5月末に兄が交通事故にあい、入院している。
仕事中、バイクに乗っていて車に轢かれた。
交差点で、兄は直進、相手の車は兄の存在を確認せずに右折。
相手の車のブレーキ痕はなかったという。
九死に一生を得たというくらいの事故だったが、
普段トレーニングをしている兄は、幸いにも足の怪我だけで済んだ。
・・・とはいえ、2度目の手術を控え、いまだ入院中。
リハビリも含めたら、退院するのにあと2ヶ月近くかかるだろう。
自宅に帰れるころには、季節は二つ変わり、秋がくる。
事故にあってから2ヶ月近く、本人は痛みと戦い、
動けないストレスと戦っている。
家族ももちろん大変な思いをしている。
ほぼ毎日の病院通いや、主不在の心細さ、子供たちも
パパの帰ってこない寂しさや、遊んでもらえないストレスを感じているようだ。
事故の当日、救急車で運ばれた病院へ、相手の上司がフルーツかごを持って
見舞いに来た。
・・・以上。
本人はおろか、その親も顔をみせない。
それどころか、電話の一本も来ない。
「当人同士が顔を合わせてしまうと、感情がむき出しになって
話し合いにならないから」・・・だそうな。
過ぎた事や見えない相手にどうこういっても仕方ない。
それでも、人として、どんな気持ちで毎日過ごしているのだろう?
と思ってしまう。
申し訳ない気持ちが少しでもあるのだろうか?
それとも、早く忘れたい過去の出来事として、事故のことは考えずに
過ごしているのだろうか?
「ごめんなさい」
その一言が聞けたら、本人や家族のストレスがどれだけ軽減するだろう。
申し訳ないと思ってくれていることがわかれば
「そんなに気にしないで大丈夫ですよ!」とさえ言えたかもしれない。
「人は触れ合って育つ」
ある賃貸住宅のキャッチフレーズ。
この言葉がキャッチフレーズとして選ばれたのは、
コミュニケーションが希薄になったこの時代だからこそだろう。
相手の顔を見ずに、自分の想いを伝えずに、
相手の生活が180度変わったしまった出来事が過去になる。
自分は何も変わらない生活を送る。
それが当たり前…そんなのおかしい、と私は思う。
社会の仕組みがどんなに変わろうと、人間は人間としての心を
しっかり育てていって欲しい。
せめて「ありがとう」と「ごめんなさい」だけでも、
相手の目をみて、心から伝えられる人間でありたい。





なるものまであった。
が置いてあったっけ。
」

