画像出典 岩崎書店HPより

 

 

ホームより転落したる盲人の

犬を離せる刹那を思う 

 

                          仙台市 佐藤 純 (34回朝日歌壇賞 より)

 

  自らは死するかもしれないが、盲導犬だけは生かしてやりたいという一瞬の判断の悲しみを詠んだ短歌だろう。しかし、わたしは、残された犬の悲しみも想像する。

 

 「まいにち いっしょに いろいろなことをして たのしかったね。ありがとう、ぼくの いちばんの ともだち」

岩崎書店の絵本は、帯裏にある言葉でひきつけられる。(たぶん原作にはないと思う。)

 

おとうさんとハリーのところにこいぬがやってきた。こいぬは バッタみたいにジャンプしていたので「ジャンピー」と呼ばれた。

 

ハリーは毎日ジャンピーと遊んだ。宿題も一緒にやった。夜はお父さんの目をぬすんで一緒に寝た。

 

ある日、ハリーが学校から帰ってくると、いつもなら「お帰り!」とうれしそうに吠えて、ぺろぺろ顔をなめてくれるジャンピーの姿がない。

 

「ジャンピーは どこ?」

お父さんは、涙をぬぐって

「いいかいハリー。じこがあった。ジャンピーはしんじゃったんだよ。」と言った。

 

「うそだ!」

 

次の朝、お父さんが「きょうはがっこうを やすんでもいいよ」といってくれた。

ハリーは首を振りいつものように学校に出かけた。でも誰にもジャンピーのことは言わなかった。

仲のいい友達にも。

 

あの晩から自分のベッドで寝むれずに、ハリーはソファーで寝ていた。

ふと、よふけに目を覚ますと、庭でぴょんぴょん跳ねる子犬がいる。

 

「ジャンピーだ。」

 

「ジャンピー かえっててきたんだね。」

ハリーに抱きしめられたジャンピーの体は、しっかりとして、あたたかだった。

月明かりの庭で遊んだ。

 

次の晩もジャンピーはちゃんとやってきた。

ただ、姿は昨日よりぼんやりとしていて、体もあまりあたたかくない。

それでもふたりは楽しく遊んだ。

 

信じてくれなかったらどうしようと、迷いながらお父さんに夜のことを話した。

お父さんは「だったら、ずっとソファーでねるといいよ。」と言ってくれた。

 

その晩もハリーは待っていた。でも、ジャンピーはあらわれない。

 

真夜中を過ぎたころ、ハリーは裏口のドアを開けてみた。

 

「まどのしたで、ジャンピーがうずくまっていました。

そのすがたは ふゆのきりのようにおぼろげで、そのからだはふゆのようにつめたくて」

 

ハリーは弱ったジャンピーを抱き上げ自分のベッドへ連れて行った。

 

「よこになってからだをよせあいました。おでことおでこをくっつけました。

 

ハリーはそっといいました。

 

 『さよなら 、ジャンピー』

 

 喪失の悲しみは、たとえ、覚悟ができる時間が与えられたとしても深い。

まして、「さよなら」も言えなかったとしたら・・・・

 

さよならを言いたかった。

さよならを言えるまでの時間が再び与えられるなら、

信じられないような心理的に長い時間が必要だろうが、

悲しみはいつか慈しみに代わっていくかもしれない。

 

犬と少年のさよならの物語だが、人と人のさよならの物語でもある。