舞台の大道具

 

ブログを書き始めて6年あまり。

なんで書いているんだろう?

と思いながら6年あまり。

書いたり、書かなかったり。

日記なんだからとりとめもないことを

脈絡もなく好きなように書けばいいさ

と思いながら6年あまり。

それならなんで投稿するんだろう。

日記帳にかけばいいのにさ。

と思いながら6年あまり。

カメさんとなおちゃんの生きている証のためかなと思い始めているこのごろは。

 

人里離れた森の中、誰に届くのか届かないのかわからないまま

ようやっと立っているというようなあばら家から発信している。

 

実際は家々が立ち並んでいる街中で書いているんだけれど。

家々はぎゅうぎゅうずめで立っていて

それはもう暑苦しいぐらいのもので

それでも家々はお互いに

薄い目に見えないほどの膜で覆われて

触れようとしたら

その時はじめてわかるというようなガードを持ちながら孤立して立っている。

そう明らかに孤立して建っている。

家々はは寝るための場所であって

ここで生きてはいない。

何事もなく静かに身を潜めているんだ私たちは。

 

人類の未来を描いた映画で希望に満ちた物はあまり見たことがない。

本当に

未来は核戦争が起きて建物の残骸で埋め尽くされ、

放射能で覆われて、人の住むようなところじゃなくなるんだろうか?

今の社会の様子じゃ、ありえなくもない。

金と権力があれば幸せになれる、(ほんとうかな?)

という価値観を持つ社会のままじゃ、ありえなくもない。

何もしなければの話だけど。

 

世界の大金持ち、権力者たち、しあわせかい?

有り余るほどの力と金を身にまとい、

失うことのストレスをヨガと瞑想でごまかして

楽しみといえば、ちきゅうをロケットでまわるくらい。

 

そんな権力や金など奪い取ってきた人々に戻せばもっと幸せになれると思う。

毎日、毎日

代わり映えしないように見える日常。

実際は

毎日、毎日

胸がワクワクするような非日常のなかで生きている。

昨日、吹いていた北風が今日は花の香りを運んでくる。南風と一緒に。

あれほどまでに凍え切った大地があちらこちらで割れて土と草のにおいが。

昨日まで出会った人には今日は会えない。

ああ、そうか、仕事に行く時間が1分はやいから。

代り映えのしないように見える日常は非日常の連続。

ただ、それを感じれる感覚が起きているか、ねむっているか?

疲れとストレスの中で私たちは大切なものを失ってはいないか?

 

大金持ちや権力者の真似をする必要はない。

腹ペコで食う握り飯。

親しい仲間たちとわいわいがやがや。

強制ではなく自分の考えで仕事をする。

真理を追求する学問の喜び。

何かに強制されて生きるのでなければ幸せは目の前にある。

力やお金が有り余っても仕方がないと思う。

 

書くのに疲れたから、終わり。