株式会社 Kaz Laboratoryは、もともと、学術研究を主とした個人経営の学術研究組織でした。ある方からアドバイスを受け、2023年4月会社組織に改編しました。学術研究を主に行う組織です。法務局の方にも、会社組織は利益を追求することが目的ですから、活動内容は、学術研究だけでは受け付けられないと言われました。当然、学術的知見も販売し、それを使った学習指導、コンサルタント、あるいは、啓発運動も行っていきます。所長の有している「学術的知見」は、色々表現が出来るのですが、物理学の言葉を使えば、「巨視的トンネル効果」を生じさせることの出来る「高い蓋然性」を持った「学問」です。私達の研究のみならず全ての活動に関する根底には「普遍的真理の追求」をすえ、全ての人々が対象ではありませんが、あくまでも、世界中の「魂」を持った人々が安全健康、そして、幸せに暮らしていける世界を構築していくことの一助となることを目的としています。このため、条件が揃い次第、一般社団法人に移行することにしています。
以前の個人経営をしていたときに作ったHomepageがありますが、色々事情があり、本当のことが書けませんでした。しかも、書ける範囲で、かつ、焦点をずらしぼかして書いてあります。しかし、決して嘘は書いていません。表現の問題です。しかも、主に塾を探している方を対象に書いています。
このHomepageはここしばらく更新が出来ないでいます。この最後の更新以降の動きについては、主にFacebook、1件ですがnote、Instagram、Xにも数本書いています。これからは主にabemaにも書いていくことにしました。Homepageは、なるべく早く大幅に刷新して、Homepageにお知らせしたい全ての内容を書き、重要な内容については有料会員制にします。その前段階として、これからamebaに、株式会社 Kaz Laboratory が、どのような人物によって、どのようなことを生み出し、どのような活動をしているかをご紹介して行きたいと思います。尚、当研究所は、単独で様々な活動をしているのではありません。大きくは、世界で活動している「世界の人々が安全健康本当に自由で幸せに暮らせる世界」を作ることをしている有志集団が提案している「考え」、又、その世界的集団から「情報」を直接得ている、日本でただ一人である方を代表とする、高知に展開している、私達と「思い」ををほほ同じくする「人道支援」グループの「考え」「行動」にも呼応して活動しています。私も、この「人道支援」グループに、このグループの趣旨に賛同し協力することを約束する立場のメンバーにもなっています。当研究所は、この高知にある「人道支援」のグループと共に、「普遍的真理」にも含まれると思われる、「新しい、世界中で合意された「考え」「方針」」に従って、大筋では「歩」を同じくしています。
(1)株式会社 Kaz Laboratoryの概要
株式会社 Kaz Laboratoryは、代表取締役 所長 阿部一博(Kaz)の「学識」を元に、「普遍的真理」を求めて、「宇宙の真理」「宇宙の摂理」を探訪追求していくことを目的としています。「学術研究」が中心であるため、近い将来には、一般社団法人に組織替えする予定にしています。
代表取締役 Kazの「学識」とは、所長 Kazが、最初に入学する前の受験勉強の過程で生み出した「基礎認識論」を中心とした「新しい学問」のことを言います。この学問とは、簡単に言うと、この地球上では、起こりえないと言われていることを実現させることが出来る内容を持った「学問」です。統計学を用いて表現すれば、地球上で起こる現象というのは、-3σ~+3σの範囲内で起こると決まっています。しかし、Kazの「学問」では、その範囲を越えて、+3σ以上の世界を展開することが出来る内容を持っています。株式会社 Kaz Laboratoryでは、この「学問」を基礎に様々な方面に応用して活動をしています。
この中には、+3σ以上の世界を展開出来ることを、一番わかりやすい形で示すことの出来る「学習分野」で実例を示すため、それ共に、自分自身、表面的には「落ちこぼれ」であったことから、教室に埋もれている「宝」を救うために、学習指導をする「クラム・スクール・カズ・ラボラトリー」を併設して、研究の合間を利用して学習指導を行っています。
(2)代表取締役、所長、学者、塾長:Kaz
自己紹介を極簡単にしておきます。
