何なんだこの悲しさは。
どちらかが確実に嘘を付いている。
どちらかが確実に胸を張って自信を持って嘘を付いている。
テレビの前で絶対やっていないと言い切ったあの元野球選手のように。
堂々と嘘を付いている。
この言い様のない悲しさは何なのか。
この悲しみは根源的な悲しさなのではないか。
この世の中、現世、浮世、地球。
この目の前に見えているMacBook。 僕の両手。
これらが本物だという証明はどこにあるのか。
ここにこれらが存在しているという証明は本当に出来るのか。
例えば。
僕が今目を瞑ってしまったら 目の前のMacBookは、あっても無くなっても同じ事。
例えば、
ゴムひもで二の腕をきつく縛ってみたら 15分もしないうちに僕の手の存在感は無くなっていく。
存在なんてそんなもの。
誰かの言葉や、何かの自然現象が、「これは真実なんだよ。」と教えてくれているから
この世の中は存在している「ことになっている」にすぎない。
お金だってそう。
みんながこの紙に「価値がある」と言うお約束を共有しているから存在が成り立っている。
命だってそう。
今僕らがこの世じゃなくて あの世を生きているのだと誰かが言い出した時、
それを完全に否定することは果たして出来るのだろうか?
VRゴーグルを使った事がある人なら分かると思うが
現実世界なんて、五感さえ支配してしまえば幾らでも作れてしまう。
だって結局のところこの世界を感じているのは「主観」でしかない。
この世界はマトリックスかもしれないし、それを完全に否定する事は誰にもできない。
嘘。
なぜ嘘を付く事がいけないことなのか。
それはあからさまにこの世の存在の、その存在自体の脆弱さを露呈させてしまうからだ。
嘘を付くと
そこからパラレルな世界が始まってしまうのだ。 そのパラレルな世界からまた枝分かれして無限の小宇宙が生まれてしまう。
そして
自分の生きている筈のこの世界が
本当の世界ではないかもしれないという疑問が生まれてしまうのだ。
自分が
実は自分ではないのではないかという疑問が生まれてしまうのだ。
実は自分は存在さえしていないのではないかという疑問
それは根源的な悲しみだ。