待たせる
人の時間を奪う行為は”小さな殺人”だと言える。待たされた人間がその時間に何も意義を見出すことが出来なければ、存在していたはずの人生の一部が失われたと捉えることができるからである。こうしてみれば、人が怒りを覚えるのももっともな話かもしれない。こうしたことから少なくとも日本では一般的に時間を守るよう教育されているのだろうか。しかし人と関われば必然的にこの”小さな殺人”は絶えず行われることであり、そうでなくても時間が進むにつれて、私たちが所有する時間は周囲の自分でないものに吸われる。多くの人が死を恐れているはずだが、死に向かっている今を恐怖しないのは、矛盾であると感じた。この矛盾の中に今多くの人が求めているものがあるのではないか。

6月28日 人を待たせて怒られた。