最初気になる.
ああ,スーパードライかよ,
とか,
ええ,一番絞りですか,何気取ってるんですか,
とか,
最初は,黙ってそんなことを考えている.
ラガーが出てくる店ってあんまり無い気がする.
黒ラベルなら許す.
ひさしぶり,って感じで飲む.

ちなみにミネラルウォーターはヴィッテルがいい.
知人にはそれこそ天邪鬼だと言われるが,
一番しっくりくる.
コンビニに並んでいることは少ないが,
置いているコンビニは好きになる.
1年ぐらい前にテレビでヴィッテルのCMをやっていて,
ヴィッテルも本気を出してきたかと驚いたが,
何だか気持ちの悪いCMだったな.
まぁそのCMのことは忘れて,
ヴィッテルを飲む.赤は好きな色だし.

ビールとの付き合いっていつからだろう.
高校のとき,年末に,
コンビニの店長をやってるおじさんが来て,
大量に缶ビールを置いていった.
両親は酒を飲まない人だったので,
勝手に出して,片っ端から飲んだ記憶がある.
あと,なんか嫌なことがあったときに,
学校の帰りにハイネケンを買って,
近所の公園で一人で飲んだ.
何がしたかったんだろう,僕は.

結構歳を取ってきたから,
そのうち酒を止められたりするんだろうか.
ビールを飲める身体は保っておきたい.
ビールを飲みながらでなくちゃ
話せないこともある.
年は,ねん,とし,と読み,
歳は,とし,さい,
才は,さい,と読む.

意味は似ていると感じるが,
使われ方は異なる.
2008年,年末,歳末,18才.
年齢を表す場合は
歳,才のどちらも使える.

どう区別して使うか
詳しい知識は無いが,
とにかく
2008年のことを2008歳
と書いたりはしない.
そう思っていた.
だが,近所の要法寺の
石碑に昭和五拾六歳
と書いてあるのを見つけた.
古くは歳を「ねん」と読んだのだろうか.
それとも仏教上の決まりごとなのか.

日頃当たり前だと思っている知識が,
こうやって覆される時,
言語や理論の持つ不確定性を感じる.
歳を「ねん」と読んだって構わないわけだ.
どこまでが,交換可能なのか,
真理と言える境界に敏感でありたい.
昼食を食堂で取る.
今日は久しぶりにラーメンにする.
400円とちょっと.
セルフのお茶を入れながら,
何だかとても分からなくなった.
なぜ,この小さな硬貨を渡すと,
僕はラーメンを食べられるのだろう.

別に小難しいことを考えたかったわけではない.
労働の対価やら,貨幣の価値の根源やら,
はたまた原材料費がうんぬんなんて
まったく興味はない.

分からなかったのは,
僕という人間と,
硬貨を受け取りラーメンを食べてもいいよ
と許可してくれる人間とが,
なんで硬貨というもので
結ばれているのか,ということだ.
二人の人間と,一枚の硬貨(五百円玉).
何かのきっかけですぐに壊れてしまいそうな
関係.

いつも食堂の人には感謝している.
毎日昼になると食事をくれる.
それは決して当たり前のことではない.
ご飯を炊き,麺を茹で,肉を焼き,野菜を切る.
数多くの過程を経て,
僕はその最終状態を頂いている.

五百円玉がそれを支えているように見える.
だけどもちろんそうじゃない.
携わっている人たちが生きようとして,
場合によっては家族を愛して,
そして食堂に通う人間をしっかりと迎え入れて,
切れることのない注意力と,
止まることのない所作を惜しまないから,
僕はたかだか五百円玉を渡すだけで,
ラーメンを食べられるのだ.

いつもと同じように,
少しだけいつもより深く感謝した.