春は名のみの 風の寒さや
谷の鶯 歌は思えど
時にあらずと 声も立てず
時にあらずと 声も立てず



北アルプスのふもと、安曇野の春は、たしかに遅い。

夏でも北アルプス連峰から、雪のシルエットがほほえみかけるパノラマ。

春の賛歌とうたわれる「早春賦」がうぶ声を上げたのが、風光明媚な

この松本平でした。

北アルプスの頂から、雪解けの伏流水が豊かに湧き出てくる安曇野の

風土は命が湧き出てくるようで、私の好きな春の原風景です。

私の叔父はママさんコーラスを率いて、早春賦の歌碑の前で歌声を響か

せるのを、この上もない喜びとしています。川とわさび園に囲まれた

スポットに刻まれた歌碑。このアルプスの空間に、春の歌声を響かせる

とき、そして安曇野の大地に賛歌を奉納するときが、春の始まりである

と、しみじみと叔父は語り継ぎます。

少し南に下ると、皆様にもおなじみの大王わさび園が広がります。


映画の撮影現場にも、たびたび登場



さらに、旅行者でにぎわうのが碌山美術館です。

荻原守衛(碌山)や高村光太郎の生き生きとした作品が今も輝きを

放ちつづけて、美術愛好家を日本中から引き寄せています。

信州の教育に影響を与えたといわれる高名な思想家、井口喜源治も

安曇野の中心に位置する穂高で活躍しました。その弟子である相馬

愛蔵は、なんと有名なパン屋である新宿中村屋の創業者になってい

るではありませんか。



相馬愛蔵の奥様がモデルとされる作品


豊かな水量が生み出す風土。

美術館、わさび園、そして思想家資料館。この3点の感性あふれ

る三角形のただ中に歌碑が置かれているのも、感慨深いものです。

さて、穂高(駅)をさらに北に上がると「安曇野しゃくなげの湯」

(町営温泉)で、旅の疲れを癒すことができます。木漏れ日に囲

まれたすてきな別荘地に、湯の香りを漂わせています。

さらに、上高地への道を開いたのも、実はこの安曇野の魅力で

した。梓川に沿った国道158号(今でも頻繫に崩壊工事)は当時

ありませんでしたので、穂高から北上して分け入って発見したの

が上高地でした。しかも山のないイギリスの出身であるアルピニ

ス、ウェストン宣教師が見い出し、世界に発信したのでした。

春の賛歌といわれる「早春賦」は、このような豊かな土壌から

眺めなおすと、さらに深いメロディーの響きになるのではない

でしょうか。


春がきたと言われても、それは名ばかりで、
まだ冷たい風がふいているではありませんか
鶯が谷間で、春の歌声を響かせたいと待ち望んでいるのに
まだ時節ではないと
まだ、その時ではないと、、、♪