皆様、おはようございます。

 

年初から、震災、飛行機事故、大火。

あれよあれよといろんなことが続き、濃密すぎて、

頭が追いつかず、気持ちがざわざわしています。

 

私自身は昨年ら、変な人にばかり「当たってしまって」、、、

今が災難の時ですw

 

本当に災難。

ほんっとに「SAINAN」!!

私の人生の中で、キャスティングされてくるな!という人が、

今、私を一生懸命攻撃しています。

で、依存されまくって困ってますw

 

いろんな人に言われました。

新年早々、濃ゆいねぇ〜。鍛えられるねぇ〜。と。

望んでねぇし!!

仕事していたほうが、まだ気が楽だし!!

「恨み」で、私を縛るな!!

 

一年の始まりがこれなんて。。。

もうちょっとマイルドに始まらんもんですかね?笑

 

ぶっちゃけ、マラソンのトレーニングにも集中できません。

3月の新潟ハーフマラソンに向けて、調整したいんですけどね。

なかなかうまく回りません。

 

私は、せめて人のお手本になれるような人生を生きよう。

今年も看護職として、一市民ランナーとして、一アイドルヲタクとして。

そして、一信仰家として。

それだけ新年の誓いとして思いました。

 

 

 

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「死後、人はどうなるのか」

 

では、肝心なところとして、要は「どういうふうにすればいいのか」

「どういうふうに考えればいいのか」ということになりますけれども、

大きくポイントを言えば、

一番目には、「原則、信仰心なき者は地獄に堕ちる」ということです。

この信仰心というのは、明確に「◯◯宗の△△派に属している」という

ところまで厳密に言っているものではありませんけれども、

信仰心のある者とは、言葉に出して明確に言えるかどうかは別として、

例えば、「神仏の存在、あるいは高級霊、光の天使、菩薩、

こういう方々がいるのではないか」と本心で思っているようなタイプの人です。

それから、「もしかしたら、悪いことをすれば地獄に堕ちるかもしれない。

いいことをすることが、人間としてはふさわしい生き方であって、

そういう人は、来世、幸福に生きるのが望ましい」という考え方を持っている人です。

 

そのあと、人間として生きていた時代を振り返ってみて、その思いと行いを

点検させられるということです。

(中略)

こういう「人知られずに、やっていた」と思っているようなものは

全部明らかにされます。

「照魔(しょうま)の鏡」、あるいは、そうした生前の映像のようなものを見せられ、

反省ポイントを指摘されて、自分でやってきたこと等を反省させられます。

ただ、一方的な断罪をするわけではなく、「閻魔の法廷」におきましては、

その悪行と同時に善行もチェックされますので、それらを比べて、

差し引きどうなるかという判定になります。

(中略)

ただ、「知られずにやったから、いいだろう」と思っているような人、

(中略)

こういう者を絶対に逃さないのが「閻魔の裁き」です。

地上では証拠がなければ裁けませんけれども、この閻魔の法廷においては、

証拠は霊的に全部出てきます。

生きている時に人間としてやったこと、思ったこと等は全部記録されているのです。

 

(経典「地獄の法」  第2章「地獄の法」より抜粋)

 

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