虐待により命を落とした、いや殺された幼い子たちの名に【愛】という言葉があったことを
東京新聞朝刊のコラム『筆洗』に教えてもらいました。(2019年9月4日朝刊)
【愛】という漢字は後ろを振り返って、たたずむ人の形に心を加えてできているそうだ(白川静さんの『常用字解』)。立ち去ろうとしても残した人のことが気になって立ち去りがたい。そんな気持ちの形がもともとの【愛】だという。
当時五歳の船戸結愛(ゆあ)ちゃん。
当時十歳の栗原心愛(みあ)さん。
大塚璃愛来(りあら)ちゃん。四歳。
幼子が、頼るべき他者からの【愛】を失ったとき、絶望以外の何が残るでしょう。
世界を失ってしまうような恐怖だけしか残らないのではないでしょうか。
詩人の吉野弘さんの詩に『奈々子に』と言う詩があります。
我が子の名に【愛】という言葉を入れたのはこの詩のような親としての願いがあったからなのではないでしょうか。
【愛】を我が子にあげたい、という願いが。
そして、周囲の大人も、【愛】を失っているかもしれない、と
なぜ気づいてやれなかったのだろうか。
赤い林檎の頬をして
眠っている 奈々子
お前のお母さんの頬の赤さは
そっくり
奈々子の頬にいってしまって
ひところのお母さんの
つややかな頬は少し青ざめた
お父さんにもちょっと
酸っぱい思いがふえた
唐突だが
奈々子
お父さんは お前に
多くを期待しないだろう
ひとが
ほかからの期待に応えようとして
どんなに
自分を駄目にしてしまうか
お父さんは
はっきり
知ってしまったから
お父さんが
お前にあげたいものは
健康と
自分を愛する心だ
ひとが
ひとでなくなるのは
自分を愛することをやめるときだ
自分を愛することをやめるとき
ひとは
他人を愛することをやめ
世界を見失ってしまう
自分があるとき
他人があり
世界がある
お父さんにも
お母さんにも
酸っぱい苦労が増えた
苦労は
今は
お前にあげられない
お前にあげたいものは
香りのよい健康と
かちとるにむづかしく
はぐくむにむづかしい
自分を愛する心だ