6月頭

胸が痛い。

いや、痛いどころか息ができない。

救急車か?自走か?

とにかく病院にいかないとやばいのはわかった。


右向きに横になっていれば辛うじて息ができるため、

その状態でタクシーに乗った。


病院につくとますます息ができない。

救急で入ったため、研修医しかいない。

看護師に状況を説明したが、また研修医から

症状を尋ねられた。

息ができないのに何度も同じことを聞かれる状況にキレてしまい、さっき言った!と言ってしまった。


看護師さんも同様のようで、

『まずCTの方がいいんじゃないですか!?』と

叫んでくれた。


出したことのないような呼吸音を出しながら、

CTを撮る。

結果は気胸。左の肺に穴が空いている。

だから、左肺が萎んでいたそう。


左胸から管を入れ、

空気を抜く処置をしてもらう。


まず麻酔の針が痛い。

そして麻酔が入ってくるのが痛かった。


長い管を入れた後、陰圧をかけ、

肺を膨らませるのだが、

それでも息の仕方がおかしく、

キューキューハハハッみたいな息をしていた。


心の中では、

“このまま死ぬのか。”とか

“もういいか。”って自分に言い聞かせてた。


けど、口からは、

“助けてほしい”と、ぎりぎりの声で伝えながら、

病棟看護師の手を握っていた。


症状が改善されない様子を見て、再度CTを撮る。


その後、『管の位置を少し動かしますね』と言われ、

ぐりぐりやられた。


まだ息ができない。


医師は、

『肺はもう膨らんでいるのに息ができないのは、心理的な要因だと思う』と言ってきた。


は?


は?


心理的なら要因で、過呼吸的なものになっているとでもいうというのか?


信じられない。

ほんと信じられない。


処置は済んだので、そのまま病棟へストレッチャーで運ばれていく。


見慣れた大部屋に着いた途端、

ようやく意識がはっきりしてまともに息ができるようになった。


いままでは整形外科の棟にいたが、

今回は呼吸器の棟なので、知っている看護師さんはいないと思った。

しかし、自分の名前を呼ぶ聞き慣れた声がする。

『私、呼吸器に異動になったんです。退院してからどうかなって心配してたんだけど、とりあえず顔見れて安心した。』と、

2月までお世話になった看護師さんに出会えた。

そっこうで泣いてしまう。

面会禁止の中で知っている人が側にいることは本当に心強い。


陰圧をかける機械に繋がれながら、

4日間を病院で過ごす。

空気漏れが無いことを確認して、

その3日後に退院した。


骨肉腫の薬の副作用の一つに、

傷を治らせないというものがある。

だから今飲んでいると、気胸のときに開けた横腹の穴が塞がらないため、抜糸まで休薬することに。


そうすると、髪に変化が起こる。

2cmくらい伸びていた白髪の次に、

5mmほどの黒い髪が生えてきた。

薬を再開するとまた、白髪が生えてきた。

すごいな体というのは。


今回の気胸、とりあえず死にかけた。

でも生きていた。


簡単には死なない。

簡単には死なせてくれない。

何のために自分は生きているのだろうと、

また考えさせられた。