私は、幼稚園のときから、「本当の世界は、実際に見えてる表面上の世界ではなく、違う「本当の世界」があることを知り、「本当のこと」「真理」を追い求め、「真理」を皆に知らせなければいけないと思うようになりました。どうして、皆は、「本当でないこと」を本当だとして考え行動しているのだろうと、いつも疑問に思いながら日々を過ごしていきました。そして、中学の2年生の時に至り、本格的に「学術書」を読み始め、「真理」を追求し、「真理を愛する」喜びを知ることとなり、「真理」を求める旅を始めました。学校の勉強を差し置いて「学術書」を読みふけることをよくありました。学校の勉強は勉強の仕方が良く分からず、ただ、「難しい参考書」や「難しい問題集」を解かなければならないということに捕らわれて、少しも、大学入学試験レベルの問題には全く歯が立たない状態でした。そのような中、大学入試に合格しなければならないことに迫られて、「超落ちこぼれ」の状態から、様々な経緯を経て「トップクラス」の成績が取れるようなりました。この大学受験勉強の過程を通して、大学に入学する前に、既存の学問とは異なる「基礎認識論」と言うべき「哲学」を中心に新しい考え方を生み出すこととなりました。それを、最初に入学した大学学部3年生前期、講義のレポートにおいて、その一部を交えて書きました。すると、どういうわけか、私の書いたその論文が、学問界に分野を越えて伝わり、真正の学問をされている「学者先生方」から考えられないほどの高い評価、言わば、東京大学を凌ぐ評価を頂くことになりました。そのため、私は、大学学部3年生後期からは、「学者先生方」の「階層」では「大学者」と言われるようになりました。
その後、最初に入学した大学学部4年生の時から、卒業研究等で、個人的に教官と接することが始まりました。この時から、このような「評価」を頂いたことに関係する様々な問題が明らかになってきました。
詳しいことは別の機会に譲ることにして、結論は、一般の「学者先生達に」ものすごい妬みと嫉妬を受けることになったと言うことです。特に、「東京大学出身の学者先生達」の反応は、誠に常軌を逸するものでした。私と接することがあると、直接相対していないとき、陰なので、ヒステリーを起こし、嬌声を上げるのです。その当時、私が相対した「東京大学出身の学者先生」全てが同じでした。「大学者だってよ!へっ~~」このように全く同じように裏返った声を出して叫ぶのです。皆さん、男性のヒステリーを見聞き経験をしたことはありますか。本当に、びっくり仰天するというよりも、呆れてものが言えませんでした。
最初の大学在学4年生当時、教官同士で話をしているとき、あるいは研究室内での会話において、「S.Y.先生は、すごいと言っている」等話していることが漏れ伝わってきていました。しかし、このような極めて高い「評価」を頂いても、「一般の学者層」の方々に、このような反応が出ているということは、学問をしていく上では「一般の学者先生」方との集団の中でしていかなければならず、滞りなく「学者活動」が出来ないことが予想されました
案の定、学会に入会しようとしても上手くいきませんでした。会費は払うのですが、郵送物が全く届かないのです。一度、連絡が来て、住所を確認しましたが、それでもっさい届くことはありませんでした。又、他の学会では、入会申込書を送るように依頼したのですが、とうとう送られてくることはありませんでした。
最初に入学した大学を卒業した後、東京大学に入学しましたが、大学院に進学する段階になったとき、物理科の学生としての成績が高くなかった実験系の助教授(M.M.)から、言わば、「君が大学院に行くことは税金の無駄使いになるから行くな」と面と向かって言われました。又、卒業後、留学をする際、推薦状を貰わなければならなく、学部4年生の時研究室に直接所属して講座を受けた教官以外は、個人的な付き合いがない関係上から、やむを得ず、M.M.に推薦状を依頼したところ、「君のことよく覚えていないから書けない」と断られました。その後、もう一度、今度は、物理学科長を通して「推薦状」を要求したところ、M.M.教官が書くというなら私も書くと言われました。しかし、この時も、M.M.教官は、「覚えていない」と言って断ってきました。聞くところによると、一般的には、学生と教官の関係は推薦状を書けるほど親しくなく、ほとんどが、学生に自分で推薦状の本文を書かせ、それに、教官がサインする場合がほとんどだそうです。その後も、今度は、理学部長のところに話をしたところ、推薦状がなくても何とかなるから、その方法を模索するように言われました。M.M.助教授も、物理学科長も、いずれも、学生の時に、物理学科生としては、学内成績が良くなかった部類の人達です。業績については全く知りませんし、学内でもこの両教官の話は全く耳にしませんでした。私は、M.M.助教授に「税金の無駄使い」と言われたことに頭に来たので、学生の時にトップクラスの成績で、しかも、面倒見の良い先生(M.W.先生)を知っていたので相談に行きました。すると、その先生、開口一番、「君のこと知っているよ。有名だねえ」と言われてしまいました。まずいなと思いつつM.M.助教授のことを話したところ、「私が良いと言ったからと伝えて、物理科の先生、全員と話をしてよいよ」と特別な許可を頂きました。そこで、なん人もの先生と話をしたのですが、その話の内容の傾向はもうはっきりとしていました。学生時代「成績の良かった」「理論系」の先生方は私に対して否定的なことは言いませんでした。しかし、学生時代、「成績の良くなかった」先生方は、ひどい先生になると「君の研究するところはないよ」という始末。その中でも、しっかりとした認められている「実績」のある先生は、私に、「M.M.君なんか、あなたのことを創造性があるなしとかが言える立場ではないよ。彼自身、ただ、理論学者の言っていることをただ確かめようとしているだけで、M.M.君こそ創造性なんか全くないよ」と慰めてくれました。この時のことに限らず、確固とした「実績」のある学者先生は、私経験からだけでなく、他の人の経験による話からも、「とてもや優しい」ということが言えます。
