イスラム国と日本のジャーナリズムの問題 | 館山日記

館山日記

千葉県館山市で写真や平面作品を作っている風間健介のブログです。

このところラジオを聞いていない。

その理由はイスラム国の問題だ。

(結婚出来ない人間としては、

ISを愛するとか、愛知ると聞かされるのも嫌だ。)


ラジオもメディアなので仕方ないが、イスラム国の問題と

日本人の人質問題をごっちゃにしてる気がしている。

個人攻撃になるが、

なぜ心優しいジャーナリストが、戦争事業家を助けに行ったのか。


それ以前に「多くの人達に知ってもらいたい」と言うが、

もう紙メディアはほとんどない。

私は使いこなせないが現在はネットの時代だと思うし、

無人飛行機があるので、戦場カメラマン等は要らないと思う。

(ボディーガードに守られて撮らせてもらった映像は、

シェルパに登らせてもらう登山と同じだと思う。)


友人は人間の目も必要と言ったが、

戦場に行く人は公正中立ではない気もする。

数年前にジャーナリズム雑誌に「夕張」が載ったが、

他の写真の暗さに安保時代を感じた。

テーマは確かに重いのだが、

それ以上に焼きこみでトーンを落としていた。

これは撮影者による印象操作ではないのか。


私は見たいとは思わない。

それ以前に戦争や紛争は利害の為であることが多くの人達に

知られているので戦争等の情報は

そんなに重要でも需要すらもないと思う。


私はこの数年撮ることを辞めて創ることをしているので、

冷たい見方かもしれない。

しかし、昔からだったと思う。

報道カメラマンの死が美化され過ぎだと思ってた。


正直言うと若い頃に報道カメラマンに憧れたことがある。

遺体や悲惨な写真は普通の人より見ている。

しかし、戦争の本質を知ると資料にもならないと思った。


そして私は、ホルマリン漬けにされた乳児の写真を見た。

アメリカの枯葉剤によって生まれた無頭症や目や鼻の無い乳児。

写真を撮る意味や必然性が大きく変わった。

というか、これ以上のものは撮れないと思った。