天皇の地位は皇室典範により定められていることを憲法が定めている。
天皇はその地位が別途明記される立場にあるということで、いわゆる日本国民ではない。
従って、天皇は憲法の明記する日本国民の権利を享受しない。
というか、できない。
天皇が転職や引っ越しができますか?などだ。
ここまでは、国民が皆、例を取れば分かると思う。
同様に皇族もまた、皇位を規定する皇室典範によりその地位を定義されている。
かなり、さらっと「皇位は」の一言で濟ませられているのは気になるところだ。もっと丁寧に書いておきたいところだが、わざと軽視したGHQの下書きに気付いた当時の日本人が、これは今後の欧米からのツッコミどころをあえて明記しないですんだ、と逆に利用したとみるべきであろう。憲法改正の際にはしっかりとこの辺りも明記して頂きたい。
皇族もまた、国民としてご存在しているわけではない。
だからこそ、例をとれば、かれらには銀行口座も開けないといった、国民として当たり前のことにも制限があることを、その民間人と共に働くという中に置いて不便を感じて吐露したりすることがある。
皇族は国民と一緒に学んだり働いたりすることもあり、皇族としての十分な心理的教育を欠いてゐる戦後では、その地位の在り方が、ご本人の感じ方次第では容易に民間人側にたてない事が、ご不満となることが十分ありうる。
天皇は国民の統合の象徴としてのお立場から、尊憲の態度を持たれていらっしゃった。
尊重されてはいらっしゃったが、権利を有しているわけではない。
ところが。
小室圭さんの問題で、ついに落としどころとして秋篠宮殿下は、眞子様とのご結婚は、憲法が両性の合意があれば結婚できると謳っているので反対はできない、というロジックを採用されたのだ。
伊吹文明先生は皇族は国民ではないとしてこのロジックに明確に反対されている。
ノブレスオブリージュということだ。
眞子様がご結婚後は国民になっていることは明白だが、そのご結婚前に、国民の権利を引き合いにされた事は、逆に天皇に国民としての権利がないことを、疑問という形で提示し、ひいては皇室の弱体化を狙う勢力に利用されるのではないかと心配している。
GHQの工作は宮家削減、宮内省の廃止、官僚の左傾化、など複数の要因を孕みながら年月を経て、確実に皇族自身の意識を変えてしまったのは証明された。
「開かれた皇室」プロパガンダは、連日の皇族スキャンダル記事を許し、彼ら皇族にも国民の権利を求めるという国民側からの無知の善意を借りながら、その「民間人化」を求める動きに容易に変容し得る。
憲法改正においては、皇位継承を紡ぐための宮家の問題を筆頭に、ご皇族を取り巻く環境の在り方にも十分な配慮が可能な裁量を与えるものを組み込んで頂けたらと思っている。