以前の記事で、『本気と浮気 』という話を書いたことがあります。
そもそも、婚外恋愛における「本気」と「浮気」とは、どういう状態を言うのでしょうか?
相手を真剣に「愛している」と思いつめているのが「本気」で、たまに会って楽しく過ごせればいい関係が「浮気」なのでしょうか。
「結婚しよう」などと、将来の約束を交わすと「本気」で、あっという間に冷めてしまう気持ちが「浮気」と言うのでしょうか。
それとも、自分で「この気持ちは本気だ」と思えば「本気」なのだし、配偶者以外の誰かと親しくなれば、それはすべて「浮気」なのでしょうか。
『不倫の本質 』という回で書いたように、「不倫」の定義は、法的にも明確です。
しかし、何が「本気」で何が「浮気」なのかは、あくまで、人それぞれの考え方や感じ方で変わってくるもので、一概には言えないものなのかもしれません。
二人で食事に行くだけの関係でも、「あなたへの気持ちは本気だ」と言えば、本気なのかもしれないし、「一緒に食事をしただけだ」と言えば、浮気でさえないのかもしれません。
相手への気持ちが本気かどうかを、態度ではなく、心で推し量るのならば、要は、気持ちや言葉の使い方次第です。
不倫の愛でも本気だ、と言う人はたくさんいます。
今までにないほどの情熱で強く「愛している」と思っているから、「本気」だということなのでしょう。
しかし、不倫で激しく感情を揺さぶられるのは、『ロミオとジュリエット効果 』が影響していることは否めません。
秘密の関係であること、会いたくても会えないこと、いつか訪れるかもしれない別れの予感・・・・・そういった数々の障害が、感情を盛り上げる装置となります。
障害があるということは、それを打ち破る必要があるということであり、いつも不安を抱えているので、その反動として、相手を欲する気持ちを強くします。
抑圧と開放、不安と快感、背徳と欲望、渇望と充足、嫉妬と優越、孤独と依存・・・・・・。
こういった強い刺激に常に晒されて、情緒不安定になることを、愛情の強さと勘違いしている人もいるように見えます。
いつも恋人のことで頭がいっぱいで、初恋のときのように胸を痛ませ、泣いたり笑ったり悩んだり喧嘩したり、それでも離れられずに抱き合うことを「本気」と呼んでみても、冷静に考えてみると、不倫という状況に酔っているだけなのです。
歌手になりたいと「本気」で思っている若者がいたとして、その想いを誰より強く抱いていたとしても、家でギターを弾いているだけでは、歌手になれるわけではありません。
不倫の「本気」には、これに似た、実態の無さを感じてしまうのです。
自分で「この気持ちは本気だ」と思えばそうなのかもしれないし、浮気も本気も気持ちの問題なら、その想いを誰にも否定できないのかもしれませんが、ただ「本気だ」と、感情の強さを根拠にしても、現実的な壁にぶつかった途端に、もろくも崩れ去り、問題を打ち破れない「本気」など、「本気」と呼んでいいのでしょうか。
たとえば、不倫関係が家族にバレてしまった時の事を考えてみてください。
家族を傷つけてまで、不倫相手を守れる人は、どれくらいいるでしょう。
本気で愛しているなら、“ほとぼりが冷めるまで連絡しない”などという態度は取らないはずだ、と思ってしまうのは、間違いでしょうか。
本気で愛しているなら、愛する人が、自分以外の誰かに縛られて、苦しんでいるのは耐えられないはずです。
自分のせいで苦しんでいるのなら、なおさらです。
それとも、不倫という関係性を楽しみながら長く続けることが、不倫における「本気」なのでしょうか。
「本気」で不倫に没頭していたとしても、それは、「本気で愛している」のではなく、「本気で愛していると思い込んでいる」と言ったほうが正しいのかもしれません。