とても悲しいブログです。

私は祖母が大好きだったので、皆に知ってほしい。

私のばあちゃんは美人で踊りが上手くて、

カラオケ好きで、習字の先生でした。

年をとっても美に対する努力をおしまなかった。

私の娘と同じく、

さつまいもとお餅をまぜた

ねったくりが大好きでした。

そんな祖母の記憶と最後の瞬間まで頑張って

生き抜いた祖母の姿をつづります。



GW前に

祖母の容態が急変したと

母から連絡が入りました。

母も気が動転していたのか電話じゃなくて、

ラインで連絡してきました。

正直母はおかしくなってました。

電話のかけかたが分からなくなったらしく、

ラインで

ばあちゃん入院した。

と打つのがやっとだったみたいです。

かけつけた私が母に声をかけても

何処か上の空で

目の前で危篤状態の祖母をじーっと見つめる母。



祖母は最近は老人ホームに入っていたので、

土日になると娘を連れて遊びに行ってました。

後から聞いた話ですが、

急変した前日もとても元気で

急変した日も

数分の間に容態が悪くなり

私に連絡が来た時には既に

多臓器不全の状態で

2.3日がやまとの事でした。

私は昔からばあちゃん子でした。

私は初めて

人が息を引き取る瞬間を体験しました。

血圧が低くなって、

顔が硬直し、表情が無くなり、

呼吸もなくなり、

爪の先が紫色になって、

最後には顔、首筋と伝うように
全身の血の気が無くなっていきました。

目の中にあった光も後ろに吸い込まれるように

消えました。

ピーっという音とともに、

握りしめた手は

徐々に冷たくなっていきました。

本当に本当に冷たいんです。

正直頭が真っ白になって、

ばあちゃん、ばあちゃんとしか

言えなかった。

母が

「お母さん、今までお疲れ様」

と声をかけながら祖母の額を撫でているのを

見ながら、

何も言う言葉が見つからず。

ピーという音が流れている中

娘を抱いて、

また

返事がかえってくるはずもないのに

ばあちゃんとしか言えませんでした。

娘が

ばあばねんねしたよ。

と言うので

そうだね、ねんねしたね。

と言うしかありませんでした。

娘は泣いている私を不思議そうに見ながら

どうしたの?ママ?

としきりと言ってました。

娘はばあばは眠ってしまったと感じた様でした。

祖母が亡くなってすぐは実感が沸きませんでした。

まだ普通に居るんじゃないかな?

今老人ホーム行ったら

あら、来たのね?

と言ってニコッと笑うかもしれない。

でも、

本当の悲しみは後からやってきます。

GWという事もあり、

私の車の隣に止まった車から、

小学生位の男の子が、

ばあちゃん、降りてと言いながら出て来て、

しばらくして

祖母と同じ年位のおばあちゃんが出てきました。

一瞬目の錯覚で

祖母に見間違えました。

その時に

実感したんです。

ああ、祖母はもう居ないんだと。

私はこれから

ばあちゃんと声をかけて

車を降りる事は無いんだと。

悲しみが深すぎて

沢山沢山会いに行って、

沢山沢山話すれば良かったな。

何でもいいから

聞いてみたりすれば良かったかな?

死んでしまったばあちゃんやじいちゃんは

何処にいってしまったんだろう?

私が死ぬときは

迎えにきてくれるかな?

そんな事を考えながら祖母を想う

GWでした。

大切な人は身近にいて、

今この瞬間も

とてつもなく大切な時間です。

私は

明日朝起きた瞬間から

大切な人と居れる時間には限りがあるんだと

感じて、これからを過ごしていきたい。

そんな人生にしたい。