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2008年12月26日に初ブログをアップして以来、アメーバさんとは丁度4年のお付き合いです。
ブログにつきましては、FXブログやピグ釣りブログに関して、かなりの反響がありました。
当時のアクセス数は自分でも驚いていました。
この間、ネット社会での楽しいこと、辛いこと、いろいろありました。
ピグカフェでは、ピグともさんが食事客として来店するようになりましたので、来店されるピグともさんのお顔を眺めていると、たくさんの思い出が蘇ります。
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さて、なうで既に呟いておりましたが、
明日から始まる2013年1月から、とある途上国で私の会社の環境技術を生かして、その国の経済復興に貢献というか、私の残された人生を捧げることにしました。
フランスに生まれ、各国を転々とし、両親の母国である日本に来てからは、日本人以上に日本人らしい生き方を目指して頑張って来ました。
昨年3月11日の東日本大震災によって引き起こされた福島原発の事故では、
その事故収束のために、私や弊社が持ち得る全ての資材や知恵を投げ打って、被害拡散の防止に努めました。
結果、昨年のブログには度々アップしましたが、私は被爆し、会社も自宅も田舎へ移し、温泉治療しながらの日々となりました。
大震災への対応は、民主党政権のトップは本当に頑張っていました。
しかし、自民党政権時に長すぎるしがらみによって築かれていた原発利権やアメリカとの闇の世界は深く、深く・・・政権担当能力の未熟な民主党には対応出来ませんでした。
そして、民主党による政権は先の選挙で終焉を迎え、国民は圧倒的な多数で、自民党政権の復帰を選択しました。
自民党は、安堵したことでしょう。
日本の歴史に大きな汚点として残る福島原発事故に対して、自民党の責任に関する部分の事故調査報告書を作り替えることが出来るようになりましたからね。
地震に対する損害危機を計算に入れていないアメリカの原発をそのまま日本に持って来た東芝の提案を、様々な利権の中で採用した自民党の歴史を記録から消す作業は、自民党しか出来ないのですから。
日本は、第二次世界大戦で2回も核兵器を落とされました。
2011年3月には、大地震による福島原発事故を経験しました。
一部には、福島原発周辺で早くも農業や漁業が再開していますが、放射線物質の特性を正しく理解していれば、再開出来るほどの時間的経過ではありません。
世界大戦での敗戦国であった日本を助けてくれたのは、アメリカです。
アメリカの提案がなければ、日本も朝鮮半島のように2分化され、異なる国に管理されていたはずです。
しかし、日本を助けたアメリカは、核絡みで日本を自由に利用しています。
日本国民の心理もアメリカのやりたい放題に管理されています。
結果、原発推進、原発歴史での不都合封印を行える自民党が圧勝しました。
日本人は、小手先は優秀ですが、自国の責任ある将来像を構築する能力は、同じ敗戦国のドイツとは比べものにならないほどレベルが低いです。
核兵器を落とされた国だからこそ、そして、原発事故を経験した国だからこそ、意志決定できる特権があるはずです。
世界の他の国に向けて発信しなければならないメッセージがあるはずです。
しかし、愚かな日本人は、原発維持(=推進)の自民党を圧倒的多数で選択しました。
私には、貧しくても心豊かに隣人を愛し、人が集まる集団の社会性や秩序がしっかりしていて、何よりもお互いの笑顔を大切にする、今回の途上国の方がはるかに魅力的でした。
手元の小さい仮想空間やネット空間に貴重な時間を捧げる民族より、青空の下で周囲の仲間の体温を感じながら生活する民族が好きです。
そういう意味では、人間力途上国(である日本)から、人間力先進国(である表面的な途上国)への移住なのかも知れません。
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一時的に、ネット依存症になっていた情けない自分でしたが、これでネット社会から解放されます。
今回の支援先国政府との守秘義務契約の関係で、ネット環境は全て監視されるため、ピグなどとのアクセスは、年に数回出国する時しか出来ないです。
ピグカフェは日本に残る娘の意向によりバトンタッチしますが、それ以外は放置になりそうです。
日本に戻ったときに、機会があれば、昔のように絡んでいただければ幸甚です。
それでは、長い期間、本当にありがとうございました。
骨を埋める国が見つかった今、とても充実感がありますが、日本の素晴らしい風景は大好きでした。
日本の美しさは、日本人のみなさんがしっかり守ってください。
精神的にも日本の独立性を全面に押し出した未来を創って欲しいと願っております。
それでは、またいつか、お会いしましょう。
~~~ 完 ~~~