「密やかな結晶」小川洋子(講談社文庫)
世界のどこかにある架空の島
その島ではある日突然
何かの記憶が消滅してしまう
それは「鳥」だったり
「バラ」だったり
「写真」だったり
「小説」だったり
そのたびに
人々は思い出を失い
過去を失い
おそらくは未来を失っていく
「島」という閉鎖社会の中で
「消滅」という現象を受け入れながら
何事もなかったかのように暮らし続ける人々
けれど、その「消滅」は確実に人の心を削り取っていくもので
身の内に埋められない穴を抱えたまま、人々は衰えていく
一方で、消滅しない記憶を持つ人は
「秘密警察」による「記憶狩り」によって姿を消してしまう
その「島」が特殊なのか、何かの実験場なのか
外の世界のことは一切わからない
記憶を失ってしまう人と失わない人の間にある
深い深い溝、あるいは目に見えないけれど打ち壊せない壁
そこにどんな違いがあるのか
遺伝子に刻み込まれた何か、なのか
失う人が弱いとか悪いとかいうわけではなく
失わない人が強いとか正しいとかいうわけでもない
失いたくないと努力してどうにかなるものでもなく
失った記憶は二度と取り戻せないし
失ったという事実すら曖昧な記憶の中に埋もれてしまう
何をどこまで失えば、人は人でいられなくなるのか
何を失わずにいれば、人は人として生きられるのか
「密やかな結晶」とは
決して他者に侵されることのない「人としての核」みたいなものかもしれない
「島」の住人たちは
結晶を失ったことすら気づかずに消滅してしまったのだろうか
その結晶を失わずに生きていくことが出来るのは
もしかしたら、ものすごく幸運なことなのかもしれない
道端のセイヨウアサガオ