粧靨(しょうよう)・花鈿(かでん)
粧靨は花鈿の一種と見られるものです。
その化粧法は、丹青をもって両頬に点ずるもの。
「近世における婦女の粧いを見ると、好んで粧しょうを描いている。
その形は月形のごとく銭様のごとくにして朱をもって点じている」と
『事物紀源』に書かれています。
またその由来を「昔三国時代、呉国の南陽王孫和が誤って鄧夫人の頬を傷つけた。
そこで驚いて白瀬髄を膏に造り、これをもって医療したが傷は琥珀色になり
痕は癒えず、ついに朱点さえ見えてきた。
ところがそのためにかえって夫人の容貌の綺麗さは加わるばかりであった。
すると、この有様を見た多の宮女たちが己も君の寵を得ようとして
丹青をもって頬に点じた。これがすなわち粧しょうの期限である」と
段成式が『西陽雑祖』に書いております。
セレブリティーの化粧やファッションは
いつの時代も注目の的。
それを真似して流行が生まれるのですね。
また、先日も記事にしました
この花鈿に類似しているのが、十七世紀の頃、
フランスで流行したタフタで作られた「つけぼくろ」ですね。
フランスのそれも、白粉による皮膚のシミ隠しから始まりました。
こういう遠く、生活様式も違う世界で
同時多発するブームって、不思議ですね。
粧靨は花鈿の一種と見られるものです。
その化粧法は、丹青をもって両頬に点ずるもの。
「近世における婦女の粧いを見ると、好んで粧しょうを描いている。
その形は月形のごとく銭様のごとくにして朱をもって点じている」と
『事物紀源』に書かれています。
またその由来を「昔三国時代、呉国の南陽王孫和が誤って鄧夫人の頬を傷つけた。
そこで驚いて白瀬髄を膏に造り、これをもって医療したが傷は琥珀色になり
痕は癒えず、ついに朱点さえ見えてきた。
ところがそのためにかえって夫人の容貌の綺麗さは加わるばかりであった。
すると、この有様を見た多の宮女たちが己も君の寵を得ようとして
丹青をもって頬に点じた。これがすなわち粧しょうの期限である」と
段成式が『西陽雑祖』に書いております。
セレブリティーの化粧やファッションは
いつの時代も注目の的。
それを真似して流行が生まれるのですね。
また、先日も記事にしました
この花鈿に類似しているのが、十七世紀の頃、
フランスで流行したタフタで作られた「つけぼくろ」ですね。
フランスのそれも、白粉による皮膚のシミ隠しから始まりました。
こういう遠く、生活様式も違う世界で
同時多発するブームって、不思議ですね。