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人は心の中に一本の木を持っている
又三郎にとって、一本の木とは何だったろう。
それは、故郷の家の庭の隅に植えられていた一本の柿の木かもしれない。
秋になれば、たくさんの実がなり、幼い日の空腹を満たしてくれた。
時には、苦い実があったけれど・・・。
オレンジ色の葉の紅葉はきれいだった。
所々に、虫食いの穴があったけれど・・・
その樹に登り、枝にぶら下がり、枝が折れ、落ち、腕を骨折したこともあった。(柿の木の枝は折れやすい。)
その柿の木は、家族の諍いや、笑いや、涙を
じっと庭の隅から見守っていた。
そんな気がする。
今はもうないけれど。・・・・・
植物園には、大きな木が何本もある。
わたしは、フランスのパリにある植物園で働く研究者だ。
さえらは、毎日のように植物園にやってくる少女。
毎日のように園で働く人たちに叱られる。
ある日、1本の黄色い花をぬいてしまった。
おじいちゃんの誕生日プレゼントにしたいと思った、というのだ。
その花を、ひまわりだと思っていた。
わたしは、間違いを指摘した。
その日から、わたしは、さえらに、植物園のさまざまな植物たちの物語を語って聞かせた。
そして、本物のヒマワリの種をあげた。
さえらは、大事に育てた。
大切に、大切に育て、花が咲く喜びを知った。
さえらは、毎日、朝早くからやってきた。雨の日もやってきた。
時には、わたしたちから聞いた話を、来園者に説明し、
好きな花をじっと眺め絵を描いた。
やがて、さえらは、日本に帰ることになった。
わたしは、言った。
きみは、じょうずにひまわりを育てただろう。
ひまわりは、きみの心の中にしっかりと根をおろしたんだよ。
ごらん、このプラタナス、250年もここで根をはってきた。
光りが降りそそぐ、風が梢をおよぐ。春はめぶき、夏には濃い影をおとす。
森のように大きな木。星降る夜も、雨に日も。この木を支えて根があったんだ。250年もこうして、
大きな木よ。じっと記憶する木よ。
おまえが見てきたものに、わたしは耳をすます。
おまえから生まれたことばが、わたしの物語になる。
来園者が帰ったあと、あの木の下にさえらの手紙とヒマワリの絵があった。
秋がやってきて、そして、冬になった。
木々が葉を落とした、花の咲いていないはずの植物園に、
春のような、光景が生まれた。
さえらが、描いたたくさんの絵を
冬の植物園に、わたしは飾った。
来年は、 さえらが、育てたヒマワリの種を子供たちに分けてあげよう。
これもまた、「あの路」のように、大人のための物語だ。
「誰にも、あなたにとってのおおきな木があるはずです。探してみてください。思い出の中を、」
「あなたは、この先生のように、おおきな心で人と接していますか。?」
そう問われている気がする。
もしかして、さえらにとっての「大きな木」とは種から大切に育てた、ヒマワリなのかもしれない。
そして、さえら自身が、大きな木のような人に成長したのかもしれない。
束の間でも、優しく、暖かい心の人にになれたらいいなあ、と思う。
さえらのひまわりの種のように、その心が広がるといい・・・・。
(あらすじを書いてしまっていますが、
一番大事なのは、絵です。
この絵本も、1ページ、1ページ額に入れ
飾って見たいと思います。
もし、こころのどこかに、ひかれるものがあったら、ぜひ、実物を買ってください。そのための紹介です。)
《大きな木のような人 作 いせひでこ 講談社2009》
絵本ナビでは、中身を少し見ることができます。