小林麻央さんの逝去を受けて、色々と考えるものがありました。
僭越ながら娘が節目として最後の記事を綴りたいと思います。

2ヶ月前の4月23日、母は享年50歳で逝去しました。
約1年半の闘病生活でした。
最期にふと目を開けて「生きる意志ってすごい、頑張る」と微かな声で言い、他界しました。
最後の最後まで、諦めなかった強い人です。

まだ本人は書き終えたつもりではなかったでしょうが、
未完成のこのブログをみているだけでも相当密度の濃い人生であったことが伺えます。
そして2ヶ月が経った今、ふと思うことを書いてみようと思います。

亡くなってから気づいたこと

①やはり母親の稼働率は凄かった
一人であれだけ多くの方との関係を築き、日常的にメンテナンスを続け、
それでもって家庭の仕事もこなしていた。
葬儀に会葬頂いた方は約700名、そのほかにもお手紙、メッセージ等を含めると
とても想像がつかない人数とのネットワークをもっていることを改めて思い知りました。

自分自身、4月に就職し母の介護と仕事、家事をやろうと試みましたが、
とても隅々にまで手がまわりません。
一人でどれだけのものを背負っていたのだろうと考えましたが、想像もつきません。

②やはり母は亡くなってからも母親として子を育てようとしている
亡くなった直後から、葬儀・供養・相続手続き・その他諸々の事務手続き・・・・
大量のタスクがふってきました。正直悲しんでいる暇など、ほとんどなかった。
しかし、22年間の子育て方針に倣うように、とりあえずこれは試練だと捉えました。

取り敢えず、やってみる。

私が記憶する限り、子供がすることにガミガミ言ってくることは一度もありませんでした。
その代わりにそっと試練を与えてくるのが、おそらく我が家の教育スタイルでしょう。

例に漏れず、今回に関しても「貴女ならしっかりやってくれるだろう」と
母が言っているような気がしました。
もう直接話すことはできませんが、
人生の早い段階で母を亡くしたことにより悲しみにくれるのではなく、
この境遇を受け入れ人間として成長できるチャンスと捉えるべきなのではないでしょうか。
自分で考え、行動する、その大切さを今でも教えてくれます。


③結局頑張りすぎるのはよくない
きっと50年間にしては多くを成し遂げた人生だったろうと思います。
しかし、本人も最期に認知していたように頑張りすぎて身体を壊すのは本末転倒です。
人生で大きな目標を描き、それに向かって全力投球するのもいいかもしれませんが、
「健康」であること以上に大切なものはありません。
そういう意味では、忙しい毎日を理由に運動・食事・睡眠に気遣うことができなかったのは
母が反省するべき点でしょう。
そこを自分でコントロールできれば、
このような結果にならなかったのではないかと思う節もありますが、
そんなプラス面・マイナス面も含めきっとこれからも多くを教えてくれると思います。

末筆ながら、このブログを読んでくださった方々今までありがとうございました。