真正の高い「業績」を持った学者先生はとても少ないのが実状で、従って、私の味方、サポートしてくださる先生方も当然少なく、私の「研究生活」は極めて厳しいものとなったわけです。
M.M.助教授や他の「理論物理」の先生方も問題にしたのは、30歳を超えての研究活動についてでした。
私は、30歳を過ぎて東京大学に入学し、物理科に進学しました。物学科などでは、「良い研究は若いときにでしか出来ない」という、何の科学的裏付けもない事を信じている学者先生ばかりでした。しかし、「理論物理」の先生方は、「超最先端の分野は難しい」けれど他の分野腹大丈夫だろう」という話をしていました。でも、実は、物理関係の学者先生達は良く「研究には創造性が欠かせない」と口そろえて言います。しかし、「創造力とはなんぞや」ということは、全く、考察もしていないし、学問的にも研究されていません。実は、私の「研究」では、「創造性とはどういうもの」ということを解明しています。「創造性」について研究してその仕組みを知っている人間に、30歳過ぎているから「創造性がない」という輩N.N.助教授はどのような人物なのでしょうか。当然、私がどういう人物か知っているはずです。しかし、私が「高く評価された学問」がどのような内容か全く知らないということです。「学者」でいながら、専門外のこととなると、全く「事実」や「証拠」に基づかない、趣味趣向でものいう、こういう議論をする人もいるということです。
この他に、私の研究内容自体も、「既存の学者先生達」にとっては面白くない内容であることも、私を、「学問」の世界で表に立たせない理由でもあります。私の研究内容の一つを簡単位言えば、この世では絶対に起こらないと考えられていることを再現できる「学問」なのです。統計学で言えば、+3σ以上の世界を提供する「考え」とも表現できます。このような「哲学」は、既存の「学問」を否定し、それに関係する「権益」則ち「金」に関わる事でもあるため、ものすごく神経質になり警戒をするわけです。
例を挙げれば、学習に関することが一番分かり易いのでいつも例に挙げます。
私自身、表面的には、最初の大学受験の時には、最初は完全などうしようもない落ちこぼれでした。しかし、浪人を重ねる段階で、偏差値の数字上だけでは、東京大学 理I 理II そして、東北大学の医学部など十分に合格できるだけの、受験エリートの上位に当たる成績を上げることが出来るようになりました。
このようなことは、受験界の常識では、あるいは、統計上、絶対にあり得ない事です。まさに、常識を覆す、「不可能を可能にした」のです。
当初は、その勉強方法は、私だけに有効な方法で、汎用性、普遍性については考えていませんでした。
しかし、時々、研究活動の合間に、小遣い稼ぎもあり、この時見いだした言わば「勉強方法」に基づき、「勉強のとても出来ない生徒達」を指導したところ、一人、又、一人と学年でお尻の方の成績の子供さんが学年一番を取ることが起きました。それで、時間がある範囲での追跡調査をした結果、今まで、「素直」であり、かつ、「一年以上の長期指導」をした場合、指導した全ての生徒さん全員が学年一番を取っていることが分かりました。則ち、私が見いだした「勉強方法」は普遍性を持っていることが明らかになりました。
このように、学年でお尻の方の成績の生徒さんが学年一番を取ることは、教育界、受験界では絶対にないこととされています。しかし、私の見いだした「ノウハウ」( 私のHomepageなどでは、「特別なノウハウ」と呼んでいます)はこれを実現することが出来る事の出来る「普遍的哲学」の一つと言えるものです。
このように、私の「学問」は、物理学の言葉を使うならば、「巨視的トンネル効果」を生じさせる事の出来る「理論」「学問体系」と言えるかも知れません。
従って、既存の「学問」とは全く異質で、その存在を脅かせかねない「考え方」なのです。
当然、警戒し排斥をしようとしてきます。
この他には、もう一つ大きな理由があり、それは体調に関するものです。1995年、東京大学教養学部2年生、物理学科に進学が決まった直後、9月から体調を崩し、2017年始めまで具合が悪く、一日の内に半日程度しか、まともに活動できない状態が続きました。2017年以降、突然体調が回復しはじめ、2023年に完全に全く問題のない健康状態に戻っています。。
以上のような理由で、私は、在野で研究活動等をせざるをえなくなりました。
これが、私が、考えられないほど極めて高い「実績」「評価」を頂いていながら、在野で研究活動などをしている理由です。