北京語の中級コースを語学学校で終える段階になった頃、いよいよ香港で過ごす残り時間と今後を考えないといけない段階になってきている事はわかっていた。


日本に留学した経験があった香港人夫は、私の財政的な苦しさと海外で暮らす孤独さ、不便さを理解してくれていつも協力してくれた。

一緒に暮らすからと言って家賃を全額払ってくれていた彼には、精神的にもすごく助けられていた。


なにかバイトが出来れば、お金の面でも彼に依存しすぎないで済むのではないかと、友人に紹介してもらった日本語学校でアルバイトをする事になった。

本当は、就労ビザを持たない外国人の労働は違法で、強制退去か何かになるのかも知れない。


香港で生きてゆくのに、コネクションは最重要だと何かの本で読んだ事があったけど、今回も友人のコネに助けられた。友人とは大阪で知り合い、彼ももう香港に戻ってきていたから日本語が上手。

香港で通っていた日本語学校で日本人教師を探しているという。


日本語教師の資格と取っておけばよかったと悔やみつつも、面接に行った。

「あなたは日本語教師の資格は無いから、文法などは香港人教師が教えるし、関西妻さんは、発音とか日本の文化なんかを教えてくれればよいよ。」


授業は、夜がメインで、土日は昼間~夕方だった。

自分の語学学校に通いながら、バイトできたので、好都合。おまけに時給も破格だった。(170HKドル≠2500円くらい)


数日後、早速授業。

私の受け持ったクラスは20歳前後の若い子ばっかり。

日本語を学ぶと言う事は生活には必要ないけど、趣味で学びたい人が多い。

大學には通わず、就職している子ばかりだった。動物園かと思う程元気。


授業開始の20時になっても誰も来ない。

やっと一人、二人・・と揃ったかと思えば、皆何か持ってきてる。すごい匂い!


それは・・・・弁当。正確には、外で買ってきたモノ。

自分の席についた途端、弁当を広げ食べ始めた。

食べ物を口に入れながら、大声で話し笑うから、行儀が悪いったら・・・・・爆弾

それに毎回、中華の匂いが狭い教室に充満していた。


私は呆れてモノも言えず、皆が食べ終わる前に「次回からは食べてから来ること!遅刻はしない事!」と厳しく言い放った。学生からは大ブーイングが起こった。


「日本の文化や態度、姿勢までも教えたい」という私に、雇ってくれた校長先生は「でも生徒がいなくなっちゃうよ」と授業中の弁当を許すように言った。

残業をして、少ない給料の中から高い学費と私のバイト代金を支払って日本語を勉強してくれてるんだと思うと、

仕方が無いと思えてくるけど・・・いきなりではなく、少しずつ、教える事にした。


普段から、地元大阪弁ではなく標準語で話すようにしていたから、特に問題は無かったけど、大阪弁を教えてとか、日本語の悪い言葉を教えて~という要望が非常に多かった 笑


ここの学生は、変てこりんな日本語のニックネームで呼び合っていた。

牛丼さんとか、オナラくんとか・・・。

ある子は念願かなって、ついに東京に留学しているそう。

ここでのバイトは、次のコネで見つかる仕事まで続けた。