最近東南アジアの現場での賃金体系に触れていると、
経済成長と賃金体系には密接な関係にあることに気づく。
ひとつ、気づいたことは、「時間給制度の始まりは、
経済衰退の前兆である。」という事だ。
日本も今からほんの30年前は、時間給で人を雇うということはなく、全てが月給制であった。
事業者は、丁稚奉公という名のもとに労働力の獲得の変わりに、
生活の全ての面倒を見るという形で、一生懸命働く労働力を手に入れた。
そこには、単なる雇用関係を超えた人を雇うという事に対する愛情と責任があったように思う。
やがて、賃金が高くなるにつれ、労働者は短い時間で高い給与を求め、
事業者は、必要な時だけ人を求めるという体質が広がる。
お互いにおいしいとこ取りの雇用体系である。
そこには、お互いの利害しかなく、愛情も責任も存在しない。
それが時間給制度の始まりである。
労働局は、そんな仕組みに「パートタイマーでも雇用保険を」などと
事業者に責任を押し付けようと躍起だが、どうも本末転倒な話で、
そんな事をいうてるからますます経済活動における経費は拡大し、経済は縮小する。
ちょうど我々の飲食業界が時間給というものを導入しだした先駆者ではないだろうか?
食事時という繁忙時が一時に集中するためその時間帯に多くの労働力を必要とするためだ。
働き手にとって、事業者にとって一見とても便利な仕組みだが、
これが大きく見ると経済衰退の始まりであるような気がする。
簡単言うと労働単価が上がりすぎるとやがて経済全体は衰退に向かうという事なのだ。
東南アジアでは、時間給というものは、まだない。
時間給換算できるほど賃金が高くないのである。
月給製で1年契約、住居、食事つきなどが一般的で、
ちょうど日本の昔の丁稚奉公的な雇用体系である。
この体系がまかり通るうちは、まだまだ経済成長の可能性が大きく、
時間給なるものが出てくるとやがて衰退に向かう前兆であると、
考える事はできないだろうか?
今更、日本に丁稚奉公制をも度す事は無理だから、企業はやむ得ず海外に出る。
そして、安い賃金の労働力を得て、得した気分になってるが、
貴重な技術を流出している。
この流れ、もう止めることはできないだろうね。
経済成長と賃金体系には密接な関係にあることに気づく。
ひとつ、気づいたことは、「時間給制度の始まりは、
経済衰退の前兆である。」という事だ。
日本も今からほんの30年前は、時間給で人を雇うということはなく、全てが月給制であった。
事業者は、丁稚奉公という名のもとに労働力の獲得の変わりに、
生活の全ての面倒を見るという形で、一生懸命働く労働力を手に入れた。
そこには、単なる雇用関係を超えた人を雇うという事に対する愛情と責任があったように思う。
やがて、賃金が高くなるにつれ、労働者は短い時間で高い給与を求め、
事業者は、必要な時だけ人を求めるという体質が広がる。
お互いにおいしいとこ取りの雇用体系である。
そこには、お互いの利害しかなく、愛情も責任も存在しない。
それが時間給制度の始まりである。
労働局は、そんな仕組みに「パートタイマーでも雇用保険を」などと
事業者に責任を押し付けようと躍起だが、どうも本末転倒な話で、
そんな事をいうてるからますます経済活動における経費は拡大し、経済は縮小する。
ちょうど我々の飲食業界が時間給というものを導入しだした先駆者ではないだろうか?
食事時という繁忙時が一時に集中するためその時間帯に多くの労働力を必要とするためだ。
働き手にとって、事業者にとって一見とても便利な仕組みだが、
これが大きく見ると経済衰退の始まりであるような気がする。
簡単言うと労働単価が上がりすぎるとやがて経済全体は衰退に向かうという事なのだ。
東南アジアでは、時間給というものは、まだない。
時間給換算できるほど賃金が高くないのである。
月給製で1年契約、住居、食事つきなどが一般的で、
ちょうど日本の昔の丁稚奉公的な雇用体系である。
この体系がまかり通るうちは、まだまだ経済成長の可能性が大きく、
時間給なるものが出てくるとやがて衰退に向かう前兆であると、
考える事はできないだろうか?
今更、日本に丁稚奉公制をも度す事は無理だから、企業はやむ得ず海外に出る。
そして、安い賃金の労働力を得て、得した気分になってるが、
貴重な技術を流出している。
この流れ、もう止めることはできないだろうね。