たとえば、
小さい頃からあまり怒られた経験がなくて、
「怒り」に接する機会が少なかったり。
はたまた、
よく怒る人達が側にいて、
その人達がぶつかり合うのを
ずっと見てたりすると。
「怒りはよくないもの」
だと思うようになってたりする。
(わたしもそう)
そうなると、
「怒り」を感じたとしても、
感じていないふりをする。
見ないふりをする。
「落ち着け、わたし。状況を整理しよう」
「わたしが、この人たちの架け橋にならなければ!」
良くないものは
抑えつけなければならないと、
無意識に、フタをしてしまう。
そして、
自分の声や感覚が、わかりづらくなる。
わたしは、
「怒り」に触れたことがあまりなかったから、
それをどう処理していいのか、
未だにわからないことが多い。
(だから、勝手に拗ねたり、
不機嫌を撒き散らしてたりする。
←抑えてるつもりなのに、出てるww
周囲からすると、はた迷惑である。)
「怒り」を少しずつ理解するようになって、
一つだけ思うのは、
たとえ、怒ったとしても、
それを必ずしも、
誰かにぶつける必要はないということ。
「怒り」も、
他の感情と同じように、
まずは、自分で感じるもの。
そして、
それを誰かにぶつけるかどうかは、
自分で決めたらいい。
そう考えるようになったら、
「怒り」に対するハードルが下がって、
「怒りを感じる自分」も
許せるようになってきた。
「怒り」は、
何か嫌なことが起きた時に、
まず自分を守ってくれる防衛反応であることが多いから。
大切にしてあげたいな、
なんて思う、夏休み。
世界は今日も優しい。
さぁ、どんな一日を過ごそうか。